兜射貫き・弓道「正法流」開祖 吉田能安 門下生・山崎誠のHP

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正法流の射義・射法については「弓の道 正法流入門」「弓道いろは訓」「弓道研究」等を
参考にして下さい。私が能安先生から教わったまさしくそのものが書かれています。
このブログではそれ以外のことで私が教わったことやエピソード等を書き綴っております。

85 能安先生のあの指導から、自らの射が変わった その ⑴

2024/ 3 / 28 カテゴリー : 能安先生から教わったこと


……… 能安先生から 「取り懸け」を 指導して頂いた時の驚き ………

1 「取懸け」は以下の写真のように指導して頂く
 ⑴ 親指を審判席方向に伸ばし、三指の基節・中節・末節を柔らかく深く折り曲げさせ、能安先生は
   以下の写真のように両手で包み込むように優しく握られた。

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 ⑵ 両手で包み込むように握られた「取り懸け」の弽をつけた形と、弽をつけていない形

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2 この「取り懸け」指導を通じ、「自らの射が変わった」と感じ学んだこと
 ⑴ 「取り懸け」の形が、「打起し」「大三」「引き取り」「会」までそのまま形で
   続くように教わり、以来そのことを実践し「自らの射が変わった」と感じている。  

 ⑵ 「こんなに三指を柔らかく深く折り曲げる取り懸けをして、鋭く離れるのだろう
   か」との驚きと不安は杞憂であったと、以下のことにより知ることになる。 

  ア.この「取り懸け」により、「大三」で下弦を捻り易くなる。

  イ.下弦を十分に捻ることにより、その反動で「離れ」の際に、親指の跳ねが鋭く
    なるため、矢勢が強まることを実感する。

 ⑶ 能安先生が、ご自身で作くられた「弓道いろは訓」で、「取り懸けで 離れの良し
   悪し 定まるぞ」と謳われている。 まさしくその通りであると再認識した次第。

なお、「取り懸け」については、紫鳳会発行「弓の道 正法流入門」の48ページから49ページ
に詳細が書かれておりますので、そちらも参考にして頂ければ幸いであります。


経験したことがないような2月の暖かさ。 それが3月になると今度は真冬へと逆戻り。
このような2月3月の気候の逆転により、自律神経が悲鳴をあげる昨今。 4月には平年並みの気候を
願うばかり。 弓人の皆様、インフルエンザや新型コロナに罹患されないようお気をつけ、弓道稽古
にご精進下さいませ。


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このブログは「能安先生から教わったこと」を書き綴るために始められました。 出来る限り継続して
参りたいと考えておりますが、不定期となりますことをご了承戴き、気長にお待ち戴ければ幸いに存じます。

次回は、「 能安先生のあの指導から、自らの射が変わった その ⑵ 」を、お届け致します。

84 70年前に作られた鷹の剥製

2024/ 1 / 29 カテゴリー : 雑 記


……… 70年前に祖父が購入した鷹の剥製を受け継ぐ ………

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1 70年前に祖父(母の父)が購入した鷹の剥製を受け継ぐ
 昨年墓参で母の実家を訪問した際、現当主で12歳年下の従弟から「鷹の剥製保存に苦慮しており
 従兄で弓を引かれる誠兄さんなら、私ども素人より羽の扱いに精通しておられるはず、差し上げ
 ますので、祖父のためにも受け継いで頂けませんか」との申し出を承諾し、私も幼少より知って
 いるこの鷹の剥製二体を頂戴した次第。 一体は和室の床の間に、もう一体は玄関に飾り祖父の
 思いを受け継ぐことに。

2 祖父が鷹の剥製を購入した経緯
 母によると、今から70年(昭和28年 ~ 昭和30年/1953 ~1955)ほど前に大相撲の巡業で母の
 実家に、横綱が宿泊することになり、祖父がお泊まり頂く和室の床の間に、「鷹の剥製」二体を
 飾りたいと知人から購入し、現在に至っていたのだという。

3 戦後の復興中に大相撲の地方巡業が田舎でも開催される
 終戦後から昭和30年代にかけて、大相撲の地方巡業は、一門毎や相撲部屋毎に行われていたらし
 い。 旅館のない村などでは民泊が主で、母の実家にも割り当てられ、出羽一門巡業時には横綱
 千代の山が、立浪一門巡業時には横綱吉葉山が宿泊されたそうだ。 当時田舎では娯楽が少なく、
 大相撲の地方巡業は楽しみの一つであったという。

4 掲額されている色紙について
 『瑞気満堂(「ずいきまんどう」めでたい気が屋敷にあふれている)』の色紙は、三戸大神宮山崎
 茂穂宮司(福岡大教授山崎好裕先生のお父様)が神社本庁から取り寄せられたものを頂戴し掲額し
 ている。

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「73になったんだって。 60・70なんて、洟垂れ小僧」と、80代以上の先輩方からは、そのように
言われる。 教え子たちからは「先生、70代に見えません。60代前半ですよ」と、よいしょされ、
よいしょと分かりつつも、その気になっている。 まだまだ夢も希望もあり、それらを叶えるために
これからは「永遠の60代」と名乗ろうと思う。 さらには、弓道と自己流の書、動と静を併せての
暮らしを通じ、心豊かな日々を重ねて行きたいと念じている。

【次回の予告】
私自身の射を変える「気付き」示して下さった、能安先生の卓越した指導について

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このブログは「能安先生から教わったこと」を書き綴るために始められました。出来る限り継続して参り
たいと考えておりますが、不定期となりますことをご了承戴き、気長にお待ち戴ければ幸いに存じます。

【お見舞い】
正月早々の「能登半島地震」によりお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災され
た北陸地方の皆様方に、心よりお見舞い申し上げます。 皆様が平常の生活に戻られますよう、一日も早
い復興をお祈り致しております。

83 「おち」の表記について

2023 / 11 / 28 カテゴリー : 能安先生から教わったこと


………  「おち」の表記は 「大後」 それとも 「落」 ………

1 能安先生から教わった「おち」などの 表記 (5人立ちの場合)
   1的 (1の立) 大前   「おおまえ」
   2的 (2の立) 大前次  「おおまえつぎ」
   3的 (3の立) 中    「なか」
   4的 (4の立) 大後前  「おちまえ」
   5的 (5の立) 大後   「おち」

2 大学生の大会などで使われる「おち」などの 表記 (5人立ちの場合)
   1的 (1の立) 大前   「おおまえ」
   2的 (2の立) 弐的   「にてき」
   3的 (3の立) 中    「なか」
   4的 (4の立) 落前   「おちまえ」
   5的 (5の立) 落(大落)「おち」

3 「おち」の表記に関する識者の見解
   過日、「おち」の表記は「大後」と「落」のどちらが相応しいか、福岡大学教授山崎好裕先生に
   伺ってみました。 以下は、先生から頂いた回答(原文)であります。

   まず律令国名の前・中・後ですが、各国は都から近い順に前・中・後と分けられます。
   筑前・筑後のように中が無い場合もありますが、いずれにしても後が意味するのは遠国という
   ことです。

   ここから考えられる古語のオチは「をちこち」の「をち」で、空間的にも時間的にも遠いことを
   意味します。 そうすると「大後」は立ち位置が手前から遠い、あるいは射順が後であるから
   「をち」という解釈も成り立ちそうです。

   でも、「落」の仮名は「おち」で「をち」と違いますのでこの解釈は妥当ではありません。
   だとすると、落語のオチの「おち」と同じと考えるのがいちばん素直でしょう。
   「おち」 には結末や最後の意味が元々あり、「のち」と同じ語源と考えられます。
   「滝水が落つ」や「戦場より落ち行けり」などの「おつ」の用例から、その場から姿を消すの
   意味で最後を表現するようになったと考えられます。

   したがって、「おち」を落と書いてしまわずに大後と書いて「おち」と読ませるのは、非常に深
   みを感じる表現のように感じます。

   なお、個人的な意見としては、表記は吉田先生の方式がいちばんわかりいいと思っています。
   その上で、大後前を「おちまえ」、大後を「おち」と読ませるのが伝統に従う良い方法ではない
   かと思います。 無論これは私の見解にすぎません。

   【福岡大学教授、山崎好裕先生の経歴】
   東京大学経済学部卒。 同大大学院経済学研究科博士課程首席修了。 経済学博士。 専門の経済学
   の他に、語学(英語・中国語・韓国語等)も堪能、宗教学者、歴史学者、古文書解読者、歌人・
   俳人・作家(有明新報に歴史小説連載中)として幅広く活躍。 なお、先生の経歴の詳細につい
   ては、このHPのブログ70番に掲載されておりますので、そちらをご覧下さい。

4 「おち」の表記について
   このHPに「吉田能安先生追想録」を載せてあります。 その第8章「吉田先生から教わったこと
   やエピソード等を思い出すままに」をご覧下さい。 そこには、私が能安先生に「おち」表記
   を質問した際に、先生がメモ用紙を取り出し、書いて下さったことを載せてあります。 「おち」
   の表記は「大後」、「おちまえ」は「大後前」となっています。 
   福岡大学教授山崎好裕先生や、その他の著名な先生方のご見解を参考に、弓人の皆様方も「おち」
   の表記は「大後」と「落」のどちらが相応しいか、お考え頂きたいと願っております。

5 能安先生から教わった礼射の冒頭部分(後半部分は後日掲載予定)

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全国各地から初雪の知らせが届き始めると同時に、真冬並みの寒波が大陸から南下。
初雪どころか本格的な冬の到来となりました。 弓人の皆様、インフルエンザや新型コロナに罹患され
ないようお気をつけ、弓道稽古にご精進下さいませ。

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82 能安先生が詠まれた短歌

2023/ 11 / 2 カテゴリー : 能安先生から教わったこと


……… 「 弓手馬手 すてて射貫けよ 息ひとつ          
           的は心の 影と知るべし 」 昭和44年作  ………

1 能安先生の「短歌」を色紙に
   能安先生が、昭和44年に作られた短歌を、門下生の私が、先生の書体を模して色紙に書い
   みました。 能安先生の域には到底及びませんが、ご笑覧下さいませ。

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2 能安先生から頂いた葉書
   能安先生から最初に頂いた葉書。 昭和46年桜美林大学夏合宿を終え、実家の三戸に帰省中の
   私に宛てられたもの。 それ以降、お亡くなりになるまで、折々に葉書や封書にてお手紙を
   頂戴しましたが、いつも文章の最後には、ご覧の通り、必ず「弓手馬手 すてて射貫けよ 
   息ひとつ 的は心の 影と知るべし」の短歌が添えられておりました。

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3 この短歌の内容について
   この短歌の内容については、能安先生研究の第一人者である、寺田隆尚先生(弓道正法流範士
   九段、遊神館弓道吉田教場館長)が、著書の中で述べられております。 「弓道いろ訓」53
   ページ「ね」の項目の、「狙う的、肚に納めて、ゆるぎなく」の中で、解説されておりますの
   で、そちらを参考になさって下さい。 
   (参  考)
   正法流機関紙「弓」第22号(昭和44年1月発行)の「新年に思う」の中で、「弓手馬手捨てて
   射貫けよ息一つ」の部分について、能安先生は、次のように述べられております。 『長い指
   導生活で、ここ数年来この呼吸が身についたように感じておりますが、自分の射の上にも、
   ある向上の自覚を得た(それは肉の力を捨てると言う事によって)ことを、無上の喜びと致し
   ております』と。            

4 能安先生の詠まれた「短歌」の内容を目指す日々の稽古

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経験したことのない様な酷暑から、秋を通り越し一気に晩秋、初冬へと。 自律神経も狂いそうな、
異常な寒暖差です。 弓人の皆様、風邪などひかれないようお気をつけ、弓道稽古にご精進下さいませ。

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81 「弦引き」ではなく「弓引き」になれ

2023/ 9 / 3 カテゴリー : 能安先生から教わったこと


……… 昔から、弓を嗜む者を「弦引き」ではなく「弓引き」と言う ………

1 「弓引き」を目指す日頃の稽古
  能安先生は我々門弟に、『昔から、弓を嗜む者を「弦引き」ではなく「弓引き」と言うだろう。
  言い得て妙、弓道の本質をついた言葉(表現)だ』とよく言われておりました。 コロナ禍が
  明けた今日此頃、その「弓引き」目指し稽古を再開。

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2 「弓引き」を初心者に理解させる手立て(方法)
  車の運転に例えるならば、「弦引き」は、アクセルを踏みながら同時にブレーキをかけるような
  行為なので、矢勢が出ない。 逆に「弓引き」は、弓を引くことにより弓が膨らみ、弦が弓に
  戻ろうとする復元力増すため、「離れ」た瞬間、鋭い矢勢が得られることになる。「弓引き」を
  初心者に理解させる方法の一つとして、以下の写真のように極端なことを試みてみた。
  (南崎作の三枚打ち使用)

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長かったコロナ禍も明けたと思ったら、経験したことのない様な酷暑。 父の着用した、麻の絽織の
袴を探し出し、稽古に精進する毎日である。 

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80 お知らせ 「弓の道 正法流入門」 通常価格で購入可能

2023/ 6 / 11 カテゴリー : 雑記( 「弓の道 正法流入門」増刷のお知らせ)


……… 「弓の道 正法流入門」増刷により、通常価格で購入可能となる ………

1 増刷された「弓の道 正法流入門」 表紙の表裏

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2 「弓の道 正法流入門」 増刷の経緯について
 正法流紫鳳会会長土井春夫範士より、増刷の経緯について以下の通り連絡を頂きました
 ⑴ 「弓の道 正法流入門」の品切れ
  全国各地の書店・弓具店で、「弓の道 正法流入門」の品切れが相次ぎ、ネット通販などでは
  中古品が高騰し、異常な高値で取引されています。
 ⑵ 全国各地から増刷の要望殺到
  異常な高値取引を憂慮する、私始め全国各地の弓人から、正法流紫鳳会に増刷要望が殺到。
  正法流紫鳳会では、これらの要望に応るべく幹部会を開催し、発行所である「BABジャパン社」
  との協議を重ねた結果、増刷が決定されました。
 ⑶ 通常価格で購入可能
  すでに、令和5年2月20日(2023/2/20)初版第6冊の発行がなされ、通常価格で販売されており
  ますの、ご入用の方々はこの機を逃さずに、お早めにご購入下さい。

当地青森県三戸町では、春の芽吹きから新緑と続き、木々には若葉が満ち溢れ、初夏の季節と相成り
ました。コロナ禍もようやく過ぎ去り、各地区に弓道大会が復活開催され、
いよいよ弓道に本腰を入れて取り組める日常が戻って参りました。 旧知の弓人にお会いすることが
できることを楽しみに致しております。

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79 能安先生の書をお手本に

2023/ 2 / 10 カテゴリー : 書に挑戦( 私 山崎紫光 の書 と 父 山崎暁雲 の書)


……… 私の書 「恋すてふ ~ (百人一首から)」 平成 7年(1995年)
父の書 「弦聲降魔」  昭和53年(1978年) ………

1 私 山崎誠の書 (「号」は、書・弓道ともに、能安先生から頂いた「紫光」を使用)

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   ⑴ 能安先生の色紙の特徴
      能安先生は色紙の下地に、彩墨(書道専門店には12色以上の種類あり)の「藍色」
      用いて、お気に入りの一文字や二文字を薄く書き、その上に「四字熟語」や「和歌」
      等を揮毫。 墨の「黒」、彩墨(青墨ではなし)の「藍色」、朱肉の「朱色」の三色
      が相まって芸術性が高まる作品に。

   ⑵ 能安先生の色紙をお手本にした私の作品
      上記の色紙は下地の「紫雲」の上に、百人一首 「恋すてふ わが名はまだき 
      立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか」を揮毫。
      引首印には「尊素心」、落款印には、「山崎乃印」の白文、「紫光」の朱文を押印。
      今から27年前、平成7年(1995年)私が44歳時の作品。

   ⑶ 私が書いた「色紙」や「白扇」を海外の方へのお土産に
      私は、平成7年、田子高校「国際教養コース」主任時に、「語学研修」を目的に生徒を
      引率し、アメリカカリフォルニア州ギルロイ市へ。 田子町が、同じ「にんにく生産
      地」のギルロイ市と、姉妹都市を提携しており、それがご縁で「語学研修」の地に。
      この研修の現地協力者(生徒や引率教員のホームステイ先18軒、ギルロイ高校教員、
      姉妹都市業務担当者等)へのお土産として、私が製作した色紙(百人一首を揮毫)や
      白扇(漢字二文字揮毫)を提供。「日本的なもの」として大変喜ばれる。 また、
      本に来られたALTや、そのご両親が来日した際にも、この色紙や白扇をお土産に。


2 父  故 山崎廣の書 (号は、書では「暁雲」、弓道では「廣楓」を使用)

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   ⑴ 父が、 我が家の「廣楓館弓道場」にて揮毫。
      私が、八一高から南郷高へ転勤。 「英語」の他に「書道」を担当することに。 
      能安先生から頂いた「尊素心」や「箭光万里」を手本に、書道の時間に使おうと何枚か
      書き上げ見比べていると、そこに父が現れ「俺にも書かせろ」と、「弦聲降魔」と一気
      に書き上げる。 父を見上げると、口には出さなかったものの、「まだまだ俺に及ばな
      いだろう」との顔を。 当時、私は27歳、父は57歳でありました。

   ⑵「弦聲降魔」を手ぬぐいに染め込む
      父は気に入ったのか、業者に発注し「手ぬぐい」に染め込んでもらい、弓道の教え子たち
      や、弓道仲間に提供。 皆さんから喜んで頂いた記憶が蘇る。

当地青森県三戸町のこの冬は、かつて無い程の寒さが続いております。 残念乍ら弓道場での稽古を控
自宅で暖房の効いた場所での巻藁稽古のみ。 弓友の方々と共に、春の訪れを待ち望む、今日この頃
あります。 3月下旬頃には弓道場で弓を引けるかと。

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78 能安先生から頂戴した「塗り弓」から学ぶ

2022/ 11 / 23 カテゴリー : 能安先生から教わったこと



  ……… この能安先生が引かれた「塗り弓」で稽古をすると、
      『会で弓を無限に押し続けることの大切さ』
       『熟練の弓具師が製作する弓具を選ぶことと
         それを使いこなす技量を身につけることの大切さ』など、
          能安先生が言われたことの正しさを直に学ぶことができる ………


1 現在使用中の弓について

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  左から順に
   ⑴ 「グラス直心Ⅱ」    小山弓具 作
       「竹弓保護」のため、酷暑・極寒時に使用。 竹弓のような「引き味」を追求するので
      れば、カーボンよりも「グラス直心Ⅱ」がお薦め、との小山弓具の弓師(正法流の弟弟子)
      の助言により購入。 特注により、籐は七段化粧、塗り弓を模して全色「曙色」仕様に。

   ⑵ 「吟翠」        永野一翠 作
      渡邊弓具前社長「渡邊豊南」氏が、お店の奥に仕舞われていた「吟翠」を取り出し、現在
      当店にある「吟翠」の中では特上級とのこと。 お許しを得て引かせて頂くと、お店に
      陳列してある数十張りの「吟翠」と比べ、確かに「成り・弦通り・弦音」のどれをとって
      も優れており、即決購入。

   ⑶ 「別誂 桑幡正清」   桑幡正清 作
      知人を介し、福岡県のM弓具店より購入。 「吟翠」に勝るとも劣らない「匠の技」が
      感じられる竹弓であり、現在好んでこの弓を引いております。(ブログ73番参照

   ⑷ 「曙千段巻き塗り弓」  筑前弘才 作
       既にブログ35番でも紹介済みである、能安先生から頂戴した「漆塗り弓」であります。
      (ブログ76番も参照)


2 能安先生から頂戴した「塗り弓」を引いて気付かされ学んだこと
 ⑴ 弓手の握り拳を的に向かって無限に押し続ける大切さ
  この「塗り弓」の「成り」を見ると、「上成り」から「下成り」まで、ほぼ一直線になっています
  が、ほんの数ミリ「船底」のような膨らみが感じられます。

  あくまでも私見になりますが、製作当時のこの「塗り弓」は、「上成り」から「下成り」まで、弦
  に向かって緩やかな曲線を描いていたものが、能安先生の強い押しにより一直線になり、更に一直
  線を僅かに超えるような形に仕上がったのではないかと、想像を膨らませております。

  能安先生は、「会で弓手の握り拳を的紙を突き破るような気持ちで押せ」と、よく言われたもので
  した。 この「塗り弓」を引く度に、能安先生の「まだだ、まだだ、押せ、押せ」と言うお声が思
  い出されます。 そのことにより確かに鋭い矢勢と的中を得られるのです。 その教えを反復繰り
  返し、稽古に励む毎日が続いております。 

 ⑵ 熟練の弓具師が製作する弓具を選び、それを使いこなす大切さ 
  能安先生は、
  『「弘法筆を選ばず」と言われるが、「弘法ほど筆を選んだ人はいない」弘法は「筆の良し
  悪しが、書の出来栄えに影響を及ぼす」ことを理解し、中国で筆づくりも習得し、立派な
  筆を揃え、文書を書いていたのだ』 

  『弓道でも同じことが言える。 「弓具の良し悪しが、射の出来栄えに影響を及ぼす」 
  故に、「弓具も吟味して性能の優れたものを、選ばなければならない』と 、私によく言わ
  れておりました。

  能安先生から頂戴した「塗り弓」は、50年以上前に製作されたものですが、今だに現役で使用して
  おります。 このことを可能にした要因は、熟練の弓師が製作した弓を、弓道の達人であられた能
  安先生が、その弓を使いこなし、更に優れた弓に育て上げられたからなのです。 改めて弓具を選
  び、それを育てるだけの高度な射技射法を身につける精進をせねばと、肝に命じているところであ
  ります。

【参考までに】
  高校時代、書を教わった坂本城山先生(日展の仮名の審査員)も、「弘法筆を選ばず」と言われ
  るが、「弘法ほど筆を選んだ人はいない」と、能安先生と全く同じことを言われておりまし
  た。 
  その道の大家になられた方は、優れた道具を選び、それを使いこなすだけの技量を持ち合わせてい
  るがために、その地位を築かれたのだと。
  高校教員になってからは、坂本先生から「手紙や公文書、賞状や校歌も『漢字仮名まじり文
  だ。 漢字ばかりじゃ駄目だ、仮名も勉強しろ」と言われたことが心に強残っており、教員で
  ある私に、将来を見据えた鋭いご指導ご指摘を頂いたと、感謝致しております。

  筆の選定には色々なものを試してみたのですが、新潟の「松山堂(しょうざんどう)」さんの筆を
  気に入り、好んで使用しておりました。 その後お店を畳まれたとのこと、残念でなりません。 
  買い溜めしていたものを使い尽くした後は、また筆探しをしなくてはなりませんが、それもまた楽
  しみの一つになるのです。

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このブログは「能安先生から教わったこと」を書き綴るために始められました。出来る限り継続して
参りたいと考えておりますが、不定期となりますことをご了承戴き、気長にお待ち戴ければ幸いに存
じます。

今後の予定について 
 前回のブログで提示した数項目について、書き綴る予定であります。 順不同となりますが、お楽
 しみにお待ち下さいませ。

77 桜美林大学 屋上に 弓道場完成(1971年 10月)

2022/ 8 / 15 カテゴリ : 能安先生から教わったこと
  桜美林大学初の弓道場開きで行われた能安先生の「四方固め」を学ぶ


……… 今から50年前(1971年)の「桜美林大学弓道場開き」で
     執り行われた能安先生による四方固めの儀式  ………


1 能安先生による古式「四方固め」
 昭和46年10月(1971年10月)、桜美林大学屋上に野立ての弓道場が完成し、道場開きが開催され、
 能安先生によって古式「四方固め」「垜固め」が執り行われました。
 コンクリートの屋上で、矢道にどのような細工をして「四方固め」が行われたのか、その一部をカラー
 写真で紹介致します。 室内弓道場、屋上弓道場での道場開きを開催する際の参考にして頂ければ幸い
 であります。 その後、桜美林大学弓道場は地上に移転し、2代・3代と建て替えが続き、現在の新道
 場は4代目となります。

能安先生による古式「四方固め」の要点

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【 補 足 】

 ⑴ 正法流の古式「四方固め」「垜固め」の詳細は「弓道研究」(正法流紫鳳会発行)の220ページか
  ら233ページに、写真や、図解などを用いて、儀式の流れや体配の細部が分かりやすく書かれてお
  りますので、そちらを参考にして下さい。

 ⑵ 桜美林での古式演武では、師範の能安先生を「大将」に、「弓持ち」井戸範士(昭和29年<1954
  年>天皇杯獲得)、「太刀持ち」宮下教士、「床几持ち」山崎主将で行われました。

 ⑶ 儀式の後は、部長相馬教授の「巻藁礼射」、主将の山崎による「矢渡し」、部員による「一手祝
  射」と続き、道場開きも無事終了。

 ⑷ 屋上弓道場完成を契機に、男子のユニフォーム、上下「紺色」に変更
  この道場開きから、私山崎主将の提案により、男子のみ胴衣と袴の色を「紺色」に変更。 その
  数年後には、女子部員の要望により、男子同様上下「紺色」なり現在に至っております。

 ⑸ 上記写真の撮影者は、井深勝之氏であります。 彼は、創部メンバー(副将)として、
  桜美林大学育会弓道部の礎を築いた一員であり、さらに桜美林大学体育会弓道部紫雲会
  (OB・0G会)の初代会長として、周年行事に刊行される記念誌編集を主導する等、その
  功績は特筆すべきものがあります。  今回のHPへの写真を、快く提供して頂き、感謝致
  しております。 能安先生も「写真撮影なら井深だ」絶大な信頼を寄せておられました。

2 桜美林大学屋上弓道場開き写真紹介の経緯について
 桜美林大学体育会弓道部創部50周年記念は、令和2年(2020年)開催予定と紫雲会(OB・OG 会)
 会長から連絡を受けておりましたが、コロナ禍により中止状態。 現状では60周年(2030年)を
 待つことになるのではと、推測致しております。

 そんな思いを巡らしている最中、桜美林大学屋上弓道場開きで、能安先生によって執り行われた
 「四方め」が思い出され、私のこのHPで皆さんに紹介しなくてはとの思いが沸き起こり、早速、
 同期の井深氏に電話し、私のHPへの写真提供を依頼、快諾を得て今回の掲載の運びと相成った次第。

3 吉田教場での射会 及び 当時の思い出を語り合う会 
 電話で、井深氏に写真提供を依頼し快諾を得た後、お互い現状を語り合い、創部60周年(2030年)で
 の再会や、コロナが収束しそうな2・3年後には、同期の者や、後輩で吉田教場で稽古した経験のある
 者が、吉田教場に集い弓を引きたいものだという願いで一致。 井深氏より「2・3年後にその時が来
 たら、私が幹事長となり人集めをしますのでご安心下さい」との有難い申し出。 思い出の吉田教場
 で、50数年前の学生時代にタイムスリップし、弓を引き当時の思い出を語り合いたいものだと願うの
 み。これまたコロナの成り行き次第。この厄介な病が1日も早く収束することを願うのみであます。

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このブログは「能安先生から教わったこと」を書き綴るために始められました。出来る限り継続して参り
たいと考えておりますが、不定期となりますことをご了承戴き、気長にお待ち戴ければ幸いに存じます。

今後の予定について 
 以下は順不同となっており、次はどの項目になるか、お楽しみにお待ち下さいませ。

 ◎ 「永野一翠弓師」の弓に、勝とも劣らない「桑幡正清弓師」の弓

 ◎ 小笠原流に畏敬の念を抱いていた能安先生
 ◎「弦引き」ではなく「弓引き」になれ
 ◎ 弱弓で強い矢勢を出すことも、弓道の醍醐味の一つだ
 ◎ 射手の「大三」を見れば、どんな「会」になるか分かるものだ
 ◎ 大方は形を真似て射を知らず
 ◎ 中らない大方の原因は勝手にあり  
 ◎「弓手馬手 すてて射貫けよ 息一つ 的は心の 影と知るべし」
 ◎ 能安先生雑学講座 (大学の「一般教養」より「俺の話」方が為になるぞ)
   ① 何故、長谷は「はせ」、飛鳥は「あすか」と言うのか分かるか
    「長い谷の初瀬(はせ) と、 長い谷は初瀬(はせ)の枕詞なのだ」
    「飛ぶ鳥の明日香(あすか) と、 飛ぶ鳥は明日香(あすか)の枕詞なのだ」
    そこから、長谷を「はせ=初瀬」と、飛鳥を「あすか=明日香」と言うように
    なったのだ。
   ② 人は「同情されて半人前」「憎まれて一人前」「尊敬されて二人前以上」だ

76 「離れ」について

2022/ 7/ 11 カテゴリ : 能安先生から教わったこと
 射法八節の要点再確認 「離れ」について



 ……… 「 弓手の人差し指を素早く握り込み 同時に
           勝手の手首を 捻りをとるように回転させ
             親指を上へはねると 自然に離れる 」 ………

1「会」から「離れ」へ

7601.png

2「正法流要諦」(非売品:正法流紫鳳会 発行) 「離れ」の要点について


  離 胸郭ヲ廣く開き矢ヲ發セシム <大日本武徳会弓道要則 昭和10年制定>

 「註」 發動操作の決算的躍動にして 心技一体 渾然一如の顯れと云ふべく 離すに
     非ず 離れるに非ず 極致の活躍を即ち離發と云うべし 離發の強弱大小は
     気魄の如何によるものにして 須らく結果を超越し 猛然献身の誠を致すべし 

   「註」は、注釈として、昭和13年7月7日に、当時大日本武徳会弓道教士で
    あられた吉田能安先生が、お書きになったものである。


3「弓の道 正法流入門」( 正法流紫鳳会 発行) 「離れ」の要点について
 74ページから77 ページに「離れ」について、「一 基本」「二 弓手手の裏(角見の
 働き)」「三 勝手と楔(くさび)の働き」「四 体の開き」「五 心構えと息合い」
 等、「離れ」における、重要な五つの要点が、分かり易く簡潔明瞭に書かれておりま
 す。 

4 能安先生の「離れ」の指導で、特に印象に残っていること

 ⑴ 弽の「弦枕」が「離れ」に関わる役割

能安先生は、『作りは単純であるが「離れ」に大切な役割を果たす「弦
枕」を、先人はよく考えついたものだ』と言われ、以下の写真のように
その役割を、解説されました。

  ① 捻り無し (ア~イの順に、捻らないと弦から弽が簡単に離れて行く)
     (ア)        (イ)        (ウ)
7602.png

   (ア) 勝手の手首を回して捻りを加えていないため、甲が正面を向き、弦が
       帽子の弦道に入っていない。
   (イ) 従って、肘で引こうとしても、弦が弦枕に引っ掛かっていないため、
       弦から弽が離れ始める。
   (ウ) このように、捻りを加えていなければ、弦から弽はスムーズに離れる。


  ② 捻り有り (ア~イの順に、捻ると弦を引け、捻りを取ると弽から弦が離れる)
     (ア)        (イ)        (ウ)
7603.png

   (ア) 捻りが加えられているため、弦道に弦が入っている。
   (イ) 弦道に入った弦が弦枕に向かって引っ張られ、肘で弦を引ける。
   (ウ) そのような状態から、手首を回し捻りをとると、弦は簡単に離れる。

 ⑵ 弦に捻りを加えることにより、以下の効果が得られる
  ① 捻ることにより弦がたわみ、上弦と下弦がピーンと張り、上下弦の張力が増す。 
  ② 捻りを解くと、たわんだ弦が真っ直ぐ戻ろうと働き、その反動力が弽の親指の
    跳ねる威力を増すことになる。
  ③ ①と②により「離れ」で、矢の番えられた弦が弓に戻ろうとする復元力が増す。
  ④ ①と②と③により、強く鋭い矢勢が得られる。

 ⑶ 「取り懸けで 離れの良し悪し 定まるぞ」能安先生作『弓道いろは訓』より
  ① 弽の甲が正面を向くような平付けの「取り懸け」をすると、人差し指で捻る傾向
    になり、篦じない(篦がしなうこと)が起こりやすくなる。    
  ② 取り懸けは「さぐり」(筈の約10センチ下から筈まで軽く擦り上げる動作)から
    始まる。その後、親指の根元(脈所)から指先まで捻るように伸ばすことによ
    り、下弦が正面(射場審判席側)方向に少し押し出され、そこで初めて弦がたわ
    む。
  ③ このようにしてできた「取り懸け」から「打起し」に入り、下弦に捻りを加えな
   がら「大三」へ移行する。 ここでの下弦の捻りは、「取り懸け」で既に弦がた
   わんでいるため、少し捻るだけで、弦がL字型に近い型にたわむ。

 ⑷ 無駄のない合理的な「離れ」は、強く鋭い矢勢を生む
  ① 学生さんの中には、弓手に勢いをつけ後ろに振り込むと同時に、勝手は弦から弽
    を無理やりむしり取るような「離れ」をされている方が、多少目につきます。
  ② 上記の⑴~⑶の要領を会得すると、力の無駄遣いをせず、簡単に合理的な「離
    れ」を身につけることが出来る筈です。

5 「離れ」について既にこのブログで解説済みの要点 (以下のブログを参照)
 ⑴ ブログ12番 「離れは弓手の手の裏を握り込む(ことから生じる)」
    特にこの12番には、能安先生が説かれた重要な要点が書かれておりますので、
    再度ご確認下さいませ。
 ⑵ ブログ18番 「(弓・弽を使わない)どこでもできる離れの稽古方法」
 ⑶ ブログ29番 「ピストルの引き金を引くように、素早く人差し指を握り込む」
 ⑷ ブログ49番 「離れは弦一本分の捻り取ることから生じる」と熱血指導
    このことから、「大三」では下弦を弦一本分捻ると誤解してはなりません。
    そのようなことをすれば、目通りあたりで暴発してしまいます。
   下弦をL字型に近い型に捻ることにより、親指の跳ねる反動力が増すため、弦一
    本分解くだけで離れるのです。

 以上「離れ」について能安先生から教わったことを纏めてみました。
 皆さんの日々の稽古に何か参考にして頂けるところががあれば幸いであります。

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このブログは「能安先生から教わったこと」を書き綴るために始められました。
出来る限り継続して参りたいと考えておりますが、不定期となりますことを
ご了承戴き、気長にお待ち戴ければ幸いに存じます。

今後の予定について 
 以下は順不同となっており、次はどの項目になるか、お楽しみにお待ち下さいませ。
 ◎ 小笠原流に畏敬の念を抱いていた能安先生
 ◎「弦引き」ではなく「弓引き」になれ
 ◎ 弱弓で強い矢勢を出すことも、弓道の醍醐味の一つだ
 ◎ 射手の「大三」を見れば、どんな「会」になるか分かるものだ
 ◎ 大方は形を真似て射を知らず
 ◎ 中らない大方の原因は勝手にあり  

 ◎「弓手馬手 すてて射貫けよ 息一つ 的は心の 影と知るべし」

 ◎ 能安先生雑学講座 (大学の「一般教養」より「俺の話」方が為になるぞ) 
   ① 何故、長谷は「はせ」、飛鳥は「あすか」と言うのか分かるか
    「長い谷の初瀬(はせ) と、 長い谷は初瀬(はせ)の枕詞なのだ」      
    「飛ぶ鳥の明日香(あすか) と、 飛ぶ鳥は明日香(あすか)の枕詞なのだ」 
     そこから、長谷を「はせ=初瀬」と、飛鳥を「あすか=明日香」と言うように
    なったのだ。
   ② 人は「同情されて半人前」「憎まれて一人前」「尊敬されて二人前以上」だ

75 能安先生の「大三」

2022/ 5 / 1 カテゴリー : 能安先生の写真から学ぶ


       探し続けた能安先生の「大三」の写真が見つかる
   < 紫鳳会機関紙「弓」第20号より 昭和43年(1968)9月15日発行 >

……… これぞ 能安先生 の「大三」だ ………

1 能安先生の「大三」 
   私が大学時代しっかりと目に焼き付けた、「これぞ能安先生の大三」です。
   皆さんも、この能安先生の「大三」から何かを学ばれ、日々の稽古に取り
   入れて頂ければ幸いであります。

75-01.jpeg

      場 所:東京都杉並区 大宮八幡宮 振武殿弓道場
      期 日:昭和43年(1968)6月30日
      行事名:故 斎藤吉一、大宮八幡宮宮司(正法流紫鳳会範士八段)
          の一年祭における「追悼射会」
      礼 射:主賓として、能安先生が礼射を披露。 束中し「流石は
          正法流宗家の師範よと、並み居る参会者に深い感銘を与
          えた礼射であったと言われております。


2 この「大三」の写真を見て、改めて能安先生から教わったことを思い起こす
 ⑴ 「大三」は、「打起し」の両拳と同じ高さになるように作くられている。
   そのために、弓手・勝手ともに、「裏筋」「下筋」「脇胴」を伸ばながら、
   以下の⑵⑶⑷の技を用いて、単純明解で無駄な動きなく「大三」を構築

されていることが窺える。

 ⑵ 「膕(ひかがみ ‐ 膝頭の真後ろ)を伸ばし、 「べたりと 床を踏み込んだ足踏み」
   から、背骨を天を突くように伸ばし、揺るぎない縦線を確立されている。

 ⑶ 弓手は、肩根を蝶番に二の腕下筋を伸ばし、前腕で上押しを掛けながら押し開き、
   手の裏は掌根を締め、弓が照らないよう三指つま先で弓を伏せ気味にされている。

 ⑷ 勝手は、親指で下弦押すように、弦がL字型になるくらいに捻りを加え、肘を頭に
   被るように折り、拳の甲は天井を向き、そこから肘までの線が「熊手」の形に似て
   いる。「熊手を引くように引け」と言われたことが思い出される。

【 弓道に通じると感動したこと】 於:冬季北京オリンピック
 ⑴ スピードスケート高木美帆選手のスタートからトップスピードに乗るまでの
  無駄のない動き。 無駄のない動きによる射法八節の流れ。
 ⑵ フィギュアスケート宇野昌磨選手のジャンプ後の「残心(身)」の余韻。

【 お詫び 】
  今回のブログは予定を変更し、75番「能安先生の写真から学ぶ」と致しました。
  当初予定していた「 射法八節の要点再確認 離れ 」は次回の76番に移動致します。

  是迄このHPで、能安先生の「大三」をお見せすることができず、長年探し続けて 
  おりました。 先日父の遺品を整理中、紫鳳会機関紙「弓」を第1号から最終号ま
  で、黒表紙に綴り保管していたものが見つかり、その中から能安先生の「大三」の
  写真が見つかったのです。

  色々な書物に、能安先生の「会」や「離れ」の写真は数多く使われておりますが、
  「大三」の写真はほとんど見当たりません。  そこで見つかった「これぞ能安
  先生の大三」を、皆さんにいち早くご紹介したいと予定を変更した次第、事情ご
  理解下さいませ。  

今後の予定について
 76 射法八節の要点再確認 「離れ」
 77 このブログ77番以降は、思いつくままに、「能安先生から教わったこと」や
    「弓道に関すること」、更に今回見つかった紫鳳会機関紙「弓」に能安先生が
    が書かれていること等を、紹介していきたいと考えております。  

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出来る限り継続して参りたいと考えておりますが、不定期となりますことをご了承戴き、
気長にお待ち戴ければ幸いに存じます。

74 能安先生から頂いた「ワニ革の草履」から学んだこと

2022/ 2 / 7 カテゴリー : 能安先生から教わったこと


  ……… この草履を履いた感触から「足踏み」の要領を気付かされる ………

1 能安先生愛用の「ワニ革の草履」
74-3.png

2 この草履を履いた感触から気付かされ学んだこと

 ⑴ 「足踏み」では「べたりと踏む」「大地にめり込むように踏む」と学ぶ
  能安先生は「足踏み」の要領について、以下のことをよく言われました。
   ① 足の各指先を十分伸ばし、べたりと踏む。
   ② 体重を両足に均等にかけ、大地にめり込むように踏み構える。

  頂いたこの草履を履くと、草履の凹み具合の感触から、能安先生が上記の①と②の
  ように足裏で圧を掛けたことが分かり、教わったことを再確認できたのです。

 ⑵ 「正法流要諦」(非売品)の「足踏」を紹介
  以下の通り「足踏」の要点が簡潔に纏められていますので参考にして下さい。


  足踏 矢束ヲ標準トシテ八文字ニ踏ミ開キ兩拇指頭ヲ的ト一直線ニ在ラシム 
                <大日本武徳会弓道要則 昭和10年制定>
 「註」 行射の基礎動作にして、特に意を配り指先を固めず 膕(ヒカガミ)を
     伸し体重を兩足に均等に受けしめ大地にめり込むの氣を以て踏み構へる事。 

   「註」は、注釈として、昭和13年7月7日に、当時大日本武徳会弓道教士で
    あられた吉田能安先生が、お書きになったものである。


3 「ワニ革の草履」を頂いた経緯を順を追って思い起こす  

 ⑴ 鈴木直一先生と木村光恵先生の、範士号拝受記念祝射会 
  私が大学4年(昭和47年)の10月頃であったと記憶しておりますが、吉田教場にお
  いて、能安先生の高弟である鈴木直一先生と木村光恵先生の、範士号拝受記念祝射会
  が開かれました。 その1週間程前に能安先生から、祝射会では第二介添えを担当す
  るように指示されたため、兄弟子の入江さん(学芸大付属高OBで第一介添え担当)
  から、能安先生直伝の第二介添え作法の指導を受け、緊張して当日を迎えたことが、
  記憶に残っております。

 ⑵ 祝射会参加者「芳名帳」の筆跡鑑定と評価により「ワニ革草履」を頂戴
  祝射会翌日、吉田教場へ稽古に参り、居間にご挨拶に伺うと、能安先生と木村光恵先
  生が、祝射会参加者が記帳された「芳名帳」を開き、筆跡鑑定と評価をされていたの
  です。 更に能安先生は「書道の先生」のように、朱墨で添削もされていたのです。

  私もその「芳名帳」に、用意された毛筆を使い、楷書を少し崩した形で縦書きに、
   「櫻美林大学体育会弓道部
     主将 山 崎    誠」  と記帳させて頂いておりました。

   能安先生が、「山崎、丁度いい時に来た。」「木村先生、この君ですよ。」
   と紹介されると、木村先生が私に向かって「お若いのに、字がお上手ですね。」
   と、お褒めのお言葉を頂戴したのです。 予期せぬお言葉に、返答に窮していると、
   能安先生が、「木村先生が、君が書いた字が一番良いと言うんだ。 『山』の一筆
   目が左斜めになっているが、その縦の線を真っ直ぐにすれば、更に良くなるぞ。」
   と、朱墨で直されのです。 「どうだ、この方が良いだろう。」

  続けて、
   「そうだ、この間訪ねて来てくれた浅沼君(長野県小海町玄武館弓道場館長)も、
   合宿に来た学校の代表者から礼状を頂くが、桜美林の山崎君が学生の中では一番達
   筆だと褒めていたぞ。」と初めて知らされました。

  話題が、正法流における女性の「たすき掛けの作法の確立」へと移ったところで、席
  を辞し稽古のために道場に向おうとすると、

   能安先生から「道場の玄関に置いてある『ワニ革の草履』を君にやるから帰りに
   持って行きなさい。」 すると木村先生が「ご褒美を頂いて良かったですね」と。

  斯様に、木村先生のお褒めの言葉により、能安先生から先生愛用の「ワニ革の草履」
  を頂戴することになったのです。

 ⑶ 「ワニ革の草履」が玄関から消える?
  稽古を終え道場玄関に出ると、「ワニ革の草履」が無くなっていたのです。 おそら
  く私の他に稽古に来られていた何方かが、気を利かしていつもの所定の場所に仕舞わ
  れたのでしょう。 

  居間に戻ろうとしたのですが、そこには能安先生と木村先生に、お仕事(短大教授)
  から帰られた禮先生も加わり、「たすき掛けの作法」についての検討会が続いていた
  ため、ご遠慮致しそのまま下宿に帰り、それ以来能安先生も私も、「ワニ革の草履」
  のことを忘れてしまっていたのです。

 ⑷ 「ワニ革の草履」が私の手元に
  その後、忘却の彼方にあった「ワニ革の草履」が私の手元に届けられました。 大学
  卒業後何年かして、能安先生が三戸に指導に来られた際、「君が忘れて置いて行った
  物だ。」と、あの「ワニ革の草履」持って来て下さったのです。

斯様な経緯で、私に下さった能安先生愛用の「ワニ革の草履」ですので、大事に保管し、
二戸市での「大沢万治盃争奪弓道大会」や、八戸市での「鈴木三成盃争奪弓道大会」など
由緒ある大会時に、着用させて頂いております。

能安先生が着用した価値ある「ワニ皮の草履」を頂戴したことと、それを着用することに
よって「足踏み」の要領を再確認させて頂いたことに、大変感謝しております。 皆さん
も、「べたりと踏む」「大地にめり込むように踏む」を参考にしては如何でしょうか。  

今後の予定について
 前回も、以下のように同じことを書きましたが、重要ですので再度繰り返します。
 75 射法八節の要点再確認 「離れ」
    「会」で「弦一本分の捻りを取る」と「離れ」に繋がる。 これは正しいことで
    す。 このことから、大三でも「弦一本分を捻る」と誤解されている方がおるよ
    うです。 そのようなことをすれば、目通り辺りで暴発してしまいます。 正し
    くは大三では「下弦をL字型になるくらいに捻る」と、「会」で捻られた弦が元
    に戻ろうとする反動力が働くため、「弦一本分の捻りを取る」だけで鋭く速い軽
    やかな「離れ」がでるのです。 誤解を解くために、次回ブログ75番「離れ」
    で再度繰り返します。
 76 このブログ76番以降は、思いつくままに、「能安先生から教わったこと」や「弓
    道に関すること」等を、引き続き綴っていきたいと考えております。  


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このブログは「能安先生から教わったこと」を書き綴るために始められました。 出来る
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お待ち戴ければ幸いに存じます。