兜射貫き・弓道「正法流」開祖 吉田能安 門下生・山崎誠のHP

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正法流の射義・射法については「弓の道 正法流入門」「弓道いろは訓」「弓道研究」等を
参考にして下さい。私が能安先生から教わったまさしくそのものが書かれています。
このブログではそれ以外のことで私が教わったことやエピソード等を書き綴っております。

73 「会」について

2021/ 10 / 30 カテゴリ : 能安先生から教わったこと


……… 「会」の良し悪しの評価基準は、「会」の時間的長さの長短ではない
   「詰め合い」をして、極限まで「伸び合い」が続いて「離れ」ているかによる ………

          < 「会」 から  「離れ」へ >
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以下は、「正法流要諦」(非売品)の「会」の冒頭に掲載されたもので、短文乍ら「会」
の要点が簡潔に纏められています。 この後に、兄弟子の皆さんが、能安先生から「会」
の指導を受けた時に、どのようなお言葉を掛けて頂いたのか、具体的に書かれています。
先輩方の射の特徴に合った指導をされていることが窺え、大変参考になります。


 会 心身ヲ合一シテ發射ノ機ヲ熟セシム <大日本武徳会弓道要則 昭和10年制定>
 「註」 會は、會者定離に源を發せるものにして、離に向かって邁進途上の極致なり 
     決して離發の工作準備點に非ず 一息一力、一念一息、腹力強く心気一毫の
     緩みなく、無發持満 百折不撓 絶對の伸張三昧たる事 
   「註」は、注釈として、昭和13年7月7日に、当時大日本武徳会弓道教士で
    あられた吉田能安先生が、お書きになったものである。

更に、「弓の道 正法流入門」の 70ページから74 ページに「会」について、「一 基
本」「二 詰め合いと伸び合い」「三 楔(くさび)」「四 手の裏」「五 心構えと
息合い」「六 会の長さ」等、「会」における、重要な六つの要点が、分かり易く簡潔
明瞭に書かれております。 

また、私のこのブログの中で、「引き分け」から「会」に関連する、すでにご紹介した幾
つかの要点があります。 それらは、ブログ11番「豆粒一つの弾力体」ブログ14番「横
線は縦線から張れる」ブログ16番「テコの原理の応用」ブログ20番の「右耳に目ある
と思え」ブログ22番「肘を回す」であります。

先ずは、「正法流要諦」の冒頭文や「弓の道 正法流入門」に書かれた「会」についての
解説文を、今一度お読み頂き、正法流の「会」の考え方をご理解下さいませ。

上記の要点に加え、私が学生時代に吉田教場で、大学卒業後は三戸の自宅にある廣楓館弓
道場で、能安先生から「会」についてご指導頂いた時に、特に心に残っている先生からの
「指導のお言葉」を以下に纏めてみました。 皆さんの日々の稽古に何か参考にして頂け
るところががあれば幸いであります。

⑴ 「会」の指導において、私に強調された要点
 ① 「離れを呼ぶ、会における『詰め合い』の大切さ」  
   引き取り(引き分け)から、弓手肩根からの押し開き、勝手肩の迎えとその肘の
   締めなど、会に入ってもその働きを持続させる『詰め合い』をしなければならない。
 ② 「離れを呼ぶ、会における『伸び合い』の大切さ」
   「会」は静止した状態ではなく、縦横十文字(天地左右)に無限に伸び続ける『伸
   び合い』をしなければならない。
 ③ 「 『詰め合い』『伸び合い』に関連する紹介済みのブログ 」
   以下のブログには、「引き分け」から「会」に至るまでの要点が書かれています。
    ⚪︎ ブログ11番「豆粒一つの弾力体」
      弓手の肘に豆粒一つの余裕を持たせることにより、鋭い押し開きができる。
    ⚪︎ ブログ14番「横線は縦線から張れる」
      縦線を最大限伸ばすことにより、横線を最大限張ることができる。
    ⚪︎ ブログ16番「テコの原理の応用」
      弦がかかっている弦道を「作用点」、勝手の巻き込んだ肩を「支点」、勝手
      の肘を「力点」とするテコの原理の応用により、軽く楽に引ける。
    ⚪︎ ブログ20番「右耳に目があるように」
      頭頂が天井を突き破るような気持ちで、顎を締め顔が照らないように首を回
      すことにより、真っ直ぐな縦線の伸びを確立できる。 そのことにより、右
      耳に目があるように、的を見ることができる。 
    ⚪︎ ブログ22番「肘を回すとは」
     引き分けから、縦線を伸ばしながら弓の中に割り込んでいくと、無意識に両
      肘が左右に伸び続る。 

⑵ 「会」の指導中や指導後に、能安先生が語られた興味深いお話
 ① 「頬づけは、口割より矢一本の太さ分高くする」
  能安先生は昭和27年に「弓道いろは訓」を作られました。 その「ほ」の部分
  に「頬づけは 口割り下より 上がよい」と詠んでおられます。

 ②「やごろ」について 
  「やごろ」とは、会において「詰め合い」をして「伸び合い」、それが極限まで達
  し、まさに離れようとする瞬間のことであると。 

 ③ 「やごろ」を漢字で表すと 
  桜美林大学体育会弓道部の「師範」をされた能安先生は、学生たちの要望によ
  り、弓道部周年行事に発行される「創部記念誌」に「やごろ」と命名されまし
  た。「創部記念誌」の表紙に書かれた、能安先生直筆の「やごろ」の漢字を、
  以下の通り写真に収めましたので、参考になさって下さい。


      や ご ろ
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【参 考】 令和2年(2020)に、桜美林大学体育会弓道部は、創部50周年を迎え
      ましたが、コロナ禍により周年行事は無期延期となり残念至極であります。

④ 会の評価基準  
  会に入ったら、「詰め合い」「伸び合い」「やごろ」の順に、正しい働きがなされ
  ると、自然な「離れ」に繋る。 これがなされているかが、「会」の良し悪しの評
  価基準である。

⑤ 会の長さ
  「会」の良し悪しの評価基準は、会の長さの長短がではない。 ただただ長がければ
  良いというものではない。 正しい「やごろ」を迎えると、会は程よい長さに収まる
  ものだ。 


私は能安先生から、「弓の道 正法流入門」で書かれている「会」ついての要点に加えて、
上記の事柄も教えて頂きました。 また、能安先生は晩年、私の「会」をご覧になると、
「まだだ、まだだ、押せ、押せ」のお言葉を繰り返されました。 それらを合わせて、教
えた頂いた全てのことができているか、自身の射を折々に省みて、日々の弓道稽古に精進
しております。    

次回のブログ74番は当初の予定通り、能安先生から戴いた 「ワニ革のぞうり」につい
て、ご紹介したいと考えております。      

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このブログは「能安先生から教わったこと」を書き綴るために始められました。 出来る
限り継続して参りたいと考えておりますが、不定期となりますことをご了承戴き、気長に
お待ち戴ければ幸いに存じます。

今後の予定について
 74 能安先生から戴いた「ワニ皮のぞうり」
 75 射法八節の要点再確認 「離れ」
    「会」で「弦一本分の捻りを取る」と「離れ」に繋がる。 これは正しいことで
    す。 このことから、大三でも「弦一本分を捻る」と誤解されている方がおるよ
    うです。 そのようなことをすれば、目通り辺りで暴発してしまいます。 正し
    くは大三では「下弦をL字型になるくらいに捻る」と、「会」で捻られた弦が元
    に戻ろうとする反動力が働くため、「弦一本分の捻りを取る」だけで鋭く速い軽
    やかな「離れ」がでるのです。 誤解を解くために、ブログ75番で再度繰り返
    します。  
 76 「弦引き」ではなく「弓引き」になれ
 77 弱弓で強い矢勢を出すことも、弓道の醍醐味の一つだ

72 射は『君子の争い』について

2021/ 7/ 12 カテゴリー : 能安先生の書


    ……… 君子は無用な争いはしない
            争うのは弓を射る競技ぐらいのものだ  ………

1 旧制弘前高校(現弘前大学)弓道部員のご子息から頂戴した色紙

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⑴ 色紙に書かれた内容                 
【読み方】
 (子曰わく)君子は争う所無し。 必ずや射(しゃ)か。 揖譲(ゆうじょう)して
 升下し、而(しこう)して飲ましむ。 其の争いや君子なり。  
【解 釈】
 君子ともあろう者は無用な争いなどしません。 争うのは弓を射る競技ぐらいのもので
 す。 堂の昇り降りも互いに会釈して先を譲り会う。 試合が終わると勝者が敗者に罰
 盃を差し出す。 この争いなら君子にふさわしい。
【補 説】
 君子ともあろう者は無用の争いなどしません。 争うものを強いて言うならば、それは
 射ぐらいしかありません。 一組二人の選手は、主催者に挨拶するために、庭から座敷
 に上がり、またいよいよ競技を始めるために座敷を下りる時に、「揖」すなわち両手を
 前に組み合わせて挨拶をし、「譲」どうか先にと譲り合う。 そうして中庭の向こう側
 にある的を射るのです。 競技が終わると、お互い酒を酌み交わす。 これこそが君子
 (学識人格ともに優れた人)の争いというものです。 (論語普及会解説を参照)
⑵ この色紙の書に込められた、能安先生の思い
 能安先生が、「論語」の有名な一節を色紙にしたためたものです。 指導された学生た
 ちに、能安先生はこの論語を通じ、弓道の目指すもの、人としての礼節、謙譲の美徳、
 弓道部員同士の健全な人間関係の構築の大切さなどを、説かれようとしたのではないか
 と、私は推測いたしております。 また先生は、他の競技(相手を腕力で倒したり、策
 略・計略を用いる等)と比較して、的と自己との闘いで、他者を傷つけることない弓道
 を『君子の争い』であると、我々門弟に何度も熱く語られておりました。

 先生は40代の初め頃から、陸軍士官学校、旧制弘前高校、旧制二高、旧制成城高校、
 明治薬専、旧制会津中学、日本大学、駒澤大学、成城大学、桜美林大学、学芸大付高、 
 日比谷高、法政一高など、戦前戦後に多くの学校の弓道部を指導されました。 先生は
 射義、射法の指導は勿論のこと、『君子の争い』である弓道を通じ、若者の人間教育に
 力を注ぎ、政界・財界・官界・医学界・法曹界・教育界など、あらゆる分野で活躍する
 有為な人材を、お育てになられたのです。

2 色紙を頂いた経緯について 
 吾が師、吉田能安先生が、戦前旧制弘前高校弓道部の指導をされたことは、学生時代に
 何度か伺ったことがあります。 しかし戦後生まれで(昭和26年1月)南部藩の城下町
 三戸町に育った私にとっては、津軽藩の城下町弘前市にある弘高で、指導を受けた年配 
 の方々との接点もなく、このお話は私の記憶の片隅に微かに残っているだけでした。 

 ところが平成9年6月、弘前高校弓道場で青森県高総体弓道競技が開催された時に、思
 いもかけず先生から指導を受けた方(故人:小林一夫氏)のご子息(湊隆夫氏)と、お
 会いすることができたのです。 当日私は審判長として射場審判席についていると、突
 然受付係りから面会者の知らせを受け道場玄関に出ると、見知らぬ方がおり丁重なご挨
 拶を頂戴いたしました。 私と同年代と推測されるその方(湊隆夫氏)のお話による
 と、青森県の地方紙「東奥日報」に掲載された弓道の記事(下記に掲載した写しを参
 照)から、私が能安先生の弟子であることを知り、「高校教員のあなたなら、高総体に
 必ずお出でになるはず」と訪ねて来て下さったのです。 

 要件は、能安先生が旧制弘前高校弓道場でお引きになった写真、先生がお書きになった
 色紙や短冊を全て持参され、「弓を引かない私より、お弟子さんのあなたが所持された
 方が、亡き父親も喜ぶはず、貴方に全てを差し上げたい」とのことでした。 私は兜射
 抜きで著名な能安先生が書かれた書であり、子々孫々大事に受け継ぎ、家宝にされたら
 如何かと、辞退致しましたが、「父の母校、弘前高校で本日審判長をなされ、これも何
 かのご縁、お好きなものをお取り下さい」との真剣な眼差しに、思案の末お言葉に甘え
 て、色紙・短冊・写真の各一点を有り難く頂戴した次第。 大会後、御礼に三戸名産の
 サクランボをお送りし、その方と親しく手紙の遣り取りをすることになったのです。

 ところがその年の11月下旬、奥様から「喪中、賀状欠礼」の葉書が当方に。 驚きを
 もって直ぐ様、奥様にお悔やみのお電話を差し上げ、以下の通り、事の次第を承知する
 ことになったのです。 湊様は、医師よりガンを宣告され余命を悟り、お父様の様々な
 遺品や、ご自身の身辺整理。 弓道関係は私にと弘前高校に向かわれたとのこと。 お
 父様から、能安先生の弓道家としての偉大さを聞かされ、大事な物であると理解され、
 ご自身の死後は、先生の書や写真の全てを私に託そうとされたことを知らされたので
 す。 その後私が頂戴した物以外は、残念そうに全て廃棄処分されたとのこと。 弘前
 高校で初めてお会いした時の、湊様の意を決した真剣な表情が思い出され、「そうで
 あったのか」と、このことを能安先生の養女の禮先生にもご報告し、湊様のご厚志に感
 謝申し上げ、改めてご冥福をお祈りした次第でありました。  合 掌

2 東奥日報に掲載された私の弓道に関する記事
(今年は2021年ですから、26年前の記事になります)

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今後の予定について
 73 射法八節の要点再確認 「会」「離れ」 について
 74 能安先生から戴いた「ワニ皮のぞうり」
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このブログは「能安先生から教わったこと」を書き綴るために始められました。
出来る限り継続して参りたいと考えておりますが、不定期となりますことをご了
承戴き、気長にお待ち戴ければ幸いに存じます。

71 引き取り(引き分け)について

2021/ 5/ 29 カテゴリ : 能安先生から教わったこと


射法八節の要点再確認  「引き取り(引き分け)」について

……… 弓手は矢通りに押し開き、勝手は大三の鈍角を
       鋭角に締めながら、足踏み線に平行に引き分けて来る  ………

  <「大三」から  「引き取り(引き分け)」を経て  「会」へ >

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「弓の道 正法流入門」の 64ページから70 ページに「引き取り(引き分け)」について、
「一 基本」「二 弓手の働き」「三 勝手の働き」「四 楔(くさび)」「五 伸び合い」
「六 顔向け・的付け」「七 息合い」「八 手の裏」等、「大三」から「会」へ移行する
際の、重要な八つの要点が、書かれております。 

また、私のこのブログの中で、「引き取り(引き分け)」に関して、すでにご紹介した要点が
あります。 それらは、ブログ4番の「割り込む」、ブログ11番の「豆粒一つの弾力体」、
ブログ16番の「テコの原理の応用」、ブログ22番「肘を回すとは」、となっておりますので、
先ずはそちらを今一度お読み頂ければと思います。

上記の要点に加え、以下に述べる内容は、能安先生が私に吉田教場で「引き取り(引き分け)」
を指導して下さった時に、特に強調され事柄です。 私に、能安先生が具体的にどのような指導
の言葉を掛けて下さったのかをご紹介致しますので、皆さんの今後の稽古に何か参考にして頂け
るところががあれば幸いであります。

⑴ 「引き取り(引分け)」全般にについて、特に強調された点について
 ① 「足踏み線に平行に引き分ける」
   引取線と縦線を十文字にし、弓手・勝手ともに上筋と下筋の伸びを使い、足踏み線
   に平行に引き分けて来る。

 ② 「 大三を高く取ると割り込みやすい」
   大三を高く取ると、引き取り(引分け)が楽にできるため、弓の中への体の割り込
   みもしやすい。
    <ブログ4番の「割り込む」を参照>
     (「割り込む」ことにより、両肘が自然に左右に動き出す)

 ③ 「 大三の位置から弓を引き下げてはならない」
   大三の位置の弓を下に引き下げるのではなく、脇胴を張り下筋を伸ばしながら押し
   開き、上に伸びてに自分の体が入るような感じで引き分ける。

 ④ 「楔を掛ける」
   楔(弓を伏せる・勝手の下弦をひねる)を掛けて引き分けることにより、「会」で
   「胸弦」を取ることができる。  

 ⑤ 「吐く息は針の穴を通すように」
   大三から会までの息合いは、吐く息で行う。 息は、針の穴を通すように、静かに
   細く長く吐き、丹田に気をためる。

     <大三から会までの「引き取り」で、吐く息で丹田に気をためる稽古>
      能安先生は、以下の写真のように、射手と先生の丹田に弓を当てがい
      丹田に気をためる指導をされた。

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⑵ 「引き取り(引き分け)」に於ける、「弓手」の働きの要点
 ① 「矢通りに押し開く」
  弓手は縦線を伸ばし、脇胴を張り、裏筋・下筋を使い、矢通りに押し開く。

 ② 「豆粒一つの弾力体」
  弓手は、肘に豆粒一つの余裕を持たせた弾力体にする
    <ブログ11番の「豆粒一つの弾力体」を参照>
     (相撲の「突っ張り」を例に出され、肘が伸びきった状態より、豆粒一つの
      余裕を持たせた方が威力を増すと)

 ③ 「掌根が抜けることなく、弓を伏せる」
   弓手の手の裏は掌根を弓から離さず、三指(中指・薬指・小指)を使い、弓をやや
   伏せ気味にする。 


⑶ 「引き取り(引き分け)」に於ける、「勝手」の働きの要点
 ① 「肩根を迎え、テコの原理の応用」
  下弦にひねりを加えながら、勝手を振りかぶるような気持ちで出来た大三から、
   肩根を迎えて、矢通りに肘で引くことが大切である。
    <ブログ16番「テコの原理の応用」、ブログ22番「肘を回すとは」を参照>

 ② 「 肘を締めて鈍角から鋭角へ」
   大三で、勝手の前腕と二の腕で出来た鈍角を、鋭角に締めるように(畳むように)
   肘で引く。 

      <大三から会までの「引き取り」で、肘を締めるなどの稽古>
    能安先生は以下の写真のように、肘の間に手を入れ、弽の帽子を握り、肘に
    向けて押し込み、「肘を締める」「肘で引く」「脈所の外側への張り」
    「手繰ることを防ぐ」「拇指を弓方向へ伸ばす」などの指導をされた。
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< 以下の写真のように、1人でも肘を締める稽古ができる>
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 ③ 「 脈所の外側の張り」
   脈所の外側の張りは、弽の帽子の中で親指を伸ばし捻りを加えることにより可能。

 ④ 「 下弦に捻りを加えた弽の帽子を、肩の上に背負うような感じで」
   弽の帽子を、迎えた肩根の上に背負ってくるよう感じを保ちながら、肘で引く。

私は能安先生から、「引き取り(引き分け)」ついてたくさんのことを指導して頂きましたが、
上記の事柄が特に印象に残っており、今でも教えた頂いたことができているか、自身の射を折々
に確認しております。 一つでも参考にして頂ければ幸いであります。

次回のブログ72番は当初の予定通り、「旧制弘前高校弓道部員のご子息様から戴いた、能安先生
がお書きになった色紙「君子の争い」について、ご紹介したいと考えております。

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このブログは「能安先生から教わったこと」を書き綴るために始められました。
出来る限り継続して参りたいと考えておりますが、不定期となりますことをご了承
戴き、気長にお待ち戴ければ幸いに存じます。

今後の予定について
 72 「旧制弘前高校弓道部員のご子息様から戴いた能安先生の書「君子の争い」
 73 射法八節の要点再確認 「会」「離れ」
 74 能安先生から戴いた 「ワニ皮のぞうり」

70 「真如玄妙」・「知尚無涯逐」について

2021/ 3 / 31 カテゴリー : 能安先生の書


能安先生から戴いた書を、遊神館弓道吉田教場に寄贈
……… 「真如玄妙」・「知尚無涯逐」 ………

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                    <正法流紫鳳会会長 土井範士 撮影>
1 能安先生から戴いた書を寄贈した経緯

 平成29年、遊神館弓道吉田教場に稽古にお邪魔した時のことでありました。 稽古が
 終わった後、会場を移し恒例の懇親会が開かれました。 その席上、何方かが「山崎
 先生のHPを見ると、能安先生からたくさんの書を頂いているんですね」と能安先生が
 お書きになった書に関する話題になったのです。 その時、土井会長から「能安先生は
 全国各地を指導に回られ、その折に書の依頼を受けたのでしょう。 あちらこちらに
 先生の書が沢山あるみたいなのですが、肝心要の本家本元である、遊神館弓道吉田教場
 にはほとんど無いんですよね」とのお話がありました。
 「それでは、まだ表装していない書が十数点ありますので、吉田教場にご寄贈致しま
 しょう」となった次第。 正法流紫鳳会では、私が差し上げた「真如玄妙」と「知尚無
 涯逐」を表装額装し、上記の写真の通り遊神館弓道吉田教場に掲額されることになった
 のです。


2 「真如玄妙」と「知尚無涯逐」ついて   解説者 福岡大学 山崎好裕 教授 

 今回寄贈するに当たり、古文書の解読に造詣が深い、福岡大学山崎好裕先生に「読み」
 「解釈」につて簡潔明瞭な解説をお願い致しました。 Eメールでお願いしたところ、
 30分ほどでご返信を頂き敬意と感謝。 私が大学を卒業した年に、お父様から依頼を
 受け、彼が小学5年から中学3年まで、父と私が弓道を指導した教え子で、親族でもあり
 ます。


【 山崎好裕教授の経歴 】
 山崎 好裕(やまざき よしひろ)青森県三戸町出身。 三戸大神宮第19代。
 東京大学経済学部卒。 同大大学院経済学研究科博士課程首席修了。 経済学博士。
 福岡大学経済学部教授。 専門の経済学の他に、宗教学者、歴史学者、古文書解読者、
 歌人・俳人として幅広く活躍。 元東大総長・文部大臣 有馬 朗人先生 (物理学者・
 俳人・政治家)より、短歌・俳句の指導を受けその実力を絶賛される。 今春「有明
 新報」に小説「戦国サラリーマン奮闘記」の新聞連載開始予定、作家デビュー。

 能安先生と山崎好裕先生との思い出は、彼が中3の夏休みに、私が道場に呼んで能安
 先生に紹介したことがあります。 それから何年かして、能安先生が「あの賢い子は
 今どこに行っているんだ」と。「東大です」と答えると、「そうか、日比谷高で東大
 に入る生徒を何人も見てきたが、普通の子とどこか違うんだよな」と納得のご様子。


⑴ 「真如弦妙」の読みと解釈  「しんにょ げんみょう」
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 真如玄妙は「真理というものは奥深く不可思議なものである」の意です。 中国語で
 「玄」はスエン、「弦」はシエンで発音が異なりますが、似た発音ですし、字形が重
 なりますので、掛けていると考えても差し支えないように思います。 


⑵ 「知尚無涯逐」の読みと解釈   「ち なおかぎりなし」
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 荘子養生主篇第三に「吾生也有涯、而知也無涯。(吾が生やかぎりあり、而して知やか
 ぎりなし)」とあるのを踏まえると、「知なおかぎりなし」でよいと思います。「逐」
 は追い求めるではなく、追い払うの意味ですから、「置き字」にして読まないというこ
 とでよいかと思います。 中国語では、ジーシャンウーヤーズーの発音です。


3 能安先生が書に込めた思い 

 能安先生は生涯、弓の道を限りなく追い求め、我々門弟に範を示めされました。 私に
 は大学在学中はもとより卒業後も、度々書を送って下さった能安先生。 先生が書に込
 められた思いに教えられ、そのご恩に報いるためにも、能安先生が追い求められた弓の
 道を、このHPを通じ日本中に、更に全世界へ発信し続けたいと考えております。

 冒頭の「能安先生からたくさんの書を頂いているんですね」との質問にお答えするなら
 ば、その要因として、⑴父が、能安先生の主宰される弓道組織に生涯変わることなく尽
 くし、青森県支部長を務めたこと、 ⑵山崎宗家第30代との交流から、「山崎家」の
 ルーツを知り、私には弓道の指導と共に、私の人間教育に多大なお力を注いで下さった
 こと、 ⑶孫弟子の私が桜美林大学に弓道部を創設したことを大変喜ばれ、80歳のご
 高齢にも関わらず師範を引き受けて下さったこと、 ⑷父も私も少しは筆を使いこなせ
 書を好きだったこと、これらのことが相まって、沢山の書を折折にお送り下さったので
 はないかと思い、大変感謝致しております。


 ここからは余談になりますが、山崎好裕先生の三戸大神宮「山崎家」と「山崎宗家(総
 本家)」の繋がりや、「宗家」のルーツ等について述べて見たいと思います。 以下の
 ことは、能安先生も、宗家第30代から説明を受け知っておられました。 それらのこ
 とを踏まえ、これから述べることは、私事の内容が大部分となり大変恐縮ですが、上記
 1~3までに述べたことに対する補足説明であると、ご容赦頂きいたいと思います。


4「山崎宗家(総本家)」について

 三戸大神宮「山崎家」第19代が、上記で能安先生の書を解説して頂いた福岡大学山崎好
 裕教授です。 我が「山崎宗家」との繋がりは、山崎宗家第30代山崎武雄(青森県旧向
 村村長、郷土史家、共著「天台寺研究」)によりますと、系図上では15代ほど前に、宗
 家から分家したとのことでありますが、三戸大神宮側では確認されていないようです。

 私の「山崎家」はその山崎宗家(青森県旧向村:現南部町)から三戸町へ分家し、私で
 5代目となります。 そのような訳で、三戸大神宮「山崎家」とは、冠婚葬祭などで、
 代々長く親戚付合いをさせて戴いております。

 山崎宗家は、北畠顕信を始祖とし、長慶天皇の補佐役として、名久井岳の麓、長谷(南
 部町)に落ち延びてきたとのこと。 足利尊氏から逃れるため、北畠から山崎に改姓
 し、 長慶天皇の第三皇子を養子に迎え、上暮宮(わぐれのみや)山崎家と称し、昭和の
 初期ごろまでは、地域の方々から「わぐれさま」と呼ばれていたと言われております。

 父が旧制中学を卒業し小学校の代用教員時代、考古学の権威、東大の辻善之助博士が
 調査に来られ、向小学校講堂に広げられた長慶天皇や北畠に関する山崎宗家の多くの
 資料を鑑定。 結果は「刀剣・紙質・書かれた内容は年代に合致。 全ての書き記さ
 れたもの(巻物等)を精査したが、京都に通じた公家や相応の学識者でなければ書く
 ことができない内容である。 真偽の判断は更に調査が必要」とのことであったという。  

 30代の長男は、山崎 昶(やまざき あきら)で山崎宗家第31代となります。 東京大
 学理学部化学科卒。 同大大学院理学研究科博士課程修了。 理学博士。 電気通信大
 学・日本赤十字看護大学等の教授歴任。 化学関係の書籍・翻訳書を多数執筆。 特技
 はピアノ演奏。

 次男は、山崎 攻(やまざき おさむ)。 東京大学工学部卒。 同大学院工学系研究
 科修士課程修了。 工学博士。 松下電器先端技術研究所所長、知的財産権本部長。
 大阪工業大学工学部教授。 精密機械加工メイカー「株式会社山崎」代表。 

 兄弟共に東大卒という俊英で、それぞれの専門分野で活躍、公家・武将であった北畠の
 血筋が脈々と受け継がれているのかもしれません。


5 能安先生と山崎宗家第30代山崎武雄との交流

 能安先生が三戸に指導にお出でになると、父が山崎宗家当主を我が家に呼び、夕食を共
 にしたものでした。 能安先生はお若い頃にお仕事で、中国に渡っておられたことがあ
 り、宗家の当主も満鉄に勤めていた経験や、村長としての政治活動、青森県南から岩手
 県北かけての郷土史家としての知識や、「北畠」の姓から「山崎」へ改姓したその経緯
 などについて話題が豊富なため、能安先生と意気投合したものでした。

 私が吉田教場の巻藁道場で稽古していた時のことです。 「山崎」と呼ぶ能安先生のお
 声。 急いで居間に伺うと、お客様がおられ「こちらは電通大の先生なんだ」と紹介さ
 れると、その方は「今、能安先生から伺ったのですが、山崎昶先生のご親戚なんですっ
 てね。 うちの大学では著名な先生で、化学の書籍を多数執筆されたり、NHKの教育
 テレビにもよく出演されております」等と。 能安先生は山崎宗家の当主から、全く同
 じことを聞いて知っており、私を呼び寄せ紹介されたのだと理解できました。 以上、
 繰り返しになりますが、4と5は本題から脱線し私的な内容になりお許し下さいませ。

今後の予定について
 71 射法八節の要点再確認 「引き分け」「会」 について
 72 「旧制弘前高校関係者から戴いた能安先生の色紙」 「君子の争い」
 73 射法八節の要点再確認 「会」「離れ」 について
 74 能安先生から戴いた「ワニ皮のぞうり」
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このブログは「能安先生から教わったこと」を書き綴るために始められました。出来る
限り継続して参りたいと考えておりますが、不定期となりますことをご了承戴き、気長に
お待ち戴ければ幸いに存じます。

69 大三 について

2021/ 2 / 20 カテゴリ : 能安先生から教わったこと


「大三」は「打起し」の両拳と同じの高さに
……… 弓手・勝手ともに「裏筋・下筋・脇胴」を伸ばす働きにより可能 ………

           「打起し」  から  「大三」  へ
69-1.png

「弓の道 正法流入門」の 58ページから63 ページに「大三」の詳細が書かれておりま
す。 「一 基本」「二 打起しの終了」「三 弓手の働き」「四 弓手手の裏」
「五 勝手の働き」「六 弓手勝手の位置」「七 息合い」「八 楔(くさび)」と、
「打起し」から「大三」へ移行する際の、重要な八つの要点が、詳しく述べられており
ます。 私が、遊神館弓道吉田教場で学んだ、正しくそのものが書かれておりますので、
先ずそちらをご一読下されば、よりご理解を深めて頂けるのではないかと思います。

今回の「大三」において、「裏筋・下筋・脇胴 を伸ばす」という表現が何回か出て参
ります。 ブログ67番「打起し」でも申し上げたことの繰り返しになりますが、「打起し」
から「大三」への移行過程においても、「縦線を伸ばす(膕も伸ばす)ことを忘れずに」、
「裏筋・下筋・脇胴 を伸ばす」ことが肝要であります。

ここからは能安先生が、幼少から高校までの私の射を矯正するために、巻藁道場で「大三」
を指導して下さった時に、心に残っている次の⑴~⑸について述べて見たいと思います。
 この時とても分かり易いヒントを頂き、その後色々試行錯誤を繰り返し,今日の稽古に
生かしております。 皆さんの今後の稽古に何か参考になるところががあれば幸いです。
⑴ 「大三」の言葉の由来について
 「大三」の言葉の由来は「押し大目、引き三分の一の力を用いいる」からきている。

⑵ 「大三」は弓手主導で行う
「打起し」は勝手主導でなされるが、「大三」は弓手主導で行う。

⑶ 「大三」は「打起し」の両拳と同じの高さになるように作っていく
 弓手・勝手ともに、「裏筋」「下筋」「脇胴」を伸ばしていく働きを加えることによ
 り、「打起し」の両拳と同じの高さに「大三」を作ることができる。 

⑷ 「大三」に移行する弓手の働きの要点
 弓手の拳は「打起し」の高さを保ちながら、弓手の裏筋・下筋・脇胴を、伸ばしながら
 押し開いていく。 能安先生は、「打起し」から「大三」に移行する弓手の動きをドア
 に例え、また手の裏は水道管などに使われる塩ビ管に例え、
  ① 弓手は「ドア」、弓手の肩根は「ドアの蝶番(ちょうつがい)」であると。
  ② 従って「打起し」の弓手の形はそのままで、ドアのように開くため、「大三」で
    も、ほぼ同じ形に。
  ③ 塩ビ管に弓が入っていたとすると、引っかかりなく簡単に回ると手の裏のヒント。


「打起し」から「大三」への移行で「裏筋」が使われているか軽い負荷をかけ確認
69-2.png


⑸ 「大三」に移行する勝手の働きの要点
 勝手の拳も同じように、「打起し」の高さを保ちながら、親指で下弦を押すように、弦
 がL字型になるくらい捻りを加え、脇胴を張るようにしながら、肘を頭に被るように折
 りたたむ。 この肘を被るような動作も、「打起し」で述べた、右肩甲骨から二の腕と
 肘へと繋がる裏筋の伸びができていればこそ可能となる。 
 更に、心臓が左にあるため、左の肺より右の肺が大きく、その大きな右の肺で大きく息
 を吸いながら「大三」に移行すると、右脇胴が自然に無理なく張られ、雄大な「大三」
 ができあがると。

     「打起し」から「大三」への移行で、肘を頭に被ることを指導
69-3.png

次回のブログ70番は当初の予定通り、「能安先生から戴いた書」である「真如弦妙」
「知尚無涯逐」について、私の親族である福岡大学山崎好裕教授(三戸町出身)の
解説を加え、ご紹介したいと考えております。

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このブログは「能安先生から教わったこと」を書き綴るために始められました。出来る限
り継続して参りたいと考えておりますが、不定期となりますことをご了承戴き、気長にお
待ち戴ければ幸いに存じます。

今後の予定について
 70 「能安先生から戴いた書」 「真如弦妙」「知尚無涯逐」
 71 射法八節の要点再確認 「引き分け」 について
 72 「能安先生から戴いた色紙」を の説明 「君子の争い」
 73 射法八節の要点再確認 「会」「離れ」
74 能安先生から戴いた 「ワニ皮のぞうり」

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68 竹籠風の矢立・吉田教場の稽古法

2021/ 1 / 14 雑記 : 能安先生の知恵・工夫


一手が程よく納まる竹籠風の矢立が新調される
……… 一ツ的・ 一手・回り射礼形式の吉田教場の稽古法に適った矢立  ………

⑴ 新調された竹籠風の矢立  
    令和元年10月
B68-01.png  B68-02.png

平成30年9月末から10月初旬にかけて、遊神館弓道吉田教場に稽古に伺った時に、能安
先生が竹細工師に竹籠を模して作らせた矢立が姿を消しておりました。 その矢立は、お
そらく昭和初期に作られたと思われるもので、長い歳月を経て飴色に枯れ、年代を感じさ
せるものでありました。

土井会長に所在をお尋ねしたところ、経年の使用によりあちこちに破損が生じ、廃棄処分
となり、現在竹細工師に新品の制作を依頼し、来年(令和元年)には完成予定とのこと。 
翌年(令和元年)吉田教場に伺うと、冒頭の写真の通り竹籠風の矢立が美事に新調され、
いつもの場所に設置されておりました。 早速持参した矢を、稽古に備え一手ごとに入れ
てみるといつもの感触。 土井会長はじめ役員の皆様方のご労苦に感謝を申し上げ、この
矢立に纏わる私の思い出を、以下の通り話させて頂きました。

大学を卒業し、高校教員生活に入り、月刊誌「文藝春秋」を毎月購読しておりましたが、
その中の「商工中金」宣伝ページに、女性モデルが弓を引いている写真がよく使われてお
りました。 「あれ、これは吉田教場では」と、その写真を隅々までチェックすると、
この竹籠風の矢立が目に留まり、吉田教場で撮影されたものだと確信したものでしたと。


⑵ 吉田教場の稽古法
 ① 一ツ的・ 一手・回り射礼形式の稽古
   吉田教場では、的が数個掛けられて、各自が自由に稽古できる方式ではありません。
   一ツ的・ 一手・回り射礼形式の稽古が行われております。 引き終えた方
   矢取りに向かい、控えで順番待ちの方が一手の矢を持ち本座に入り、跪座し
   稽古の流れにのり、途切れない稽古が繰り返されのです。 

 ② この稽古法の利点
   審判席に座られた能安先生が、一人一人の射を細部に渡ってご覧になり、各人にそ
   れぞれにあった的確な指導助言ができることです。


以上の通り、能安先生が考えられた竹籠風の矢立は、 一手がほどよく納まるため、吉田
教場の稽古法に適ったものであると、私は50年数年前の学生時代からそのように感じて
おりました。


それにしても、あの竹籠を模した矢立を、能安先生はどのような経緯で考案されたのか、
生前伺う機会を逸したことが悔やまれます。 かつて能安先生は戦前、青森県の旧制弘前
高校(現 弘前大学)弓道部の師範をされていたことがありました。 弘前はりんご所、
りんご籠に似ており、それからヒントを得たのではと、私は私的な根拠のない想像をして
おります。

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今後の予定について
 69 射法八節の要点再確認 「大三」について
 70 「能安先生から戴いた書」 「真如弦妙」「知尚無涯逐」
 71 射法八節の要点再確認 「引き分け」 について
 72 「能安先生から戴いた色紙」を の説明 「君子の争い」
 73 射法八節の要点再確認 「会」「離れ」

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67 打起しについて

2020/12/19 カテゴリ : 能安先生から教わったこと

射法八節の要点再確認 「打起し」について

  ……… 勝手主導で打起こし  
         弓手の手の裏は弓を軽く支える程度にする ………

    令和2年11月          令和2年10月
67-01.png67-02.png

今年10月からブログで、「射法八節の要点再確認」と題して、私が能安先生から教わった
ことを書き綴っております。 能安先生は射法・作法等の指導をする際に、どの場面でも
同じことをよく言われました。 それは以下の四角で囲まれた内容のことであり、私は
とても大事であると思っております。 従って、今回以降のブログ『射法八節の要点再確認
「~」について』においても、その四角で囲まれた文を、何回かそのまま使わせて頂きま
すので、予めご了承下さい。


 『 縦線を伸ばすことを忘れずに、それぞれの動作を行う 』
 能安先生曰く、「縦線の伸び」なくして「横線の伸び」はない。 射法八節とそれら
 に付随する動作や、入退場等の作法を行う際には、絶えず顎(あご)を引き、頸(う
 なじ)を伸ばすことをしながら、それぞれの動作を行うがことが肝要である。
   そうすることにより、射法・作法が 
    ⑴正しく ⑵美しく ⑶大きく見え 正射正中(必中・真中)に繋がる と。 
(参考)先生はよく「正射正中」「正射必中」「正射真中」と言われておりました。

今回は、私が「打起し」をする際に、能安先生からどのような指導を受けたのか、具体例
を写真でご紹介させて頂きます。 なお、「弓の道 正法流入門」の 54ページから57
ページに「打起し」の詳細が書かれております。 また、このブログ47番に、能安先生の
「打起し」の写真が掲載されておりますので、それらを参考に以下をお読み下されば、よ
りご理解を深めて頂けるものと思われます。

 【お断り】
   正法流では「同時・同型・同働」の観点から、正面を向いての「打起し」になりま
   すが、私は青森県在住でもあり、地元に合わせて物見をとって「打起し」をしてお 
   り、高校でも30数年間生徒達にもそのように指導。 能安先生も青森に指導に来
   られた際には、「郷に行っては郷に従え」だと、正面を向いての「打起し」を強制
   することはありませんでした。 ブログ47番に掲載された、能安先生の打起しの
   写真も物見がとられています。 場所は長野県松原湖玄武館第二道場、道場主で当
   時全弓連教士六段の浅沼大八郎先生が審判席でご覧になっておられたため、物見を
   とった打起しをなされたのではないかと、私は推測しております。  

⑴ 勝手主導で打起こし、弓手の手の裏は弓を軽く支える程度にする。

   ① 弓は弝引きにより、否応無く三指の指先の腹に吸い付き、小指を軽く締める
     だけで固定されるため、弓手はその状態で勝手のリードについて行けば良い。 
   ② 先生は「取り懸け」後、弓矢を勝手の人差し指の脇腹に預け、弓から弓手を
     離し、勝手だけで弓矢を持てることを以下の写真の通り見せてくれました。
   ③ その後、右の写真のように、勝手主導の打起しを行い、弓は弓手で軽くささえ
     るだけで良いことを強調するために、指先で弓を支え、そのことを皆が納得す
     るように、模範を示めされました。
B55-03.jpg67-03.png67-04.png

⑵ 以下の写真の通り、先生は射手が弓構えをしている弓に別の弓を合わせ、弓に沿って
  レールが敷かれているとと思えばよいと。

   ① そのレールを走らせるように打ち起こす。
   ② その際、両腕は神棚に供え物を捧げ奉つるように伸ばし、同時に膕「ひかが
     み」(膝の後ろのくぼんでいるところ)を伸ばすことが大事だと。

    レールを走らせるように    下筋・裏筋・膕(ひかがみ)を伸ばす
B55-03.jpg67-05.pngB55-03.jpg67-06.png

⑶ 弓手・勝手とも、下筋(小指からから脇の下までの筋)と、裏筋(肩甲骨から両肩の
  外側を伸びる筋)を伸ばすと同時に、膕(膝のうしろ)も伸ばしながら打起す。

   ① 先生は、射手が打起しを始めると、肩甲骨から肩を通って二の腕の裏筋まで
    さすり、その箇所を伸びきるように打起しをせよと。(以下の写真参照)
   ② このことにより、「大三」や「会」で勝手の肩が後ろに抜けなく、逆に勝手の
    肩根が迎えられているため、弓手を押し続けても両肩が一直線上に収まると。
   ③ 吐く息の速度に合わせて打起し、息を吐ききり大三に移行するがいいと。
B55-03.jpg67-07.png67-09グレー.png67-08.png

以上、能安先生が私に「打起し」の指導をして下さった時に、特に印象に残っていることを、
⑴~⑶ にまとめてみました。 何か参考にして頂ける事があれば幸いであります。


 今後の予定については、以下のように考えております。 能安先生から教わった別の
 ことが、突如思い出されることもあり、順番が変更となった場合はご容赦下さいませ。
  68 能安先生の知恵工夫   「矢立」 
  69 射法八節の要点再確認  「大三」について
  70 能安先生から戴いた書  「真如弦妙」
  71 射法八節の要点再確認  「引き分け」について
  72 旧制弘前高校関係者から戴いた色紙  「君子無所争」
  73 射法八節の要点再確認  「会」について
  74 能安先生から戴いた書  「知尚無涯逐」
  75 射法八節の要点再確認  「離れ」について
  76 能安先生から戴いたもの  「ワニ皮の雪駄」「寿が染め抜かれた小風呂敷」

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66 脱臼からの回復・感謝の礼射

2020/11/16 雑記 : 入浴中洗い場で転倒し左手薬指中節から脱臼

10月中旬より本格的に弓道を再開

 ……… 脱臼の顛末と治療関係者へ感謝の礼射 ………

7月3日、私の不注意により入浴中洗い場で仰向けに転倒。コーナーに設置した収納ケー
スに入った数本のソープボトルの頭に、左手の甲を強打し、薬指(無名指)中節から脱臼。
不幸中の幸いで、泡だらけの洗い場がスキー場のスロープの役割を果たし、滑るよ
うに転倒したため、頭部・背中・腰部には異常なし。 10月中旬には大分症状も癒え、
本格的に弓道を再開することができました。

治療して戴いた県弓連の役職にも就かれている医師、リハビリ担当者、知人の整体師など、
治療に関わって戴いた全ての方々に感謝を込め、回復後初めて礼射を行ってみました。
その際、泉下から能安先生にも見守って戴こうと、射場審判席には先生の遺影をセット。
お陰様で指に多少の違和感があるものの、無事礼射を行うことができました。 お助け戴
いた皆様方に重ねて感謝と御礼を申し上げます。


66-01.png

この写真は、正法流礼射の一コマです。 礼射の詳細は「弓の道 正法流入門」に、故井
戸範士(天皇盃獲得者)の連続写真が載ってありますので、そちらを参考になさって下さ
い。

ここでは、正法流礼射のこの場面について、能安先生から教わったことを以下の通り述べ
てみます。
⑴ 肌脱ぎ後の作法について
 これは、肌ぬぎ後、弓を左手に持ち替える直前の写真です。 動作を具体的に申し上げ
 すと、肌脱ぎした後、この写真のように弓を掲げ、次に弓手で握り下から握りまで二回
 さすり、弓を弓手に持ち替えます。 と同時に、床についている左膝を上げ、逆に右膝
 を床につきます。

⑵ 肌脱ぎの場所・弓道衣の着用について 
 正法流では、肌脱ぎは本座ではなく射位で行われます。 また肌脱ぎの後の素肌を禁じ
 弓道衣を着用します。


 能安先生も若い頃は肌を出して引いておられたようですが、国体などにご臨席戴いた
 皇室の方々の面前で、素肌をさらすことは、失礼ではあるまいかと、お考えを改めら
 れ、 ご自分は弓道衣を着用するようになったとのこと。 能安先生曰く、鉄火場
 (ばくち場)の博徒や、「遠山の金さん」でもあるまいし、「礼を重んじる弓道に於
 いて、肌を露わにすることは品格に欠けるね」と言われておりました。


 今後の予定については、以下のように考えております。 能安先生から教わった別の
 ことが、突如思い出されることもあり、順番が変更となった場合はご容赦下さいませ。
  67 射法八節の要点再確認  「打起し」について
  68 能安先生の知恵工夫   「矢立」 
  69 射法八節の要点再確認  「大三」について
  70 能安先生から戴いた書  「真如弦妙」
  71 射法八節の要点再確認  「引き分け」について
  72 旧制弘前高校関係者から戴いた色紙  「君子無所争」
  73 射法八節の要点再確認  「会」について
  74 能安先生から戴いた書  「知尚無涯逐」
  75 射法八節の要点再確認  「離れ」について
  76 能安先生から戴いたもの  「ワニ皮の雪駄」「寿が染め抜かれた小風呂敷」

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65 弓構えについて

2020/10/20 カテゴリ: 能安先生から教わったこと

射法八節の要点再確認 「弓構え」について

  ……… 「逃げも隠れもしない正々堂々の日本人ここにあり」
         「我日本男児ここにあり」 の  気概を持て ………

  令和2年10月


65-01.png  65-02.png

私も、来年1月(令和3年1月)には古希(70歳)を迎えます。 能安先生の70歳時の射
を兄弟子の皆さんから伺うと、鉄兜を射抜いたことも、然もありなんと納得させられる矢
勢(矢飛びの速さ・強さ)があったとのこと。 現在私も、その師の域に少しでも近づけ
ることを願い、日々の弓道稽古に励んでいるところなのです。 其の為にも今一度基本に
立ち返り、能安先生から教わった射法八節の要点を再確認しなければならないと、思いを
新たにしておるところであります。

今回は「弓構え」について私が能安先生から教わったことを述べて見たいと思います。
射法は、「足踏み」から始まり「胴造り」「弓構え」と流れていきます。 その「弓構え」
のなかに、⑴「取り掛け」る、⑵「弝引き」をし「弓手の手の裏」を整える、⑶「物見」
を定める、の三つの動作が含まれます。 この動作の要点については、「弓の道 正法流
入門」で詳細に述べられています。 私が教わった正しくそのもが書かれていますので、
そちらを参考になさって下さい。

私には「弓構え」について、能安先生は以下のことを、特に注意するように指導して下さ
いました。
  ⑴ 勝手の肩を巻き込むように、下筋と裏筋を伸ばしながら「さぐり」に入り取り掛
    ける。
  ⑵ 「弝引き」をし「弓手の手の裏」を整え、弓と番えた矢を、勝手の人差し指の脇
    腹に預けるようにする。(この時、能安先生は弓から手を離し、「こうすること
    により勝手で、弓・矢を全て支えられるだろう」と言われたものでした。)
  ⑶ 矢を伝い物見を定める。
  ⑷ その際、縦線を伸ばしながら、右耳に目があると考え「右耳で的をみる」感じで
    顔を的に向けるようにする。そうすることにより、顔向けが甘くならないと。
  ⑸ 「弓構え」が完了したら 、「逃げも隠れもしない正々堂々の日本人ここにあり」
    「我日本男児ここにあり」の気概を持たなければならない。 それができたなら
   ば、「打起しに」入れと。

私にとっては、この⑴~⑸の能安先生の指導が強く心に残っており、その当時を思い出し
ながら一つ一つを再確認し、稽古に励んでいるところです。

大学進学のため上京し、吉田教場で修行することに。 幼少より弓を引き天狗になってい
た自分が、その弓を全否定され自信喪失。 今となって思えば、弱気になっていた私を、
「弓構え」で「我日本男児ここにあり」の気概を持てと鼓舞して下さったのかもしれませ
ん。

以下は、「正法流要諦」(非売品)の「弓構え」の項目の冒頭に掲載されたものです。 
この後に「弓構え」の要点が詳しく書かれています。 更に続けて兄弟子の皆さんが、「僕
はこのように教わった」「私はこのように指摘された」と具体的に述べられており、大変
参考になります。

 弓構


  正面ニテ取懸手の裏ヲ調エ物見ヲ定ム <大日本武徳会弓道要則 昭和10年制定>

  註 發動操作準備にして、手の裏は獨立の存在故 弓を握り締めるに非ず 弓が手の
    裏に嵌まり居る感じにて両眼を通して的を臍下に納め 呼吸を調え決然たるべし

    「註」は、注釈として、昭和13年7月7日に、当時大日本武徳会弓道教士で
     あられた吉田能安先生が、お書きになったものである。


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64 現在の弓道吉田教場 (遊神館弓道場)

2019/ 12 / 22 カテゴリ: 弓道吉田教場について


以下は私が 紫鳳会会長 土井春夫範士から伺ったことをメモし まとめたものです

  ……… 正法流を学ぶ稽古拠点 弓道吉田教場(遊神館弓道場)………

吉田邸(弓道吉田教場・母屋)は、能安先生と奥様がお亡くなりになった後に、養女のレ
イ先生により、能安先生の故郷岡山県高梁市に寄付採納されました。 寄付を受けた高梁
市は、弓道吉田教場の管理運営を、一般社団法人正法流紫鳳会に委託することを決定。 

この決定を受け、一般社団法人正法流紫鳳会は、高梁市と「吉田教場の管理運営に関わる
約」を締結し、「弓道吉田教場」は能安先生存命中と変わらぬまま、門人たちの使用が
可能となったのであります。 

また、母屋は高梁市により取り壊され、「備中高梁館」として建て替えられ、高梁市の観
光案内所や、アンテナショップのような役割を果たしております。 週二日間、土日だけ
開館されておりますが、紫鳳会ではボランテアとして門人達が交代で、その運営のをお手
伝いをしております。  

このように、弓道吉田教場は、正法流を学び継承する多くの門人達の熱意によって、法に
適った確かな組織が作られ、守られているのです。


現在の弓道吉田教場(東京杉並西荻北) 母屋のあった所に「備中高梁館」
B64.png


近年は、現代弓道に飽き足りない方々、能安先生と正法流という特異な日本弓道に興味を
持たれた外国の方々、定年後に初心者として健康のために弓道を始められた方々等、正法
流紫鳳会への入門者が増加傾向にあるとのこと、泉下の能安先生もさぞかしお喜びのこと
でありましょう。

これらの新たな入門者に対応するべく、能安先生晩年の子飼いで高段者となった門弟が、
その指導に当たっております。 特にこの4月より、お仕事をリタイヤされた紫鳳会会長
土井春夫範士が、ほぼ毎日のように吉田教場に行かれ、能安先生の目指した弓の道の指導
に取り組んでおられます。

私も時々、青森から上京し、能安先生から教わったことをお伝えできればと、指導のお手
伝いをさせて戴いております。 東京近郊にお住いの古くからの門人の方々、また新たに
入門された方々と共に、弓道吉田教場で稽古を積み重ね、正法流の射義・射法の合理性を、
次の世代に正しく伝えていかなければならないと、決意を新たにしているところでござい
ます。


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63 取矢をした乙矢の捌き方

2019/ 8 / 9 カテゴリ: 能安先生から教わったこと


背中を壁に使い、羽根の部分をそこに軽く押し当てる

  ……… 弓倒しをしながら握り替える ………

取矢をした乙矢の捌き方については、能安先生から「背中を壁に使い、羽根の部分をそこに軽く押し当て、弓倒しをしながら握り替える。」と教わりました。 また、能安先生は、「弓倒しの後、弓手の握りまで乙矢を持って行き、握り替えることは余分な動作である。 執弓に始まり、執弓で終わることが原則である。」と。

以下は、先生から教わったことを、写真で表してみました。 

1 弽を着けて取矢をした乙矢の捌き方
B63-1.png

指先を開き、乙矢を背中に軽く押し当て

B63-2.png
  素早く握り替えながら、執り弓の姿勢に戻る  


2 指先の動きが分かるように、弽を着けず取矢をした乙矢の捌き方
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62 矢の捌き方について

2019/ 7 /19 カテゴリ: 能安先生から教わったこと


矢捌きは、床にある豆を摘む要領で矢や筈を持つ

  ……… 三ツ弽でも四ツ弽でも、親指・人差し指・中指の三指を使う ………

1 三指での矢の持ち方と、乙矢の差し込み。

   ⑴ 三指での矢の持ち方                 
B62-01.png

  ⑵ 乙矢の差し込み
B62-2.png

2 以下の写真のように、床にある豆を摘む場合、どちらが簡単にできるか、お分かり頂
  けるかと思います。 能安先生は、よくこのお話をされ、矢筈は「豆を摘むように」
  と指導されました。

  ⑴ 床にある豆を摘む場合、どちらが簡単にできるか。
B62-3.png

 ⑵ 床にある豆を摘む要領で、親指・人差し指・中指の三指で、筈を摘む。
   三ツ弽でも四ツ弽でも、薬指・小指は握り、残りの三指を使う。 
B62-4.png

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このブログは「能安先生から教わったこと」を書き綴るために始められました。
出来る限り継続して参りたいと考えておりますが、不定期となりますことをご了承
戴き、気長にお待ち戴ければ幸いに存じます。

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61 能安先生 の 故郷 岡山県高梁市 を 映画で見る

2019/ 5 /28 カテゴリ: 雑記


高梁市がのロケ地に使われた映画の紹介

  ……… 高梁市の街並みが楽しめる「フーテンの寅さん」 ………

岡山県高梁市は能安先生の故郷です。 市内の山手には、備中松山城があり、文字通り
城下町であります。 武家屋敷通りや多くの寺院が立ち並び、古くから連綿と続く歴史
が感じられ、古風な街並みを楽しめるところです。

その高梁市で、「フーテンの寅さん」の2つの作品(第8作・第32作)が撮影されていま
す。 その中でも第32作、竹下景子さんがマドンナ役を務めた「男はつらいよ 口笛を
吹く寅次郎」(1983年・昭和58年作)は、高梁市の商店街、寺院、街並みが一望できる
高台などで撮影されており、その風景から高梁市とはどんなところか理解することができ
ます。

マドンナ竹下さんの弟役に中井貴一さん、その恋人役には杉田かおるさんと、現在では大
ベテランとなられたお三方の、若かりし頃のお顔が拝見でき、私と同年代の方々にとって
は、ご自身の30代前半と重なり懐かしく感じられるかもしれません。

また、第8作(マドンナ池内淳子さん)「男はつらいよ 寅次郎恋歌」(1971年 昭和46
年)には、能安先生が高梁にお帰りの際に、定宿とされた老舗旅館「油屋」が出てまいり
ます。 倍賞千恵子さんが演じる、寅さんの妹さくらの長男光男(吉岡秀隆さん)が遊ぶ
その旅館の中庭や、さくらの夫、博の実家として設定された武家屋敷が写し出されていま
す。 

第32作は約36年前、第8作は約48年前のものですから、高梁市も当時と現在では、だい
ぶ様変わりしているとは思いますが、昭和レトロな雰囲気が残る当時の街並みに、郷愁
感ぜずにはいらません。他にも、古谷一行さん出演の『八つ墓村」等が、高梁市で撮影
されております。

更に、先日 NHKのペット紹介の番組「もふもふ(最終回)」(ナレーター:堤真一さん、
H31・3・20放映)で、備中松山城名物の「殿」と呼ばれる猫が紹介され、合わせて備中
松山城の全景も映し出されました。 日本で最も海抜が高いところに建てられたことでも
知られている備中松山城。 雲海の中に浮かぶ天守閣は幻想的で美しく、皆さんの中にも
ご覧になった方がおられるかもしれません。

平成22年、桜美林大学弓道部創部40周年記念に、私が著した「吉田能安先生追想録」の
中に、「吉田能安先生のふるさとを訪ねてお墓参り(岡山県高梁市 寿覚院)」という
一文を載せてあります。 その中で、市内を散策後の感想として、「 ……その昔、 この
地(高梁市)は相当な財力と教育力があったであろうことが容易に想像できる、……… 」
という文を綴って結びとしています。 

この私の感想を証明するかのような番組が、先頃放送されました。 それは、平成31年4
月22日放送の、NHKファミリーヒストリー「お笑いコンビ千鳥・ノブ」。 ノブさんの
父方、母方のそれぞれのご実家が裕福であったこと。 特に母方の実家は高梁にあり、
その実家を含め多くの商人が、江戸時代から高梁川を利用した高瀬舟に米や麦、銀や鉄を
積み、玉島港へ運び多大な収益を得ていたこと。また農家の中には、近隣の山々の赤松
根本に自生した松茸の収穫により、「松茸御殿」が立つほど、裕福な方々が多数おられた
ということが、紹介されておりました。

このように、昔から代々高梁に住まわれて来られた方々に、確かな経済力が備わっていた
からこそ、高地に備中高松城が築城され、立派な武家屋敷通りも、長年にわたり維持管理
されてきたものと推察されるのです。またあのように立派で格式ある多くの寺院は、豊か
で裕福な檀家の皆様方のご浄財によって、守られてれているに違いありません。 

それ故、このような歴史的な背景により、明治以降もこの高梁市から、政財界、教育界、
スポーツ界等のあらゆる分野で、能安先生始め、多くの有為な人材が輩出されていること
も、なるほどと理解できるのです。


次回は、このブログの主目的である、弓道について「能安先生から教わったこと」を述べ
てみたいと考えております。

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出来る限り継続して参りたいと考えておりますが、不定期となりますことをご了承
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60 能安先生考案 ゴム弓の復元改良型 その2

2018/ 12/ 18 カテゴリ: 能安先生から教わったこと


復元改良型ゴム弓の特徴 
 (前回のブログ59番で紹介した復元型と比較し、材料・方法に違いはあるが考え方は同じ)

………(ア)ゴムの長さを調節できる (イ)実際の弓返りに似た感触が味わえる ………

①能安先生考案          ②能安先生考案
上下二穴の復元改良型       上下一穴の復元改良型
B60-12.png

1 能安先生考案のゴム弓を復元し、改良に至った経緯について
 ⑴ 復元型は、本体と生ゴムが直に繋がっていたため、「離れ」で的方向に鋭く伸びて
  いったゴムがその反動で戻る際に、弓手や握りこぶしに当たることがありました。
  当たる度合いは、大事に至るような強さではなく軽いものでしたが、改善が望まれ
  るところでありました。
 ⑵ そこで、吉田教場の私の弟弟子が、実際の弓返りに似た感触が味わえるよう、本体
   とゴムの間に鹿革を使用し改善製作したものが、今回の復元改良型なのです。
 ⑶ 使ってみると、「離れ」でのゴムの戻りが軽やかになり、弓手の裏筋に戻り、実際
  の弓返りのような感触が味わえ、弓人の皆様方にお薦めできる逸品であります。


2 能安先生考案ゴム弓 改良復元型の特徴
 (ア)ゴムの長さを調節について 

B60-21.png

   ⑴本体とゴムを繋ぐ鹿革の長さを調節する。(写真③④参照)
   ⑵二穴の上と下を入れ替えて調節する。(写真③参照)
   ⑶マイゴム弓にする場合は上下を一穴にする。(写真④参照)

 (イ)実際の弓返りに似た感触が味わえる、弓返りができる仕組みについて

B60-31.png

   ⑴ 外竹側から出た鹿革(弽紐を裁断したものを使用)を側木の方向へ、
     L字型に巻きつけることです。(写真⑤⑥参照)
   ⑵ 本体とゴムを繋ぐ鹿革が、「離れ」でのゴムの戻りを軽やかにし、実際の弓返
     りに似た感触が得られます。(写真⑤⑥参照)


3 復元改良型に使われる材料の説明(写真⑦参照)

B60-71.png

 ⑴ 生ゴムよりも、強度と耐久性に優れた市販(弓具店にて販売)の二重ゴムを使用。
 ⑵ 右から2番目の紫の革は、本体とゴムを結ぶために使われ、強度を必要とするため
   弽の大紐の鹿革を裁断したものす。
 ⑶ 右端の細い革は、本体の外竹側から出た鹿革の輪に、ゴムの先端を通し折り返し、
   二箇所で固定する際に使い(写真⑦の左から2番目を参照)、握り革を裁断した
  ものです。 ペンチ2本を使って両端を締めると、確実に固定されます。
 ⑷ 上記材料のゴム弓本体の竹弓だけが入手困難かもしれません。 その場合は
   前回のブログ59番で紹介した木製のもので、十分代用できます。


4 この復元改良型のゴム弓を使った「打起し」から「離れ(弓返り)」まで

B60-51.png

B60-61.png


5 能安先生考案 復元改良型 ゴム弓 (写真⑧を参照)

⑧現在私が所有しているゴム弓の一部
B60-012.png

 ⑴ このゴム弓を製作した弟弟子に、使用できなくなった中古の弓が手に入ったら作っ
  て欲しいと依頼した私の要望に応え、提供してくれた10数本の一部です。  
 ⑵ このゴム弓は、仕事場(休憩時に)・試合(控え室で)・出張(カバンに収納
  可)・ 旅行(ホテルの部屋で)等に携行でき、狭い場所での稽古に使用できるため
   大変重宝しております。 
 ⑶ 中級・上級者の皆様は以下を参考にマイゴム弓づくりに挑戦してみては如何ですか。


6 知人が使うゴム弓
 ◎「私のゴム弓は、先生のように弓返りしないんですよね。」と話しかけられ
  「ゴムの入りを以下のように、変えてみては如何ですか。 ゴムの先端を
  セロテープで巻いて細めにすると、穴への通りも良くなり、簡単に変えられ
  ますよ。」と申し上げたところ、後日、弓返り成功とのご連絡を頂戴。

B60-9.png

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出来る限り継続して参りたいと考えておりますが、不定期となりますことをご了承
戴き、気長にお待ち戴ければ幸いに存じます。

次回以降は、以下のことを予定しております。
 ブログ61番 能安先生の出身地 岡山県高梁市がロケ地であった映画の紹介
 ブログ62番 矢番え(矢さばき)は、四つ弽でも三指(親指・人差し指・中指)で

今年のブログ(能安先生の教え)は今回の60番で終了します。 来年も引き続き
継続致しますので、ご笑覧戴ければ幸いに存じます。

それでは皆様良いお年をお迎えくださいませ。 

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59 能安先生考案 ゴム弓の復元 その1

2018/ 12/ 09 カテゴリ: 能安先生から教わったこと


能安先生が考案されたゴム弓の特徴

  ………(ア)ゴムの長さを自在に調節できる (イ)弓返りができる  ………                   

① 能安先生考案ゴム弓の復元  ②能安先生考案ゴム弓の復元改良型
B59-1.jpg
  今回のブログ59番で詳細を    およそ1週間後アップ予定のブログ
  解説致します。          60番で詳細を解説致します。  


1 写真①についての補足
  吉田教場に確認したところ、能安先生が考案し業者に作らせたゴム弓は、現存してい
  ないとのこと。 そこで私が南郷高校弓道部顧問時代に、能安先生が考案されたゴム
  弓の記憶を辿り、復元したものを代替えとして載せました。 実物のゴム弓の本体は
  ②のように竹弓の一部を使用しておりました。 中古の竹弓の入手が困難であったた
  め、ゴム弓の本体部分は、40数年前に木工所経営の友人に、グラス「錬心」を見本
  として、30本ほど作ってもらったものです。


2 写真②についての補足   
  私より歳の離れた弟弟子が、10数年前から、能安先生考案のゴム弓の記憶を辿り、
  改良に改良を重ね製作し、私に提供してくれたものです。


3 能安先生考案のゴム弓の二大特徴について 
 (ア)「ゴムの長さを自在に調節できる」 
   写真③~⑥でお分りのように、「上下に二つの穴(二穴)を設ける」ことです。
   このことにより、ゴムの長さを自在に調節できるため、矢尺の違う者同士がゴム弓
   を共有できますし、ゴムの強弱も変えることもできるのです。 中学・高校の弓道
   部で初心者指導に活用できるものと思われます。 写真③のように、ゴムの先端に
   セロテープ(ビニールテープでも可)を巻いて細めにすると、簡単にゴムを通すこ
   とができます。 このような要領で下部の二つの穴(二穴)にもゴムを通し、ゴム
   弓の完成です。

< 長 さ を 調 節 で き る 仕 組 み >
B59-2.jpg

B59-3.jpg


 (イ)「弓返りができる」
    写真⑦~⑨でお分かりのように、「外竹側から出たゴムを側木側の方向へ、L字
    型に巻きつける」ことです。 このことにより、弓返りが可能となります。

< 弓 返 り で き る 仕 組 み >
B59-4.jpg


4 このゴム弓を使った「打起し」から「離れ(弓返り)」までは以下の通り

B59-5.jpg
B59-6.jpg


5 このゴム弓製作の材料について

<ゴム弓製作材料>
B59-14.png

 ⑴ ゴム弓本体の長さ50センチ
  木工所に依頼し製作したものです。
  工業高校さんであれば、学校で簡単に作れます。
  写真の現物は40年前に製作したもので、「紫光」と私の号が書かれれており、
  私が指導に利用したものです。

 ⑵ 生ゴム120センチ~140センチ
   医療機器販売店で入手できます。


6 能安先生がゴム弓製作に関わった経緯について
   私は桜美林大学弓道部の初代として2年から4年までの3年間(昭和45年~昭和47
   年)、主将を務めさせて頂きました。 その3年間のいつ頃であったか、記憶が曖
  昧で、年度を特定できないのですが、吉田教場遊神館弓道場に弓具店関係者と思われ
  る方が、お作りになった何本かのゴム弓を持参し、能安先生にそのゴム弓の改善点に
  ついて、ご助言を頂いている場面に出くわしたことがありました。 1週間後に稽古
  に伺うと、先生は上機嫌で「いいゴム弓ができたんだ。」とご満悦のご様子。 実際
  お引きになり、「どうだ、弓返りもするだろう」と。 卒業後、高校教員となった私
  は、弓道部の指導に、このゴム弓を活用させて頂くことになるのです。

【注意・補足】
 ⑴ 中学・高校の初心者指導に使えるかもしれません。
 ⑵  3(イ)の「弓返り」で説明したようにゴムを弓に巻きつけることが重要です。
 ⑶ そのことにより、ゴムが「離れ」で弓手や握りこぶしに直接当たることはありません。
 ⑷  但し、「離れ」の反動でゴムが戻り、弓手や握りこぶしに当たることがありますが、
   (4「離れ(弓返り)」の写真参照)軽いもので、痛くもなく大事に至る心配はありません。  
 ⑸  このゴム弓に改良を重ね、快適にしたものを、次回ブログ60番で紹介致します。


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出来る限り継続して参りたいと考えておりますが、不定期となりますことをご了承
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次回は、以下のことを予定しております。
 ブログ60番 能安先生考案 ゴム弓の復元改良型 その2
 ブログ61番 能安先生の出身地 岡山県高梁市がロケ地であった映画の紹介
 ブログ62番 矢番え(矢さばき)は、四つ弽でも三指(親指・人差し指・中指)で

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58 能安先生の知恵工夫(矢筒立て)

2018/ 11/ 13 カテゴリ: 能安先生から教わったこと


矢筒を、簡単な方法で壁に固定できないものか

  ……… 竹で輪つくり、それを壁に取り付け、その中に矢筒を差し込む ………

能安先生が考え出されたのは、竹で輪っかをつくり、それを壁に取り付け、その中に矢筒を差し込む方法でした。 以下の写真は、今も変わらぬ吉田教場(遊神館弓道場)のその矢筒立です。 その前には三尺程のベージュ色の絨毯が引き詰められ、正座をして稽古を見学できる控えになっています。 私が学生の頃(昭和44年)には既に設置されており、その当時でさえも、古く枯れた年代物に感じられ、戦前に作られたものではないかと推測されるものでした。

B58-01.jpg

<吉田教場の矢筒立て>


この方法であれば、矢筒の上部を固定しただけで、矢筒は倒れず、場所も取らず、コンパクトに収納できるのです。 私は学生の頃から、流石に能安先生がお考えになっただけに、理にかなった簡易な方法であると思い、卒業して青森へ帰ったら、真似て作り弓道場に設置しようと考えておりました。

次の写真②は、平成6年私が田子高校に赴任した当時、吉田教場の矢筒立てを思い出し、真似て、弓立てに矢筒立てを設置したものです。 等間隔にフックを配列し、そのフックに手芸店で購入した紐を輪状に結びつけたものです。 先日所用で田子高校に立ち寄った際に、撮影させて頂きましたが、20数年経過した現在でも使える状態でありました。

写真③は、私が賛助会員となり、時々稽古させて頂いている、隣町の弓道場に設置された矢筒立てです。 前の会長さん時代に、私が学生時代稽古した吉田教場の矢筒立ての細工をお話ししたところ、それをもとに早速翌日に写真のように設置されたのです。 この矢筒立てにより、それまでは矢筒を床の上に積み重ねて余分なスペースを取っていた状況や、壁に寄りかけて少しの振動で将棋倒しになる不安定な状況等が解消されたのです。

B58-2.jpg

<吉田教場の矢筒立てを真似て作られたもの>


次回は、以下のことを予定しております。
 ブログ59番 能安先生の考案された 「ゴム弓」について
 ブログ60番 矢番えß(矢さばき)は、四つ弽でも三弓(親指・人差し指・中指)で


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57 弓弝・弝引き 等について

2018/ 10/23 カテゴリ:能安先生から教わったこと


弝引きにより弓手の手の裏に空間ができる

  ……… その空間により、打起こしから大三からへの
       スムーズな受け渡しが可能となる等
          様々な効能が生まれる  ………

1 「弓弝」について
 弓弝という名称の指す位置については、文献を見ると、流派により諸説あるようですが、
 能安先生からは、以下のように教えて頂きました。

 握りと張られて弦の間隔を、弓弝と言う。 弓弝は15センチを標準とし、それぞれの
 弓の特徴により、±5ミリ程度が許容範囲であると。

2 「弝の高さ」について
 弓弝が標準より狭いと、弓弝の弓を省略し「弝が低い」と言う。 また、弓弝が標準よ
 り広いと、弓弝の弓を省略し「弝が高い」と。

3 「弝引きの要領」及び「弝引きの効能」について  【○印=要領、 ◎印=効能】
 (1)「弝引きの要領と効能」1
   ○ 以下の写真のように、弓手の三指(中指・薬指・小指)の指先の腹で、握りの
     部分を、下矧の矧ぎ始め(羽と下の境目)のところまで引くことを、「弝引
     き」と言います。
   ○ 写真①②は、三指の指先の腹で引いていることを、理解して頂くために、敢え
     て、親指を中指から離しています。 
   ◎ 写真②は、弝引きにより弦が筈に食い込んでいます。 このことにより『筈こ
     ぼれ』を防ぐことがでます。

B57-1.jpg


(2)「弝引きの要領と効能」2
   ○ 以下の写真③は、取り懸けた後になされる、実際の「弝引き」の様子です。
   ○ 握りの外竹側と手の裏の間に空間ができています。
   ○ 写真④はその空間に矢が2本入れられています。 能安先生はそのようにして、
     空間ができているか、確認したものでした。

   ◎ 弝引きにより、弓が弦に向かって収縮する(戻る)力が生じます。 その力によ
     て、弓が三指(中指・薬指・小指)の指先の腹側に、吸盤のように吸い付き、手
     の裏の中で固定されます。 そのため、弓を握る力を必要とせず、弓を支えること
     ができるのです。

B57-2.jpg


 (3) 「弝引きの要領と効能」3
   ◎ 「弝引き」の後、「打起こし」に入ります。 弓手は前述した通り、「弝引き
     に」より弓を握る力を必要とせず、弓を支えることができますので、勝手主導で
     打起しをすることができます。

   ○ 能安先生はその際の注意点として、次のように言われたものでした。 
     『掌根が外竹にくい込むようにする(写真⑤⑦)。
     掌根が外竹から離れてはいけない(写真⑥)』と 

B57-3.jpg


 (4)「弝引きの要領と効能」4
   ○ 「打起こし」から、弓手主導で「大三」に入ります。
   ○ 能安先生は、「大三」でも空間ができているか、写真⑧のように矢を入れて確
     認したものでした。

   ◎ 弝引きにより、「握りの外竹側」と「手の裏の中にできた空間」により、打起
     こしから大三への、スムーズな受け渡しが可能となります。

   ○ 大三において初めて、手の裏の三点で弓を支え持つようにします。
     (「弓の道 正法流入門」のp88、図7を参照して下さい。)

B57-4.jpg


以上、能安先生から教わった「弝引き」の要点について、述べて参りました。 私はこの「弝引き」を会得することが、弓道上達に関わる大事なことの一つであると考えております。

【注意】
  手の裏の中の矢は、あくまでも空間ができているか確認するためのものです。
  矢を入れたまま引くのではありませんので、ご注意下さい。

次回は、以下のことを予定しております。
 ブログ58番 能安先生の知恵と工夫 「矢筒立て」について
 ブログ59番 能安先生の考案された 「ゴム弓」について

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56 手の裏の作り方の要領

2018/ 09/09 カテゴリ: 能安先生から教わったこと


手の裏の形を真似ようとせず、指の働き(骨法)を知ることが大事

  ………以下の写真通り、基節や中節に負荷を掛け、手の裏を作る稽古………

空手の使い手が素手でブロックを割る光景を、思い出してみて下さい。 あれは指の
骨の働き(骨法)を生かし、あたかも鉄骨のような手を作っているのです。 

これと同じように、弓手の手の裏も、指の骨の働きを得とくすれば、自ずと手の裏の
形も良くなり、更には弓が弦に向かって収縮しようとする力(弦も弓に向かって収縮
しようといている)に打ち勝つ堅固な手の裏が出来、その手の裏で弓を正しく押し開
いて(押し返して)いくことができるのです。

手の裏の作り方の要領を説明するに当たり、「基節」「中節」という関節名を使いま
ので、このブログの07番で説明した、能安先生がお使いになる関節名を今一度繰り
返させて頂きます。

  能安先生が仰るには、指の根元から
   基節 (第一関節 略して 一節)
   中節 (第二関節 略して 二節)
   末節 (第三関節 略して 三節)
    『人間の身体は心臓が中心で、心臓から端に向かって1・2・3~と
     数えていく。従って指先の端の関節は「末節」と言うのだ。』と、

◎手の裏の作り方を得とくする要領(以下の写真を参考) 
  親指・人差し指・中指・薬指・小指の基節をつぶすように負荷を
   掛けながら、指先を織り込み、それぞれの基節が外側に張るようにすると、
    手の裏の中の空間がつぶれることなく、手の裏ができあがる。

< 基節に負荷を掛けながら手の裏を作る稽古法 >
B56-01.pngB56-06.pngB56-02.pngB56-06.pngB56-03.png


◎手の裏が堅固にできているか確認する要領(以下の写真を参考)
  左の写真のように、中節に負荷を掛けてもつぶれないようにする。
   右の写真のように、つぶれるのであれば、中節の外側へ張りが不足。

< 中節に負荷を掛け、堅固な手の裏が出来ているか確認 >
B56-04.pngB56-05.png
◯             ×

このようにして出来上がった手の裏は、骨が外側に張っているために、外側は堅固で
内側が柔らかく、いわゆる「握卵の手の裏」(卵を手の裏に入れても割れない)となり、
この手の裏で「弝引き」を行えば、「打起こし」から「大三」への受け渡しが、スムー
ズに行われることになります。

次回は、能安先生から教わった「弝引き」の効用について、述べてみたいと
考えております。

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55 弦を弓に直に巻きつけてはならない

2018/ 08/ 08 カテゴリ:能安先生から教わったこと


クスネが弓にこびり着き、その除去に一苦労することになる
………弓を右近(中袋)に入れその上から弦を巻き付ける………

各種弓道大会の控え室でよく見かけることすが、竹弓に直に麻弦を巻きつけ、その上に
弓巻きを巻いている方が結構多くおられます。 初心者ならばいざ知らず、錬士・教士
の先生方でも平気でそのようなことをされており残念なことです。 夏場であれば弦巻
に弦を収めれば、クスネから弓を守ることができます。

クスネが弓にこびり着いたら、厄介なことになり、それを取り除くには、かなりの労力
を要することになります。 その防止策として、能安先生から以下のように教わりました。

  『弓を右近(中袋)に入れその上から麻弦を巻きつける。
   右近が汚れたら洗濯すれば済むことだが、弓は洗濯できない』

B55-03.jpgB55-01.jpg

       クスネから弓を守る右近(中袋)

時には、弦をはずして弓を休ませることも必要になるでしょう。 そのような場合は、
以下の写真のように教わりました。

   『「休め弦」(弦輪についている白い糸の輪)を
      本弭(下弭)にかければ、弦を弓に巻きつけなくても良い』

B55-03.jpgB55-02.jpg

     弦輪につく「休め弦」を本弭(下弭)にかける

近年、弦輪に「休め弦」が着いていない弦が増えてきています。 弓人にその使用
方法が分からない方が増え、伝統の「休め弦」が消えて行く運命にあるのでしょうか。
誠に残念なことです。

以上、竹弓を大事にしてもらいたいという主旨で、能安先生から教わったことを述べて
みました。

何れにしても、竹弓を「鹿皮」や「木綿の手ぬぐい」等で磨き、年数を掛けて飴色に
育ててゆく面白みを味わって戴きたいと願っております。

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54 麻弦の扱いについて

2018/07/28 カテゴリ:能安先生から学んだこと


クスネでくっついている麻弦の簡単な剥がし方
………麻弦を床に軽く打ち付けるようにすればよい………

クスネでくっついている麻弦を無理やり剥がそうとすれば、麻弦の表面がほつ
れ、毛羽立ったようになり、弦が切れ易く長持ちもしないものです。 

この麻のほつれを防ぐ方法を、能安先生から次のように教わりました。
  『麻弦を床に軽く打ち付けるようにすれば
    クスネでくっついた麻弦が簡単に剥がれるものだ』 と。

以下ように弦をほぐした後で、上仕掛け、中仕掛けを作っていきます。 
(1)新弦5本のほぐし方
B54-01.jpgB54-05-2.pngB54-02.jpg

(2)新弦1本のほぐし方
B54-03.jpgB54-05-2.pngB54-04.jpg


近年、合成弦の性能が向上してきており、季節や地域の気温の変化に対応し、
麻弦と合成弦を柔軟に使い分けることをお勧め致します。

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このブログは「能安先生から教わったこと」を書き綴るために始められました。
出来る限り継続して参りたいと考えておりますが、不定期となりますことを
ご了承戴き、気長にお待ち戴ければ幸いに存じます。

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53 .射抜かれた兜 能安先生の故郷へ

2018/ 3/15 カテゴリ:お知らせ


能安先生の射抜かれた兜が、先生の故郷へ


………岡山県高梁市歴史美術館の収蔵庫に納められる………

B53-01.jpg

正法流紫鳳会会長土井春夫先生からの情報によりますと、能安先生の射抜かれ
た兜が、昨年(平成29年)能安先生の故郷岡山県高梁市に保管されることに
なったとの事でありました。 この件については、高梁市の市長さんはじめ、
高梁市ご出身の著名な方々の働きかけにより実現されたものであると伺っており
ます。 関係各位のご尽力に感謝申し上げるとともに、あの兜があるべき地に
引き取られ、セキュリティ管理の効いた公共施設に保管されることは何よりの
ことであります。 泉下の能安先生も安堵され、大変喜んでおられることであり
ましょう。

高梁市教育委員会社会教育課に問い合わせたところ、この兜は、高梁市文化
交流会館内にある歴史美術館収蔵庫に、納めらていることが確認できました。

歴史美術館の担当者によりますと、常時展示されておらず、随時企画されるイ
ベント時に一般公開されるとのこと。 一般展示公開される場合は、約一ヶ月
程前に、歴史美術館のHPに設けられた掲示板に、紹介されることになっている
そうであります。

興味のある方は、歴史美術館HP掲示板で展示日時を随時ご確認され、岡山県
高梁市に出向かれ、その目で直に射抜かれた兜をご覧下さいいませ。


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52.楷書の基本「九成宮」を学べ

2018/ 2/ 8 カテゴリ:能安先生から学んだこと


何事(書道・弓道 等々)においても基本が大切である

  ………「東京に帰ったら「九成宮」の拓本を探し君に送ろう」………

前回のブログで申し上げた道場開きの翌年昭和56年、能安先生にお願いし、
再び南郷高校へご指導に来て戴きました。 先生は道場にお入りになると、
名入りの右近(中袋)に入った弓が並べられてある弓立ての前に行かれ、
右近に書かれた学校名と氏名をじっとご覧になられておりました。 すると
生徒に向かって「これは誰が書いたんだ。」 一瞬の沈黙の後、元気な女生徒
の一人が、「山崎先生に書いて頂きました。」と。 「そうか。」とだけ仰っ
た能安先生。

大学時代に能安先生から右近に名入れをして戴いた経験から、先生の書体を
真似て毎年新入部員に、私が書いてあげていたのです。 先生は真似た書体が
気に懸かり、何かを言われようとしたご様子でしたが、直ぐに話題を変え稽古
指導に入られました。 生徒の前で私の書の批評を避けた能安先生のご配慮が
あったのです。

以下は、6年程前に母校桜美林大学弓道部の学生から依頼を受け、右近(中袋)
に書いたものです。 このような感じで、「南郷高校弓道部 山田太郎」と書
いていたのです。

B52-01.jpg

また母校桜美林大学弓道場に掲げる部員の木札を、これも学生の依頼を受け、
能安先生の書体を真似て、数年間書いておりました。 揮毫に当たっては
以下ように、先ずは方眼紙に字配りを考え、手直しを繰り返し、練習をした
後で、木札に向かい書き上げていたのです。 能安先生であればそのような
事はせず、木札に一気に書き上げ完成させます。 そこが素人の私と、プロ
の能安先生との違いなのです。 木札の現物は卒業時に部員が記念に持ち帰
っていたようです。

B52-02.jpg

話を前に戻します。 南郷高校での弓道稽古指導を終え、宿泊先の我が家へ
ご案内の車中、能安先生が、右近に書いた私の書体を話題にされ、次のよう
なご助言を戴きました。

 「君は僕の書体を真似る前に、もう少し楷書の基本を学ばなけりゃ
  いかんな。 書でも弓でも全てが、基本が大切なんだ。 それが
  出来たら、行書・草書と進み、自身の書体を確立するがいい。

  そうだ、東京に帰ったら楷書の基本『九成宮』の拓本を探して、
  君に送ってやろう。」

能安先生が東京に戻られて数日後、真新しい『九成宮』の拓本が送られて参り
ました。 楷書の基本である『九成宮』をしっかりと学べという手紙が添えら
れて。 あれから37年も経過しました。 今でも私の書棚に能安先生から贈ら
れた、この『九成宮』の拓本が納められております。

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51.神棚の寸法について

2018/1/1 カテゴリ:能安先生から学んだこと


南郷高校弓道場建設時に 学んだこと ご協力戴いたこと
 お社を祀る神棚の横幅は3尺6寸5分、 奥行きは1尺2寸

 ……… 1年は365日 月で言えば12ヶ月 からきていると ………

私は昭和53年八一高から南郷高校へ転勤。 そこで弓道部を創設、翌年の
54年には運良く国体選手を育てることができ、そのことが評価を戴き、55
年春に弓道場が完成致しました。

この道場の設計については、能安先生から種々ご助言を賜りました。また
部員の保護者の方々からも、矢道の芝の提供、安土の土台の手直し、カー
ンの提供、神棚に祀るお社の提供等々。 偶然にもそれぞれに関係する
ご商売をなさっている保護者の方々がおられ、有り難くそのご厚志を頂戴
致しました。

大工さんが最後の仕上げの段階に入り、神棚の寸法を尋ねられ答えに窮して
しまったのです。 急いでおりましたので、能安先生にお電話をかけご相談
申し上げたところ、いとも簡単に以下のようにお答えになりました。

  『神棚の横幅は3尺6寸5分、 奥行きは1尺2寸
    1年は365日(3尺6寸5分) 月で言えば12ヶ月(1尺2寸)
       からきていると 覚えておけば良い 』

今でも、当時の電話向こうの先生の得意げなお声が耳に残っており、大切な
事をまた一つ教えて戴いたと感激したことを覚えております。

更に、能安先生には次のことをお願いし、いずれも快く引き受けて頂きまし
た。 道場への命名依頼(「正法館弓道場」と命名)。 その名を木製看板
に揮毫依頼(その看板は道場玄関に設置される)。「致中和」の書を揮毫
依頼(額装し射場内に掲額)。

道場開きには、能安先生・レイ先生のお二人をお招きし、盛大に開催されま
した。 審判席にすわる能安先生の目の前で、生徒の祝射(五人立ち)の
最初に登場し、大前を勤めた3年の笹本義彦君が甲矢を的中、レイ先生が私
の耳元で「この子は射がいいわね。」と囁いた直後に乙矢を甲矢に押し込み、
継矢を成し遂げるという快挙を達成。 道場開きに華をそえる縁起の良い始
まりとなった次第でありました。

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50.阿波研造門下・三英傑(神永・安沢・吉田)の書

2017/12/12 カテゴリ:雑記


神永書「真」、安沢書「善」、吉田書「美」「弓の道の究極の目標」

……… 青森市スポーツ会館弓道場に掲額 ………

みちぎんドリームスタジアム内にある青森市スポーツ会館弓道場(青森市合浦1-13-1)
には、阿波先生の高弟である、神永・安沢・吉田の三先生が書かれた「真善美」の書が
表装され掲額されております。

B50-01.jpg

吉田能安先生書「美」、安沢平次郎先生書「善」、 神永政吉先生書「真」


B50-02.jpg
大前:吉田能安先生、中:安沢平次郎先生、大後(おち)神永政吉先生

この額が存在することを、このHP「吉田能安先生追想録(PDF版)」で紹介した
ところ、遠方の方々から、遠い青森へ行く機会がそうあるわけでもなく、写真で紹介
してもらえまえかとうご要望をたくさん頂戴いたしました。

そこで、青森市弓道連盟の前会長の千葉健一先生、現会長の沼館孝雄先生のご了解を
得て、今回このブログでその「真善美」の額を、上記の通り紹介させて戴きました。

両先生のお話によると、昭和29年新制青森高校の弓道場落成道場開きに、神永・安沢
吉田の三先生をお招きしした際に、佐々木龍蔵先生の御発案により、青森市営弓道場
用にと、揮毫して戴いたとのことであります。

「真なるもの」「善なるもの」は「美しい」という「真善美」は、弓の道の究極の
目標でもあります。 神永・安沢・吉田の三先生が書かれた「真善美」の額が掲げら
れた青森の道場に立つと、「一射一射抜かり無くと」身の引き締まる思いが致します。


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今後の予定として「能安先生から教わったこと」については、以下のことについて
述べてみたいと考えております。 順不同となることもご了承戴き、気長にお待ち
戴ければ幸いに存じます。

◎  射は君子の争い
◎ 「射」は観徳の器である。
◎ 書の基本「九成宮」を学べ。
◎ 「弝引き」の効能と重要性



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