兜射貫き・弓道「正法流」開祖 吉田能安 門下生・山崎誠のHP

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正法流の射義・射法については「弓の道 正法流入門」「弓道いろは訓」「弓道研究」等を
参考にして下さい。私が能安先生から教わったまさしくそのものが書かれています。
このブログではそれ以外のことで私が教わったことやエピソード等を書き綴っております。

64 現在の弓道吉田教場 (遊神館弓道場)

2019/ 12 / 22 カテゴリ: 弓道吉田教場について


以下は私が 紫鳳会会長 土井春夫範士から伺ったことをメモし まとめたものです

  ……… 正法流を学ぶ稽古拠点 弓道吉田教場(遊神館弓道場)………

吉田邸(弓道吉田教場・母屋)は、能安先生と奥様がお亡くなりになった後に、養女のレ
イ先生により、能安先生の故郷岡山県高梁市に寄付採納されました。 寄付を受けた高梁
市は、弓道吉田教場の管理運営を、一般社団法人正法流紫鳳会に委託することを決定。 

この決定を受け、一般社団法人正法流紫鳳会は、高梁市と「吉田教場の管理運営に関わる
約」を締結し、「弓道吉田教場」は能安先生存命中と変わらぬまま、門人たちの使用が
可能となったのであります。 

また、母屋は高梁市により取り壊され、「備中高梁館」として建て替えられ、高梁市の観
光案内所や、アンテナショップのような役割を果たしております。 週二日間、土日だけ
開館されておりますが、紫鳳会ではボランテアとして門人達が交代で、その運営のをお手
伝いをしております。  

このように、弓道吉田教場は、正法流を学び継承する多くの門人達の熱意によって、法に
適った確かな組織が作られ、守られているのです。


現在の弓道吉田教場(東京杉並西荻北) 母屋のあった所に「備中高梁館」
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近年は、現代弓道に飽き足りない方々、能安先生と正法流という特異な日本弓道に興味を
持たれた外国の方々、定年後に初心者として健康のために弓道を始められた方々等、正法
流紫鳳会への入門者が増加傾向にあるとのこと、泉下の能安先生もさぞかしお喜びのこと
でありましょう。

これらの新たな入門者に対応するべく、能安先生晩年の子飼いで高段者となった門弟が、
その指導に当たっております。 特にこの4月より、お仕事をリタイヤされた紫鳳会会長
土井春夫範士が、ほぼ毎日のように吉田教場に行かれ、能安先生の目指した弓の道の指導
に取り組んでおられます。

私も時々、青森から上京し、能安先生から教わったことをお伝えできればと、指導のお手
伝いをさせて戴いております。 東京近郊にお住いの古くからの門人の方々、また新たに
入門された方々と共に、弓道吉田教場で稽古を積み重ね、正法流の射義・射法の合理性を、
次の世代に正しく伝えていかなければならないと、決意を新たにしているところでござい
ます。


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このブログは「能安先生から教わったこと」を書き綴るために始められました。出来る限
り継続して参りたいと考えておりますが、不定期となりますことをご了承戴き、気長にお
待ち戴ければ幸いに存じます。

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63 取矢をした乙矢の捌き方

2019/ 8 / 9 カテゴリ: 能安先生から教わったこと


背中を壁に使い、羽根の部分をそこに軽く押し当てる

  ……… 弓倒しをしながら握り替える ………

取矢をした乙矢の捌き方については、能安先生から「背中を壁に使い、羽根の部分をそこに軽く押し当て、弓倒しをしながら握り替える。」と教わりました。 また、能安先生は、「弓倒しの後、弓手の握りまで乙矢を持って行き、握り替えることは余分な動作である。 執弓に始まり、執弓で終わることが原則である。」と。

以下は、先生から教わったことを、写真で表してみました。 

1 弽を着けて取矢をした乙矢の捌き方
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指先を開き、乙矢を背中に軽く押し当て

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  素早く握り替えながら、執り弓の姿勢に戻る  


2 指先の動きが分かるように、弽を着けず取矢をした乙矢の捌き方
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62 矢の捌き方について

2019/ 7 /19 カテゴリ: 能安先生から教わったこと


矢捌きは、床にある豆を摘む要領で矢や筈を持つ

  ……… 三ツ弽でも四ツ弽でも、親指・人差し指・中指の三指を使う ………

1 三指での矢の持ち方と、乙矢の差し込み。

   ⑴ 三指での矢の持ち方                 
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  ⑵ 乙矢の差し込み
B62-2.png

2 以下の写真のように、床にある豆を摘む場合、どちらが簡単にできるか、お分かり頂
  けるかと思います。 能安先生は、よくこのお話をされ、矢筈は「豆を摘むように」
  と指導されました。

  ⑴ 床にある豆を摘む場合、どちらが簡単にできるか。
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 ⑵ 床にある豆を摘む要領で、親指・人差し指・中指の三指で、筈を摘む。
   三ツ弽でも四ツ弽でも、薬指・小指は握り、残りの三指を使う。 
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61 能安先生 の 故郷 岡山県高梁市 を 映画で見る

2019/ 5 /28 カテゴリ: 雑記


高梁市がのロケ地に使われた映画の紹介

  ……… 高梁市の街並みが楽しめる「フーテンの寅さん」 ………

岡山県高梁市は能安先生の故郷です。 市内の山手には、備中松山城があり、文字通り
城下町であります。 武家屋敷通りや多くの寺院が立ち並び、古くから連綿と続く歴史
が感じられ、古風な街並みを楽しめるところです。

その高梁市で、「フーテンの寅さん」の2つの作品(第8作・第32作)が撮影されていま
す。 その中でも第32作、竹下景子さんがマドンナ役を務めた「男はつらいよ 口笛を
吹く寅次郎」(1983年・昭和58年作)は、高梁市の商店街、寺院、街並みが一望できる
高台などで撮影されており、その風景から高梁市とはどんなところか理解することができ
ます。

マドンナ竹下さんの弟役に中井貴一さん、その恋人役には杉田かおるさんと、現在では大
ベテランとなられたお三方の、若かりし頃のお顔が拝見でき、私と同年代の方々にとって
は、ご自身の30代前半と重なり懐かしく感じられるかもしれません。

また、第8作(マドンナ池内淳子さん)「男はつらいよ 寅次郎恋歌」(1971年 昭和46
年)には、能安先生が高梁にお帰りの際に、定宿とされた老舗旅館「油屋」が出てまいり
ます。 倍賞千恵子さんが演じる、寅さんの妹さくらの長男光男(吉岡秀隆さん)が遊ぶ
その旅館の中庭や、さくらの夫、博の実家として設定された武家屋敷が写し出されていま
す。 

第32作は約36年前、第8作は約48年前のものですから、高梁市も当時と現在では、だい
ぶ様変わりしているとは思いますが、昭和レトロな雰囲気が残る当時の街並みに、郷愁
感ぜずにはいらません。他にも、古谷一行さん出演の『八つ墓村」等が、高梁市で撮影
されております。

更に、先日 NHKのペット紹介の番組「もふもふ(最終回)」(ナレーター:堤真一さん、
H31・3・20放映)で、備中松山城名物の「殿」と呼ばれる猫が紹介され、合わせて備中
松山城の全景も映し出されました。 日本で最も海抜が高いところに建てられたことでも
知られている備中松山城。 雲海の中に浮かぶ天守閣は幻想的で美しく、皆さんの中にも
ご覧になった方がおられるかもしれません。

平成22年、桜美林大学弓道部創部40周年記念に、私が著した「吉田能安先生追想録」の
中に、「吉田能安先生のふるさとを訪ねてお墓参り(岡山県高梁市 寿覚院)」という
一文を載せてあります。 その中で、市内を散策後の感想として、「 ……その昔、 この
地(高梁市)は相当な財力と教育力があったであろうことが容易に想像できる、……… 」
という文を綴って結びとしています。 

この私の感想を証明するかのような番組が、先頃放送されました。 それは、平成31年4
月22日放送の、NHKファミリーヒストリー「お笑いコンビ千鳥・ノブ」。 ノブさんの
父方、母方のそれぞれのご実家が裕福であったこと。 特に母方の実家は高梁にあり、
その実家を含め多くの商人が、江戸時代から高梁川を利用した高瀬舟に米や麦、銀や鉄を
積み、玉島港へ運び多大な収益を得ていたこと。また農家の中には、近隣の山々の赤松
根本に自生した松茸の収穫により、「松茸御殿」が立つほど、裕福な方々が多数おられた
ということが、紹介されておりました。

このように、昔から代々高梁に住まわれて来られた方々に、確かな経済力が備わっていた
からこそ、高地に備中高松城が築城され、立派な武家屋敷通りも、長年にわたり維持管理
されてきたものと推察されるのです。またあのように立派で格式ある多くの寺院は、豊か
で裕福な檀家の皆様方のご浄財によって、守られてれているに違いありません。 

それ故、このような歴史的な背景により、明治以降もこの高梁市から、政財界、教育界、
スポーツ界等のあらゆる分野で、能安先生始め、多くの有為な人材が輩出されていること
も、なるほどと理解できるのです。


次回は、このブログの主目的である、弓道について「能安先生から教わったこと」を述べ
てみたいと考えております。

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60 能安先生考案 ゴム弓の復元改良型 その2

2018/ 12/ 18 カテゴリ: 能安先生から教わったこと


復元改良型ゴム弓の特徴 
 (前回のブログ59番で紹介した復元型と比較し、材料・方法に違いはあるが考え方は同じ)

………(ア)ゴムの長さを調節できる (イ)実際の弓返りに似た感触が味わえる ………

①能安先生考案          ②能安先生考案
上下二穴の復元改良型       上下一穴の復元改良型
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1 能安先生考案のゴム弓を復元し、改良に至った経緯について
 ⑴ 復元型は、本体と生ゴムが直に繋がっていたため、「離れ」で的方向に鋭く伸びて
  いったゴムがその反動で戻る際に、弓手や握りこぶしに当たることがありました。
  当たる度合いは、大事に至るような強さではなく軽いものでしたが、改善が望まれ
  るところでありました。
 ⑵ そこで、吉田教場の私の弟弟子が、実際の弓返りに似た感触が味わえるよう、本体
   とゴムの間に鹿革を使用し改善製作したものが、今回の復元改良型なのです。
 ⑶ 使ってみると、「離れ」でのゴムの戻りが軽やかになり、弓手の裏筋に戻り、実際
  の弓返りのような感触が味わえ、弓人の皆様方にお薦めできる逸品であります。


2 能安先生考案ゴム弓 改良復元型の特徴
 (ア)ゴムの長さを調節について 

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   ⑴本体とゴムを繋ぐ鹿革の長さを調節する。(写真③④参照)
   ⑵二穴の上と下を入れ替えて調節する。(写真③参照)
   ⑶マイゴム弓にする場合は上下を一穴にする。(写真④参照)

 (イ)実際の弓返りに似た感触が味わえる、弓返りができる仕組みについて

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   ⑴ 外竹側から出た鹿革(弽紐を裁断したものを使用)を側木の方向へ、
     L字型に巻きつけることです。(写真⑤⑥参照)
   ⑵ 本体とゴムを繋ぐ鹿革が、「離れ」でのゴムの戻りを軽やかにし、実際の弓返
     りに似た感触が得られます。(写真⑤⑥参照)


3 復元改良型に使われる材料の説明(写真⑦参照)

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 ⑴ 生ゴムよりも、強度と耐久性に優れた市販(弓具店にて販売)の二重ゴムを使用。
 ⑵ 右から2番目の紫の革は、本体とゴムを結ぶために使われ、強度を必要とするため
   弽の大紐の鹿革を裁断したものす。
 ⑶ 右端の細い革は、本体の外竹側から出た鹿革の輪に、ゴムの先端を通し折り返し、
   二箇所で固定する際に使い(写真⑦の左から2番目を参照)、握り革を裁断した
  ものです。 ペンチ2本を使って両端を締めると、確実に固定されます。
 ⑷ 上記材料のゴム弓本体の竹弓だけが入手困難かもしれません。 その場合は
   前回のブログ59番で紹介した木製のもので、十分代用できます。


4 この復元改良型のゴム弓を使った「打起し」から「離れ(弓返り)」まで

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5 能安先生考案 復元改良型 ゴム弓 (写真⑧を参照)

⑧現在私が所有しているゴム弓の一部
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 ⑴ このゴム弓を製作した弟弟子に、使用できなくなった中古の弓が手に入ったら作っ
  て欲しいと依頼した私の要望に応え、提供してくれた10数本の一部です。  
 ⑵ このゴム弓は、仕事場(休憩時に)・試合(控え室で)・出張(カバンに収納
  可)・ 旅行(ホテルの部屋で)等に携行でき、狭い場所での稽古に使用できるため
   大変重宝しております。 
 ⑶ 中級・上級者の皆様は以下を参考にマイゴム弓づくりに挑戦してみては如何ですか。


6 知人が使うゴム弓
 ◎「私のゴム弓は、先生のように弓返りしないんですよね。」と話しかけられ
  「ゴムの入りを以下のように、変えてみては如何ですか。 ゴムの先端を
  セロテープで巻いて細めにすると、穴への通りも良くなり、簡単に変えられ
  ますよ。」と申し上げたところ、後日、弓返り成功とのご連絡を頂戴。

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出来る限り継続して参りたいと考えておりますが、不定期となりますことをご了承
戴き、気長にお待ち戴ければ幸いに存じます。

次回以降は、以下のことを予定しております。
 ブログ61番 能安先生の出身地 岡山県高梁市がロケ地であった映画の紹介
 ブログ62番 矢番え(矢さばき)は、四つ弽でも三指(親指・人差し指・中指)で

今年のブログ(能安先生の教え)は今回の60番で終了します。 来年も引き続き
継続致しますので、ご笑覧戴ければ幸いに存じます。

それでは皆様良いお年をお迎えくださいませ。 

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59 能安先生考案 ゴム弓の復元 その1

2018/ 12/ 09 カテゴリ: 能安先生から教わったこと


能安先生が考案されたゴム弓の特徴

  ………(ア)ゴムの長さを自在に調節できる (イ)弓返りができる  ………                   

① 能安先生考案ゴム弓の復元  ②能安先生考案ゴム弓の復元改良型
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  今回のブログ59番で詳細を    およそ1週間後アップ予定のブログ
  解説致します。          60番で詳細を解説致します。  


1 写真①についての補足
  吉田教場に確認したところ、能安先生が考案し業者に作らせたゴム弓は、現存してい
  ないとのこと。 そこで私が南郷高校弓道部顧問時代に、能安先生が考案されたゴム
  弓の記憶を辿り、復元したものを代替えとして載せました。 実物のゴム弓の本体は
  ②のように竹弓の一部を使用しておりました。 中古の竹弓の入手が困難であったた
  め、ゴム弓の本体部分は、40数年前に木工所経営の友人に、グラス「錬心」を見本
  として、30本ほど作ってもらったものです。


2 写真②についての補足   
  私より歳の離れた弟弟子が、10数年前から、能安先生考案のゴム弓の記憶を辿り、
  改良に改良を重ね製作し、私に提供してくれたものです。


3 能安先生考案のゴム弓の二大特徴について 
 (ア)「ゴムの長さを自在に調節できる」 
   写真③~⑥でお分りのように、「上下に二つの穴(二穴)を設ける」ことです。
   このことにより、ゴムの長さを自在に調節できるため、矢尺の違う者同士がゴム弓
   を共有できますし、ゴムの強弱も変えることもできるのです。 中学・高校の弓道
   部で初心者指導に活用できるものと思われます。 写真③のように、ゴムの先端に
   セロテープ(ビニールテープでも可)を巻いて細めにすると、簡単にゴムを通すこ
   とができます。 このような要領で下部の二つの穴(二穴)にもゴムを通し、ゴム
   弓の完成です。

< 長 さ を 調 節 で き る 仕 組 み >
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 (イ)「弓返りができる」
    写真⑦~⑨でお分かりのように、「外竹側から出たゴムを側木側の方向へ、L字
    型に巻きつける」ことです。 このことにより、弓返りが可能となります。

< 弓 返 り で き る 仕 組 み >
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4 このゴム弓を使った「打起し」から「離れ(弓返り)」までは以下の通り

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5 このゴム弓製作の材料について

<ゴム弓製作材料>
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 ⑴ ゴム弓本体の長さ50センチ
  木工所に依頼し製作したものです。
  工業高校さんであれば、学校で簡単に作れます。
  写真の現物は40年前に製作したもので、「紫光」と私の号が書かれれており、
  私が指導に利用したものです。

 ⑵ 生ゴム120センチ~140センチ
   医療機器販売店で入手できます。


6 能安先生がゴム弓製作に関わった経緯について
   私は桜美林大学弓道部の初代として2年から4年までの3年間(昭和45年~昭和47
   年)、主将を務めさせて頂きました。 その3年間のいつ頃であったか、記憶が曖
  昧で、年度を特定できないのですが、吉田教場遊神館弓道場に弓具店関係者と思われ
  る方が、お作りになった何本かのゴム弓を持参し、能安先生にそのゴム弓の改善点に
  ついて、ご助言を頂いている場面に出くわしたことがありました。 1週間後に稽古
  に伺うと、先生は上機嫌で「いいゴム弓ができたんだ。」とご満悦のご様子。 実際
  お引きになり、「どうだ、弓返りもするだろう」と。 卒業後、高校教員となった私
  は、弓道部の指導に、このゴム弓を活用させて頂くことになるのです。

【注意・補足】
 ⑴ 中学・高校の初心者指導に使えるかもしれません。
 ⑵  3(イ)の「弓返り」で説明したようにゴムを弓に巻きつけることが重要です。
 ⑶ そのことにより、ゴムが「離れ」で弓手や握りこぶしに直接当たることはありません。
 ⑷  但し、「離れ」の反動でゴムが戻り、弓手や握りこぶしに当たることがありますが、
   (4「離れ(弓返り)」の写真参照)軽いもので、痛くもなく大事に至る心配はありません。  
 ⑸  このゴム弓に改良を重ね、快適にしたものを、次回ブログ60番で紹介致します。


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次回は、以下のことを予定しております。
 ブログ60番 能安先生考案 ゴム弓の復元改良型 その2
 ブログ61番 能安先生の出身地 岡山県高梁市がロケ地であった映画の紹介
 ブログ62番 矢番え(矢さばき)は、四つ弽でも三指(親指・人差し指・中指)で

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58 能安先生の知恵工夫(矢筒立て)

2018/ 11/ 13 カテゴリ: 能安先生から教わったこと


矢筒を、簡単な方法で壁に固定できないものか

  ……… 竹で輪つくり、それを壁に取り付け、その中に矢筒を差し込む ………

能安先生が考え出されたのは、竹で輪っかをつくり、それを壁に取り付け、その中に矢筒を差し込む方法でした。 以下の写真は、今も変わらぬ吉田教場(遊神館弓道場)のその矢筒立です。 その前には三尺程のベージュ色の絨毯が引き詰められ、正座をして稽古を見学できる控えになっています。 私が学生の頃(昭和44年)には既に設置されており、その当時でさえも、古く枯れた年代物に感じられ、戦前に作られたものではないかと推測されるものでした。

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<吉田教場の矢筒立て>


この方法であれば、矢筒の上部を固定しただけで、矢筒は倒れず、場所も取らず、コンパクトに収納できるのです。 私は学生の頃から、流石に能安先生がお考えになっただけに、理にかなった簡易な方法であると思い、卒業して青森へ帰ったら、真似て作り弓道場に設置しようと考えておりました。

次の写真②は、平成6年私が田子高校に赴任した当時、吉田教場の矢筒立てを思い出し、真似て、弓立てに矢筒立てを設置したものです。 等間隔にフックを配列し、そのフックに手芸店で購入した紐を輪状に結びつけたものです。 先日所用で田子高校に立ち寄った際に、撮影させて頂きましたが、20数年経過した現在でも使える状態でありました。

写真③は、私が賛助会員となり、時々稽古させて頂いている、隣町の弓道場に設置された矢筒立てです。 前の会長さん時代に、私が学生時代稽古した吉田教場の矢筒立ての細工をお話ししたところ、それをもとに早速翌日に写真のように設置されたのです。 この矢筒立てにより、それまでは矢筒を床の上に積み重ねて余分なスペースを取っていた状況や、壁に寄りかけて少しの振動で将棋倒しになる不安定な状況等が解消されたのです。

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<吉田教場の矢筒立てを真似て作られたもの>


次回は、以下のことを予定しております。
 ブログ59番 能安先生の考案された 「ゴム弓」について
 ブログ60番 矢番えß(矢さばき)は、四つ弽でも三弓(親指・人差し指・中指)で


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57 弓弝・弝引き 等について

2018/ 10/23 カテゴリ:能安先生から教わったこと


弝引きにより弓手の手の裏に空間ができる

  ……… その空間により、打起こしから大三からへの
       スムーズな受け渡しが可能となる等
          様々な効能が生まれる  ………

1 「弓弝」について
 弓弝という名称の指す位置については、文献を見ると、流派により諸説あるようですが、
 能安先生からは、以下のように教えて頂きました。

 握りと張られて弦の間隔を、弓弝と言う。 弓弝は15センチを標準とし、それぞれの
 弓の特徴により、±5ミリ程度が許容範囲であると。

2 「弝の高さ」について
 弓弝が標準より狭いと、弓弝の弓を省略し「弝が低い」と言う。 また、弓弝が標準よ
 り広いと、弓弝の弓を省略し「弝が高い」と。

3 「弝引きの要領」及び「弝引きの効能」について  【○印=要領、 ◎印=効能】
 (1)「弝引きの要領と効能」1
   ○ 以下の写真のように、弓手の三指(中指・薬指・小指)の指先の腹で、握りの
     部分を、下矧の矧ぎ始め(羽と下の境目)のところまで引くことを、「弝引
     き」と言います。
   ○ 写真①②は、三指の指先の腹で引いていることを、理解して頂くために、敢え
     て、親指を中指から離しています。 
   ◎ 写真②は、弝引きにより弦が筈に食い込んでいます。 このことにより『筈こ
     ぼれ』を防ぐことがでます。

B57-1.jpg


(2)「弝引きの要領と効能」2
   ○ 以下の写真③は、取り懸けた後になされる、実際の「弝引き」の様子です。
   ○ 握りの外竹側と手の裏の間に空間ができています。
   ○ 写真④はその空間に矢が2本入れられています。 能安先生はそのようにして、
     空間ができているか、確認したものでした。

   ◎ 弝引きにより、弓が弦に向かって収縮する(戻る)力が生じます。 その力によ
     て、弓が三指(中指・薬指・小指)の指先の腹側に、吸盤のように吸い付き、手
     の裏の中で固定されます。 そのため、弓を握る力を必要とせず、弓を支えること
     ができるのです。

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 (3) 「弝引きの要領と効能」3
   ◎ 「弝引き」の後、「打起こし」に入ります。 弓手は前述した通り、「弝引き
     に」より弓を握る力を必要とせず、弓を支えることができますので、勝手主導で
     打起しをすることができます。

   ○ 能安先生はその際の注意点として、次のように言われたものでした。 
     『掌根が外竹にくい込むようにする(写真⑤⑦)。
     掌根が外竹から離れてはいけない(写真⑥)』と 

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 (4)「弝引きの要領と効能」4
   ○ 「打起こし」から、弓手主導で「大三」に入ります。
   ○ 能安先生は、「大三」でも空間ができているか、写真⑧のように矢を入れて確
     認したものでした。

   ◎ 弝引きにより、「握りの外竹側」と「手の裏の中にできた空間」により、打起
     こしから大三への、スムーズな受け渡しが可能となります。

   ○ 大三において初めて、手の裏の三点で弓を支え持つようにします。
     (「弓の道 正法流入門」のp88、図7を参照して下さい。)

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以上、能安先生から教わった「弝引き」の要点について、述べて参りました。 私はこの「弝引き」を会得することが、弓道上達に関わる大事なことの一つであると考えております。

【注意】
  手の裏の中の矢は、あくまでも空間ができているか確認するためのものです。
  矢を入れたまま引くのではありませんので、ご注意下さい。

次回は、以下のことを予定しております。
 ブログ58番 能安先生の知恵と工夫 「矢筒立て」について
 ブログ59番 能安先生の考案された 「ゴム弓」について

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56 手の裏の作り方の要領

2018/ 09/09 カテゴリ: 能安先生から教わったこと


手の裏の形を真似ようとせず、指の働き(骨法)を知ることが大事

  ………以下の写真通り、基節や中節に負荷を掛け、手の裏を作る稽古………

空手の使い手が素手でブロックを割る光景を、思い出してみて下さい。 あれは指の
骨の働き(骨法)を生かし、あたかも鉄骨のような手を作っているのです。 

これと同じように、弓手の手の裏も、指の骨の働きを得とくすれば、自ずと手の裏の
形も良くなり、更には弓が弦に向かって収縮しようとする力(弦も弓に向かって収縮
しようといている)に打ち勝つ堅固な手の裏が出来、その手の裏で弓を正しく押し開
いて(押し返して)いくことができるのです。

手の裏の作り方の要領を説明するに当たり、「基節」「中節」という関節名を使いま
ので、このブログの07番で説明した、能安先生がお使いになる関節名を今一度繰り
返させて頂きます。

  能安先生が仰るには、指の根元から
   基節 (第一関節 略して 一節)
   中節 (第二関節 略して 二節)
   末節 (第三関節 略して 三節)
    『人間の身体は心臓が中心で、心臓から端に向かって1・2・3~と
     数えていく。従って指先の端の関節は「末節」と言うのだ。』と、

◎手の裏の作り方を得とくする要領(以下の写真を参考) 
  親指・人差し指・中指・薬指・小指の基節をつぶすように負荷を
   掛けながら、指先を織り込み、それぞれの基節が外側に張るようにすると、
    手の裏の中の空間がつぶれることなく、手の裏ができあがる。

< 基節に負荷を掛けながら手の裏を作る稽古法 >
B56-01.pngB56-06.pngB56-02.pngB56-06.pngB56-03.png


◎手の裏が堅固にできているか確認する要領(以下の写真を参考)
  左の写真のように、中節に負荷を掛けてもつぶれないようにする。
   右の写真のように、つぶれるのであれば、中節の外側へ張りが不足。

< 中節に負荷を掛け、堅固な手の裏が出来ているか確認 >
B56-04.pngB56-05.png
◯             ×

このようにして出来上がった手の裏は、骨が外側に張っているために、外側は堅固で
内側が柔らかく、いわゆる「握卵の手の裏」(卵を手の裏に入れても割れない)となり、
この手の裏で「弝引き」を行えば、「打起こし」から「大三」への受け渡しが、スムー
ズに行われることになります。

次回は、能安先生から教わった「弝引き」の効用について、述べてみたいと
考えております。

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出来る限り継続して参りたいと考えておりますが、不定期となりますことを
ご了承戴き、気長にお待ち戴ければ幸いに存じます。

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55 弦を弓に直に巻きつけてはならない

2018/ 08/ 08 カテゴリ:能安先生から教わったこと


クスネが弓にこびり着き、その除去に一苦労することになる
………弓を右近(中袋)に入れその上から弦を巻き付ける………

各種弓道大会の控え室でよく見かけることすが、竹弓に直に麻弦を巻きつけ、その上に
弓巻きを巻いている方が結構多くおられます。 初心者ならばいざ知らず、錬士・教士
の先生方でも平気でそのようなことをされており残念なことです。 夏場であれば弦巻
に弦を収めれば、クスネから弓を守ることができます。

クスネが弓にこびり着いたら、厄介なことになり、それを取り除くには、かなりの労力
を要することになります。 その防止策として、能安先生から以下のように教わりました。

  『弓を右近(中袋)に入れその上から麻弦を巻きつける。
   右近が汚れたら洗濯すれば済むことだが、弓は洗濯できない』

B55-03.jpgB55-01.jpg

       クスネから弓を守る右近(中袋)

時には、弦をはずして弓を休ませることも必要になるでしょう。 そのような場合は、
以下の写真のように教わりました。

   『「休め弦」(弦輪についている白い糸の輪)を
      本弭(下弭)にかければ、弦を弓に巻きつけなくても良い』

B55-03.jpgB55-02.jpg

     弦輪につく「休め弦」を本弭(下弭)にかける

近年、弦輪に「休め弦」が着いていない弦が増えてきています。 弓人にその使用
方法が分からない方が増え、伝統の「休め弦」が消えて行く運命にあるのでしょうか。
誠に残念なことです。

以上、竹弓を大事にしてもらいたいという主旨で、能安先生から教わったことを述べて
みました。

何れにしても、竹弓を「鹿皮」や「木綿の手ぬぐい」等で磨き、年数を掛けて飴色に
育ててゆく面白みを味わって戴きたいと願っております。

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54 麻弦の扱いについて

2018/07/28 カテゴリ:能安先生から学んだこと


クスネでくっついている麻弦の簡単な剥がし方
………麻弦を床に軽く打ち付けるようにすればよい………

クスネでくっついている麻弦を無理やり剥がそうとすれば、麻弦の表面がほつ
れ、毛羽立ったようになり、弦が切れ易く長持ちもしないものです。 

この麻のほつれを防ぐ方法を、能安先生から次のように教わりました。
  『麻弦を床に軽く打ち付けるようにすれば
    クスネでくっついた麻弦が簡単に剥がれるものだ』 と。

以下ように弦をほぐした後で、上仕掛け、中仕掛けを作っていきます。 
(1)新弦5本のほぐし方
B54-01.jpgB54-05-2.pngB54-02.jpg

(2)新弦1本のほぐし方
B54-03.jpgB54-05-2.pngB54-04.jpg


近年、合成弦の性能が向上してきており、季節や地域の気温の変化に対応し、
麻弦と合成弦を柔軟に使い分けることをお勧め致します。

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53 .射抜かれた兜 能安先生の故郷へ

2018/ 3/15 カテゴリ:お知らせ


能安先生の射抜かれた兜が、先生の故郷へ


………岡山県高梁市歴史美術館の収蔵庫に納められる………

B53-01.jpg

正法流紫鳳会会長土井春夫先生からの情報によりますと、能安先生の射抜かれ
た兜が、昨年(平成29年)能安先生の故郷岡山県高梁市に保管されることに
なったとの事でありました。 この件については、高梁市の市長さんはじめ、
高梁市ご出身の著名な方々の働きかけにより実現されたものであると伺っており
ます。 関係各位のご尽力に感謝申し上げるとともに、あの兜があるべき地に
引き取られ、セキュリティ管理の効いた公共施設に保管されることは何よりの
ことであります。 泉下の能安先生も安堵され、大変喜んでおられることであり
ましょう。

高梁市教育委員会社会教育課に問い合わせたところ、この兜は、高梁市文化
交流会館内にある歴史美術館収蔵庫に、納めらていることが確認できました。

歴史美術館の担当者によりますと、常時展示されておらず、随時企画されるイ
ベント時に一般公開されるとのこと。 一般展示公開される場合は、約一ヶ月
程前に、歴史美術館のHPに設けられた掲示板に、紹介されることになっている
そうであります。

興味のある方は、歴史美術館HP掲示板で展示日時を随時ご確認され、岡山県
高梁市に出向かれ、その目で直に射抜かれた兜をご覧下さいいませ。


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52.楷書の基本「九成宮」を学べ

2018/ 2/ 8 カテゴリ:能安先生から学んだこと


何事(書道・弓道 等々)においても基本が大切である

  ………「東京に帰ったら「九成宮」の拓本を探し君に送ろう」………

前回のブログで申し上げた道場開きの翌年昭和56年、能安先生にお願いし、
再び南郷高校へご指導に来て戴きました。 先生は道場にお入りになると、
名入りの右近(中袋)に入った弓が並べられてある弓立ての前に行かれ、
右近に書かれた学校名と氏名をじっとご覧になられておりました。 すると
生徒に向かって「これは誰が書いたんだ。」 一瞬の沈黙の後、元気な女生徒
の一人が、「山崎先生に書いて頂きました。」と。 「そうか。」とだけ仰っ
た能安先生。

大学時代に能安先生から右近に名入れをして戴いた経験から、先生の書体を
真似て毎年新入部員に、私が書いてあげていたのです。 先生は真似た書体が
気に懸かり、何かを言われようとしたご様子でしたが、直ぐに話題を変え稽古
指導に入られました。 生徒の前で私の書の批評を避けた能安先生のご配慮が
あったのです。

以下は、6年程前に母校桜美林大学弓道部の学生から依頼を受け、右近(中袋)
に書いたものです。 このような感じで、「南郷高校弓道部 山田太郎」と書
いていたのです。

B52-01.jpg

また母校桜美林大学弓道場に掲げる部員の木札を、これも学生の依頼を受け、
能安先生の書体を真似て、数年間書いておりました。 揮毫に当たっては
以下ように、先ずは方眼紙に字配りを考え、手直しを繰り返し、練習をした
後で、木札に向かい書き上げていたのです。 能安先生であればそのような
事はせず、木札に一気に書き上げ完成させます。 そこが素人の私と、プロ
の能安先生との違いなのです。 木札の現物は卒業時に部員が記念に持ち帰
っていたようです。

B52-02.jpg

話を前に戻します。 南郷高校での弓道稽古指導を終え、宿泊先の我が家へ
ご案内の車中、能安先生が、右近に書いた私の書体を話題にされ、次のよう
なご助言を戴きました。

 「君は僕の書体を真似る前に、もう少し楷書の基本を学ばなけりゃ
  いかんな。 書でも弓でも全てが、基本が大切なんだ。 それが
  出来たら、行書・草書と進み、自身の書体を確立するがいい。

  そうだ、東京に帰ったら楷書の基本『九成宮』の拓本を探して、
  君に送ってやろう。」

能安先生が東京に戻られて数日後、真新しい『九成宮』の拓本が送られて参り
ました。 楷書の基本である『九成宮』をしっかりと学べという手紙が添えら
れて。 あれから37年も経過しました。 今でも私の書棚に能安先生から贈ら
れた、この『九成宮』の拓本が納められております。

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51.神棚の寸法について

2018/1/1 カテゴリ:能安先生から学んだこと


南郷高校弓道場建設時に 学んだこと ご協力戴いたこと
 お社を祀る神棚の横幅は3尺6寸5分、 奥行きは1尺2寸

 ……… 1年は365日 月で言えば12ヶ月 からきていると ………

私は昭和53年八一高から南郷高校へ転勤。 そこで弓道部を創設、翌年の
54年には運良く国体選手を育てることができ、そのことが評価を戴き、55
年春に弓道場が完成致しました。

この道場の設計については、能安先生から種々ご助言を賜りました。また
部員の保護者の方々からも、矢道の芝の提供、安土の土台の手直し、カー
ンの提供、神棚に祀るお社の提供等々。 偶然にもそれぞれに関係する
ご商売をなさっている保護者の方々がおられ、有り難くそのご厚志を頂戴
致しました。

大工さんが最後の仕上げの段階に入り、神棚の寸法を尋ねられ答えに窮して
しまったのです。 急いでおりましたので、能安先生にお電話をかけご相談
申し上げたところ、いとも簡単に以下のようにお答えになりました。

  『神棚の横幅は3尺6寸5分、 奥行きは1尺2寸
    1年は365日(3尺6寸5分) 月で言えば12ヶ月(1尺2寸)
       からきていると 覚えておけば良い 』

今でも、当時の電話向こうの先生の得意げなお声が耳に残っており、大切な
事をまた一つ教えて戴いたと感激したことを覚えております。

更に、能安先生には次のことをお願いし、いずれも快く引き受けて頂きまし
た。 道場への命名依頼(「正法館弓道場」と命名)。 その名を木製看板
に揮毫依頼(その看板は道場玄関に設置される)。「致中和」の書を揮毫
依頼(額装し射場内に掲額)。

道場開きには、能安先生・レイ先生のお二人をお招きし、盛大に開催されま
した。 審判席にすわる能安先生の目の前で、生徒の祝射(五人立ち)の
最初に登場し、大前を勤めた3年の笹本義彦君が甲矢を的中、レイ先生が私
の耳元で「この子は射がいいわね。」と囁いた直後に乙矢を甲矢に押し込み、
継矢を成し遂げるという快挙を達成。 道場開きに華をそえる縁起の良い始
まりとなった次第でありました。

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このブログは「能安先生から教わったこと」書き綴るために始められました。
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ご了承戴き、気長にお待ち戴ければ幸いに存じます。

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50.阿波研造門下・三英傑(神永・安沢・吉田)の書

2017/12/12 カテゴリ:雑記


神永書「真」、安沢書「善」、吉田書「美」「弓の道の究極の目標」

……… 青森市スポーツ会館弓道場に掲額 ………

みちぎんドリームスタジアム内にある青森市スポーツ会館弓道場(青森市合浦1-13-1)
には、阿波先生の高弟である、神永・安沢・吉田の三先生が書かれた「真善美」の書が
表装され掲額されております。

B50-01.jpg

吉田能安先生書「美」、安沢平次郎先生書「善」、 神永政吉先生書「真」


B50-02.jpg
大前:吉田能安先生、中:安沢平次郎先生、大後(おち)神永政吉先生

この額が存在することを、このHP「吉田能安先生追想録(PDF版)」で紹介した
ところ、遠方の方々から、遠い青森へ行く機会がそうあるわけでもなく、写真で紹介
してもらえまえかとうご要望をたくさん頂戴いたしました。

そこで、青森市弓道連盟の前会長の千葉健一先生、現会長の沼館孝雄先生のご了解を
得て、今回このブログでその「真善美」の額を、上記の通り紹介させて戴きました。

両先生のお話によると、昭和29年新制青森高校の弓道場落成道場開きに、神永・安沢
吉田の三先生をお招きしした際に、佐々木龍蔵先生の御発案により、青森市営弓道場
用にと、揮毫して戴いたとのことであります。

「真なるもの」「善なるもの」は「美しい」という「真善美」は、弓の道の究極の
目標でもあります。 神永・安沢・吉田の三先生が書かれた「真善美」の額が掲げら
れた青森の道場に立つと、「一射一射抜かり無くと」身の引き締まる思いが致します。


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今後の予定として「能安先生から教わったこと」については、以下のことについて
述べてみたいと考えております。 順不同となることもご了承戴き、気長にお待ち
戴ければ幸いに存じます。

◎  射は君子の争い
◎ 「射」は観徳の器である。
◎ 書の基本「九成宮」を学べ。
◎ 「弝引き」の効能と重要性



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49.「離れ」の熱血指導

2016/09/14  カテゴリ:能安先生から学んだこと


桜美林大学OG 吉仲紀子さん提供写真 その2

……… 「能安先生の熱血指導 ・ 追いコン集合写真」 ………

吉仲紀子提供 2016-08-20 008_500.jpg


【吉仲記】
能安先生の「離れ」に関する熱血指導の場面です。(昭和52年、夏合宿、新潟
県妙高高原、学芸大付属高校泰山館弓道場)

【山崎追記】
能安先生は

 「離れは、『弦1本の直径分(1~2㎜)の捻りをとる』
                     ことから生まれる」

と、写真のように、『勝手』を審判席に向けたり、垂直に床に向けたり天井に
向けたりと、自在の『離れ』を実演してみせてくれました。

しかも驚きです。 そのような自在の『離れ』から出た矢は、巻藁に真っすぐ
に入っているのです。 

確たる理論を持ち、自ら実践し証明して見せる。 教わる者は、「なるほど」
と納得し、誰もが能安先生に惹かれ心酔してしまうのです。

吉仲紀子提供 2016-08-20 002_500_500.jpg


【吉仲記】
追いコンでの集合写真です。(昭和54年、新宿東京大飯店にて)

【山崎追記】
今から40数年前の追いコンの集合写真ですね。 能安先生の指導に魅せられ、大学生
は4年間、短大生は2年間『弓道一筋の学生生活?』を謳歌されたことでしょう。

彼らは、現在50代半ばでしょうから、現役学生の保護者の方々より、少々上の年代に
当たるかもしれません。 能安先生の横にいる、私の青年監督時代の学生達ですから、
当時が懐かしく思い出され、皆さんがどのように変わられているのか、お会いしてみ
たいものです。

当時の貴重な写真を郵送提供してくれた、吉仲紀子さんにこの場をお借りして、OB・
OGの皆さんと共に、心から感謝と御礼を申し上げたいと思います。


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今後の予定として「能安先生から教わったこと」については、以下のことについて
述べてみたいと考えております。 順不同となることもご了承戴き、気長にお待ち
戴ければ幸いに存じます。

◎  射は君子の争い
◎ 「射」は観徳の器である。
◎ 書の基本「九成宮」を学べ。
◎ 「弝引き」の効能と重要性



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48.能安先生の優しい笑顔

2016/09/13  カテゴリ:雑記


桜美林大学OG 吉仲紀子さん提供写真 その1

……… 「能安先生の優しい笑顔・学生達に囲まれる能安先生 ………

桜美林大学OG吉仲紀子さんから次の様な内容のお手紙と、写真が送られてきました。

【吉仲記】
<休憩中に鳴海先輩(現 三浦恭子さん)と談笑する能安先生>

能安先生の優しい笑顔01.jpg

「山崎監督、いつも懐かしくHPを拝見させて戴いております。 
  (私の学生時代の監督は山崎先輩でしたから、『山崎監督』と
     お呼びすることをお許し下さい。)

トップページに使われている能安先生の「威風堂々の写真」、ブログ46の「肌脱ぎを終え、
弓を弓手に持ち替える直前の写真」、いずれも正しく『これぞ能安先生』というお顔の
写真ですね。 

能安先生と山崎監督は、弓道を通じての人間教育とか、天下国家を論じる難しいお話をさ
れておられことを、側で伺っておりましたが、私たち一般部員にとっては、稽古の合間
の休憩時間や、稽古を終えた後の自由時間に、お見せになる能安先生の優しい笑顔が忘れ
られません。 そんな能安先生の『優しい笑顔』の写真をお送りしますので、ブログの合
間に載せていただけませんでしょうか。…………………… 」

【山崎追記】
鳴海さんは青森県黒石市から桜美林大学に入学。 黒石は、全弓連初代会長を務められた
宇野要三郎先生の出身地でもあります。 能安先生は「鳴海は黒石か。だったら宇野先生
の所じゃないか」と、特に気に懸けて下さっておりました。

【吉仲記】
<学生達に囲まれる能安先生、静岡県川根駅ホームにて>

能安先生の優しい笑顔02.jpg

昭和54年3月、静岡県立川根高等学校弓道場をお借りして春合宿が行われました。合宿を
終え、川根駅ホームで列車を待つ合間に能安先生を囲んで撮影された写真です。 先生の
左隣でコート着て立っているのが磯学君(二代目のOB・OG会長)。 右隣が先生の秘書
役を仰せつかっていた私(吉仲紀子)です。

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今後の予定として「能安先生から教わったこと」については、以下のことについて
述べてみたいと考えております。 順不同となることもご了承戴き、気長にお待ち
戴ければ幸いに存じます。

◎ 桜美林OGから、このブログに是非載せて欲しいと、送られてきた写真。
◎  射は君子の争い
◎ 「射」は観徳の器である。
◎ 書の基本「九成宮」を学べ 。
◎ 「弝引き」の効能と重要性



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47.能安先生の「打ち起こし」について

2016/07/25  カテゴリ:能安先生から学んだこと


正法流の「打ち起こし」の要諦について

……… 打ち起こしは「狭く、高く」 ………

blog47-01.jpg

上記の写真は、以前にも紹介した、桜美林大学弓道部の第一回目の合宿で、能安先生
が引かれた礼射の一コマで、私が撮影したものす。 

能安先生は「打ち起こし」については、「打ち起こしは、狭く高くを基本にせよ。」
と指導されました。 続く「大三」は、『心臓があるため左の肺より、右の肺が大き
く、その右の肺で大きく息を吸いながら、「大三」に移行すると、右脇胴が自然に無
理なく張られ、雄大な「大三」が作られるのだ』と申されておりました。

私の全弓連錬士五段の教え子は、近頃教錬士会の講習会に行くと、講師の先生方が
「打ち起こしは、狭く高くと、よく仰るんですよ。 高校時代、山崎先生が私たちに
教えて下さったように」と。 

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今後の予定として「能安先生から教わったこと」については、以下のことについて
述べてみたいと考えております。 順不同となることもご了承戴き、気長にお待ち
戴ければ幸いに存じます。

◎ 桜美林OBから、このブログに是非載せて欲しいと、送られてきた写真。  
◎ 「弝引き」の効能と重要性
◎  射は君子の争い
◎ 「射」は観徳の器である。
◎ 書の基本「九成宮」を学べ。




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46.能安先生の「肌脱ぎ」前後の作法について

2016/07/20  カテゴリ:能安先生から学んだこと


正法流の「礼射」に於ける体配・作法について

……… 現在に礼射の元の形と言われている ? ………

blog46-01.jpg


blog46-02.jpg


上記の写真は、以前にも紹介した、桜美林大学弓道部の第一回目の合宿で、能安先生
が引かれた礼射の一コマで私が撮影したものです。 正法流では本座ではなく、射位
で「肌脱ぎ」が行われます。 

故松原興一先生(元青森県弓道連盟副会長、元八戸弓道協会会長、私の父親と同年代
の方)が、20年程前、三戸にお出でになりの弓道大会の審判長をなさった時に、能安
先生から教わった、私の矢渡しをご覧になり、次のように話されたことがあります。 
「昭和の初め、私の学生時代、仙台では同じ作法・体配の礼射でした。 これが改定
に改定を重ね、現在の全弓連の礼射になったのです。 いつかあなたの礼射をビデオ
に撮り私に送ってくれませんか。」と。

松原先生のこのお話は、私の生まれる前のことであり、私にとっては真偽の程はよく
分かりませんが、とても興味深いものでした。

能安先生は、近世の弓聖阿波先生の高弟であり、度々仙台に出かけられたことは、
生前何度か伺ったことがあります。 私のあくまでも推測ですが、私が能安先生から
教わった礼射は、阿波先生直伝のものかもしれません。

正法流紫鳳会では、この礼射が現在でも受け継がれ伝統が守られております。 紫鳳
会発行の「弓の道 正法流入門」には、井戸先生(昭和29年天皇盃獲得者)の連続
写真による礼射が掲載されております。

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次回は以下のことについて述べてみたいと考えております。

◎ 能安先生の打ち起こしの写真
   打ち起こしは「狭く、高く」、
  「左より大きな右の肺で大きく息を吸いながら」大三をつくるべし。




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45.「北斗の人 」(司馬遼太郎著)を読んで

2016/07/19  カテゴリ:能安先生から学んだこと


「北斗の人」の中に出てくる逸話について

……… 能安先生曰く「昔から有名な話なんだよ」 ………

前回のブログで述べた通り、以下は昭和45年春頃の話になります。 私は姉の勧め
により山岡荘八による「徳川家康」全18巻を読み終えることができました。 私は
小学生の頃に教えられた家康像と全く異なる家康に触れ、尊敬の念を抱くようになっ
ていったのです。 読後、徳川家康の人となりに感銘を受けた私は、次第に家康に少
しでも近づけるような人生を歩みたいものだと考えるようになりました。

また人生の生き方に共感できるような別の歴史小説がないものかと、大学での部活動
を終え下宿先の玉川学園前駅に向かう途中、新原町田駅前(現在の小田急町田駅)に
ある久美堂書店に立ち寄ったのです。

その久美堂に入るや否や、真っ先に歴史小説コーナーに直行。 そこには吉川英治、
海音寺潮五郎等の作品が並んでおりましたが、何故か司馬遼太郎の「北斗の人」の
前で足が止まり、手に取って見ると、 北辰一刀流開祖である千葉周作の生涯が描か
れているという文言が目に入り、これは面白そうだと興味が湧き早速購入。 下宿
で夕食を戴いた後、読み始めると面白く、翌日が日曜日でもあったこともあり、時
の経つのも忘れ 一晩で一気に読破してしまいました。 

その本を通じ、千葉周作は理に適った合理的で無駄の無い剣術指南により、多くの
優秀な門弟を育てたことが分かり、私は一武芸家としての生き様に心を打たれ、
家康とは一味違った感動を覚えたものです。 剣と弓の違いこそあれ、共通項もあ
り、家康とは違った観点から参考になる事多く見つける事が出来ました。

例えば、その中で描かれたキコリと妙な獣の逸話から、「無心」の大切さを学んだ
のです。 この逸話については、このHPの「山崎誠の文集」の冒頭の文(私が28歳
当時に書いた文)に引用させて戴いておりますので、そちらをご覧下さいませ。 
さらに春斎の逸話では、茶坊主春斎が、辻斬りに醜い斬られ方をされたくないと、
教えを請いに千葉道場に出向くと、周作は剣の極意は「相打ちである」と、「無念
夢想」構えを伝授。 春斎は辻斬りに周作から教わった通りの構えをとると、辻斬
りは相手は死ぬ覚悟できており、相打ちになることを悟りその場を立ち去ったとの
こと。

数日後、吉田道場に稽古に伺った際、能安先生にこの「無心」についての逸話をお話
申し上げたところ、先生は私の話を遮ることなく、最後までお聞き下さった後、笑顔
で「その話は昔の武芸家なら誰でも知っている有名な話なんだ 」と申されました。 
そして能安先生は「もう一つ面白い逸話があるんだ。」と、私が次にお話を申し上げ
ようと思っていた、春斎のお話を事細かに話されたのです。
この能安先生との会話のやり取りを通じ、弓道のみならず、先生の造詣の深さに改め
て感服した次第でありました。

先生はいつもの如く柏手を打たれ、「貞子、山崎に茶と菓子を出してやれ。」と。 
奥様が先生と私のお茶と和菓子を持って居間にお出ましになると、上機嫌で、
「輪島はどっしりとした姿勢がいいね。」と話題が大相撲に移って行ったのです。 




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44.「徳川家康」(山岡荘八 著)を読んで

2016/07/16  カテゴリ:雑記


桜美林大学弓道部員獲得ダイレクトメール作戦を思いつく

……… 能安先生のネームバリューが窮地を救う ………

昭和46年の夏、当時大学3年生であった私は、弓道部員が思うように集まらず四
苦八苦しておりました。 そこで私が考えついたことは、弓道部員獲得のため関東
以北の高校に勧誘の書状を差し上げるダイレクトメール作戦を実施してみてはどう
かという案でありました。 このダイレクトメールの構想を、副将の井深君に話し、
書き綴った書面を見せると、「やりましょう」と賛成してくれたのです。 相馬部
長先生(経済学部教授)からも了解を取り付け早速作業開始。 およそ200校程の
高校に、「師範 範士十段 吉田能安先生」から弓道を学びませんか、といった内
容のお手紙を差し上げることになりました。

このダイレクトメールによる部員獲得の構想を思いついた切っ掛けは、当時ソニー
に務めていた姉の勧めにより、山岡荘八の「徳川家康」を読んだ事に始まります。 
徳川300年の礎を気づいた家康の忍耐強さ・思慮深さ・先を読む力等に、私はとて
も感銘を受け、家康から学んだこれらの事を、その後の部の運営に生かしていかな
ければならないという思いが、日に日に強くなって行きました。 桜美林大学弓道
部の末永い存続を計る為に、何かいい方策はないものかと考えた結果が、このダイ
レクトメール作戦となったのです。

このダイレクトメール作戦により、桜美林大学弓道部の師範が、あの兜射貫きで有
名な吉田能安先生であることが全国に知れ渡り、優秀な部員が集まり始めました。
石山俊彦君・石山佳彦君兄弟を始めとして、安田君、紙本君、小林君、岸さん等と
続き、今日の強固な礎が築かれて行ったのです。

桜美林大学弓道も次の東京オリンピック開催年に、創部50周年を迎えることになり
ました。 弓道部創設者として、今日の揺るぎ無い地位を築いた、それぞれの年代
における、後輩諸君の真摯な頑張りに敬意を表しつつ、現役諸君には50周年に向け
謙虚に日々是精進されること期待しております。

40数年前、英文科の学生として、シェイクスピア・トーマスハーデイ・ヘミング
ウェイ、マークトウェイン等の英米文学作品翻訳に夢中であった時に出会った、
山岡荘八の「徳川家康」。 英米文学にだけ目が向いていた時代に、日本の歴史小
説に触れ、故郷に帰ったような懐かしく新鮮な気持ちになったことを記憶しており
ます。 気がついてみると私は次の歴史小説を求めて、新原町田駅前にある(現在
の町田駅)久美堂書店の歴史小説コーナーの前に立っていました。

そこで偶然出会った作品が、司馬遼太郎が剣豪千葉周作の生涯を描いた「北斗の
人」でありました。 その中で書かれている「無心」と「無念無想」の逸話に心
を動かされることになるのです。 次回のブログでは、その事について述べてみ
たいと考えております。

><><><><><><><><><><><><><><><><><><><><><><><><><><><><><><><><><><><><>
次回は、今回のブログとの関連から、「北斗の人」(司馬遼太郎著)について。 

◎ 司馬遼太郎作『北斗の人』の中に出てくる
   「無心」キコリと妙な獣の逸話、「無念夢想」春斎の逸話
   能安先生曰く、昔の武芸家なら誰でも知っている有名な話である。




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43.弽の着け方の要点

2016/04/05  カテゴリ:能安先生から学んだこと


能安先生から学んだ弽の着け方の要点について

……… 小紐は手首の二回り分の長さに作ってもらう ………

能安先生から、以下の写真の順番通りに弽を着けるように教わりました。 また
小紐は手首の二回り分の長さに作ってもらうことが大事であると。 その理由は
写真でお分かり戴けるかと思いますが、帽子が抜けないように、小紐を手首に巻
き付ける際に、重ねるのではなく、二列に平行に手首に巻き付けるためなのです。

前回のブログでお話した重富先生作の弽『久輝』は全てそのように作られており
ます。

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小紐の二回り目は、以下のように手の甲の側に平行に巻き付ける。
帽子が抜けないようにするためである。

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大紐は小紐の二回り目の手の甲側の端に合わせて巻き付ける。

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42.能安先生推奨の弽『久輝』

2016/04/01  カテゴリ:雑記


能安先生推奨の弽『久輝』

……… 弽のイミテーション製作なら、征矢弓具店をお薦めします ………

以下の写真の右が本物の『久輝』。 左がそれを見本に征矢弓具店で作って
戴いたイミテーション。 征矢弓具店ではイミテーションを「写し」と呼んで
おられるようです。

征矢と久輝 001_500.jpg


能安先生は、福岡県の弽師重富忠雄先生と懇意にされており、重富先生作の
『久輝』を愛用されておりました。 能安先生は重富先生と直接お会いし、細部
に亘って希望を申し上げ、試作を何度も繰り返し、正法流に適した弽が出来上が
ったことを、先生から直接伺ったことがあります。

従って、今から45年程前の私の学生時代(昭和44年〜47年)には、吉田
教場の門弟の多くの方々が、能安先生推奨の弽『久輝』を使用されておりまし
た。 当然の如く、私も能安先生から手形を取って戴き、押し手弽と対で『久輝』
を作って戴きました。 上記写真の右がその弽で、現在も使用可能なのですが、
桐箱に入れ大事に保管しております。 昭和55年に、やはり押し手弽と対で 重富
先生から二作目を作って戴き、それを平成5年頃から使い始め現在に至っており
ます。

ここ数年前から、教師時代に弓道を指導した教え子達から、「山崎先生から手形
を取って頂き作った『久輝』の 弽が古くなり、新しい物を作って戴きたいのです
が。」という問い合わせが数多くあります。 すでに、重富先生はお亡くなりに
なっており、なんとか教え子達の要望に応えようと、私の『久輝』をもとに、二
カ所に試作して戴いたのですが、期待した物が出来ず残念に思っておりました。

その後、ある弓具店の社長さんから「当社とは取引がないのですが、九州の征矢
弓具店ならできるかもしれません。」という情報を戴きました。 早速連絡を取
ったところ、「手形と『久輝』を送って戴ければ作れます。」との御返事。 お
よそ二ヶ月後『久輝』のイミテーションが出来上がり送られて参りました。それ
が上記写真の左側です。 見事な出来映えで、早速その弽を着け弓を引いてみた
のですが、正しく『久輝』そのもので、これならば教え子達にも紹介出来る「弽」
であることを確信することができた次第です。

但し、私は征矢弓具店のオリジナル製品の「弽」を使用したことはありませんので、
そちらに対するコメントは差し控えさせて頂きます。



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41.『おち』は漢字で表すと『大後』となる

2016/01/19  カテゴリ:能安先生から学んだこと


『おち』は漢字で表すと『大後』となる

……… 故 範士十段石岡久夫先生の著書にも ………

能安先生から、『おち』は漢字で表すと『大後』であると教わった事は、追想録
の第8章において、既にお知らせ致しました。

その後能安先生以外の先生方で『大後』という表現を使われている方にお目に
掛かったことがありませんでした。 ところが数ヶ月前に、古い弓道に関する
書物を整理していたところ、石岡久夫先生の著書『弓道入門』の弓道用語解説
に『おち』は『大後』との説明を発見し、嬉しく思いました。 石岡先生も、
能安先生のように理解されご自分の著書にもそのように使われいることを確認
することができたのです。

但し、石岡先生の著書の弓道用語解説には、大後「おち」と大前「おおまえ」
の説明のみで、大前次「おおまえつぎ」、中「なか」、大後前「おちまえ」の
説明がなされておらず、そのことが残念でなりません。

もう一度、1的から5的までの名称を以下の通り繰り返しますが、詳しくはこの
HPの追想録8章に書いておりますので、再度そちらをご覧下さい。

 1的  大前「おおまえ」
 2的  大前次「おおまえつぎ」
 3的  中「なか」
 4的  大後前「おちまえ」
 5的  大後「おち」


「吉田能安先生追想録」をネットに載せた後、後輩(弟弟子)の数名から  

    「初めて知りました。能安先生から伺う機会を逸し、
     何人かの先輩(兄弟子)からお聞きしても確たる
     答えが得られず残念に思っておりました。 有り
     難う御座いました。」

という内容のメールを頂戴致しました。 門弟の中にも知らない方が、多数お
られることが分かり、能安先生からお聞きしたことが、皆さんにお役に立てて
良かったと思っております。

<石岡先生について>
能安先生は明治24年生まれ。石岡先生は明治38年生まれですので、石岡先
生が14歳年下となります。 私は直接お会いしお話したことはありませんが、
学生時代町田市玉川学園7丁目に下宿しておりましたので、小田急玉川学園前
駅で何度かお見かけしたことがあります。 石岡先生は国学院大学の他に玉川
大学弓道部の師範をなされており、ご指導にお出でになられた時のことだと思
われます。

石岡先生はいつも和服を召され、弓具一式とバッグを抱え改札口を出られると
迎えに出ていた袴と稽古着をつけた玉川大の主将と思しき学生が、先生の所持
品を預かり持ち、大学正門に向かってご案内をしておりました。

「あの方が『弓道入門』を著された石岡先生か」と私は、矍鑠としておられた
先生に畏敬の念を持ったものでありました。 当時能安先生は80歳ですから、
石岡先生は66歳のはずですが、私には立派な方に見え、能安先生と同じぐらい
のお歳なのかなと感じておりました。

<能安先生から伺った石岡先生について>
私が学生時代、石岡先生の『弓道入門』を持参し吉田教場に稽古に伺った時に
「この本は、先生が指導されることと共通点があるのですが」と申し上げると、
「へい、石岡君が本を書いたのか」と本の表紙をご覧になっただけで、

  「彼は僕の前ではいつも直立不動でね、真面目な男なんだ。日大の
   道場開きの時に僕のところに挨拶に来てね。」

  「吉田先生ご無沙汰致しておりました。 先生、随分白髪が増えま
   したね。」

   と言うもんだから、彼に言ってやったんだ。

  「石岡君、きみ範士になったんだって。 範士になってようやくまと
   もに俺の顔を見れるようになったのかい。 ワッハハ。」とね。

これが負けん気の強い能安先生らしいところでもあり、一方で無用な誤解を招
く所でもあったかもしれません。

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今後の予定として「能安先生から教わったこと」については、以下の
ことについて述べてみたいと考えております。 順不同となりますが、
気長にお待ち戴ければ幸いに存じます。
◎ 弽のつけかたの要点。
◎ 打ち起こしは「狭く、高く」、
  「左より大きな右の肺で大きく息を吸いながら」大三をつくるべし。
◎ 「弝引き」の効能と重要性について。
◎ 「射」は観徳の器である。
◎ 書の基本「九成宮」を学べ。



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40.能安先生が大沢万治先生を評価

2016/01/14  カテゴリ:雑記【朝岡先生の思い出に追加】


能安先生が大沢万治先生を評価

……… 岩手にはもう一人上手いのがいたな ………

このブログのの38番で「朝岡先生の思い出」のお話を致しましたが、その続きと
して以下の事を追加させて戴きます。 朝岡先生の射をお褒めになった直後に、
能安先生は「そう言えば岩手には、もう一人上手いのがいたな。 小田島君と言
ったかな、旧制岩手中学から明治神宮大会に出て来てね、良い射を引いたんだ。」
とお話になられた事が、もう一つ印象に残っております。

この小田島先生こそ、後に二戸市の大沢家に入られ「大沢万治」を襲名し、岩手
県弓道連盟会長、全弓連副会長としてご活躍された方であります。

このように能安先生は「青森は佐々木君だ。(佐々木龍蔵先生)」と言うように、
ほとんどの県弓連の主立った先生方を知っておられました。

話は変わりますが、私の地元三戸町は長らく南部藩宗家の城下町でありましたが
山城から平城の時代になるにつれて、南部氏は三戸から今の岩手県盛岡市に移城
したのです。 このような経緯から三戸町は青森県ではありますが、岩手県の盛
岡市や県境の二戸市とは歴史的にも同じ南部藩に属し、現在でも政治・経済・文
化・スポーツ等の交流が盛んに行われております。

私の父も三戸町には高等女学校しかなかったため、お隣の岩手県二戸市にある旧
制岩手県立福岡中学に入学し(現岩手県立福岡高等学校、近年開催された岩手イ
ンターハイにおいて弓道男子団体優勝)、そこで弓道を始め北日本中等学校弓道
選手権大会で団体優勝。 それが講じて弓道に魅せられ自宅に道場を持つまでに
なったのでありました。

このような関係から、父は若い頃は盛岡の朝岡先生からご指導を戴いておりまし
た。 更には二戸市の大沢万治先生、藤田廣先生、森川忠一先生とは同年代で、
親しくさせて戴いており、三戸・二戸地区の各種弓道大会では、この四人が射場
審判席に着いていたものでした。



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39.能安先生の「威風堂々」とした構え

2015/12/10  カテゴリ:雑記【能安先生の写真から学ぶ】


能安先生の「威風堂々」とした構え
  ……… 能安先生79歳 桜美林大学合宿にて ………

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現弓界に、このような「威風堂々」とした構えを見せて戴ける射手は何方か?

昭和45年7月、長野県松原湖玄武館弓道場(故浅沼大八郎館長経営、当時教士六
段)において、桜美林大学弓道部が初めて夏合宿を行いました。  その最終日に
能安先生は第二玄武館弓道場に於いて、我々学生に巻藁射礼を見せてくれました。
射終わった後、本座での構えです。「今だ」とばかりに私がシャッターを切った写
です。

この時の巻藁射礼については、このHPの「吉田能安先生追想録」に詳しく書いて
おりますので、再度そちらをご覧下さい。

そちらには能安先生80歳と書いてありますが、合宿が7月、先生のお誕生日は9月
26日ですから、正確には79歳10ヶ月となります。


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38.能安先生と私の幼少時代の写真

2015/12/05  カテゴリ:雑記【能安先生と思いでの写真】


能安先生と私の幼少時代の写真
  ……… 能安先生69歳頃、私が7・8歳頃か ………

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HPリニューアルに当たって、書斎に積み上げた古い資料整理していたところ、
古い写真が見つかりました。左は、能安先生と両親と私が写っている写真で
す。昭和34年、青森岩手弓道大会が開催された8月の第一日曜日に撮影され
たものです。先生69歳、私が8歳で小学校3年生。 矍鑠とした能安先生。
道場の回りを遊んでいた私を見つけた先生が、恥ずかしくて嫌がる私を無理矢
理引っ張り込んでカメラに収めてもらったものです。

右の写真は昭和33年、私が7歳で小学校2年生頃のものです。弓は半弓で、
岡の朝岡先生(故岩手県弓道連盟会長範士八段。阿波門下生で能安先生の弟
子に当たる)からお借りしたものでした。 ご覧の通り恥ずかしながら、弓
などと言えるものではありません。 遊び道具に、弓、弽、矢を与えられた
うなものなのです。その後こんな私が、大学で能安先生から本物の弓道を教
わることになるとは、誰も想像出来なかったことでありましょう。

<朝岡先生との思い出>
大学時代、冬休み明けか、春休み明けのどちらかなのですが、「特急はつか
り」で上京する際に、偶然盛岡からお乗りになった朝岡先生と同席になったこ
とがありました。先生は全弓連の全国県弓連会長会議に出席されるとのこと、
車中「上野」まで弓道のお話をいろいろと承りました。上野での別れ際に、
「くれぐれも能安先生に宜しくお伝え下さい」と申しつかりました。その足で
西荻の吉田教場に伺いその事をお伝えすると、能安先生は大変喜ばれ「朝岡君
か、懐かしいね。彼の射は覚えているよ。上手いんだけど射が固くてね。」と
お話になられた事が印象に残っております。


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37.銘弓『吟翠』に出会う

2015/09/24  カテゴリ:吉田能安先生から学んだこと


能安先生 推奨矢筒『千筋』を求めた弓具店で
  ………  永野一萃作 銘弓『吟翠』に出会う 
         渡邊弓具社長 渡邊豊南様のご推薦による ………

前回、『塗り弓と塗籠籐』について述べましたが、その塗り弓を能安先生から
頂戴した、翌年のことであったと思います。 母校桜美林大学弓道部の追いコ
ンに招かれ上京した折に、神田の小山弓具を訪れ田舎の弓仲間から、依頼を受
けた弓具を買い求めていると、旧知の佐藤矢師が

 「先生、中々手に入りにくい、こよりで編んだ矢筒に漆を塗り込んだ高
  級品が入荷しているんですがご覧になりませんか」

と、お店の奥からその矢筒を取り出して参りました。

 「こんな矢筒を作れる職人が年々少なくなりもうこれが最後かもしれま
  せんよ。」 

前年能安先生から戴いた、「曙千段巻き塗り弓」の、「塗り籠籐」が頭をよぎ
り、籐に塗り込んだ漆と、こよりに塗り込んだ漆の違いはあるものの、その漆
の文様は実に美しく、技を極めた職人でなければなし得ない逸品であることは、
素人目にもわかるものでした。

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早速その矢筒を購入し、能安先生に矢筒に名入れをして戴こうと、西荻の吉田
教場に向かいました。 型通りのご挨拶を済ませ、矢筒をお見せし名入れをお
願いした処、能安先生曰く、  

 「確かにいい矢筒だが、君なら『千筋の矢筒』を持つべきだ。豊橋に
  あるはずなので、岡山へ行った帰りにでも、俺が買ってきてやろう。
  名入れをせずに、それは誰かに譲ってやれ。」

それから、数年して先生はお亡くなりになり、『千筋の矢筒』は幻と消え、残
念乍ら手に入れることができず、いつしか『千筋』は忘却の彼方へ。

十数年前、名古屋で妹の嫁ぎ先の歯科医院ビル新築祝いに招かれ、名古屋へ行
く機会に恵まれました。(義弟は中川区に吉岡歯科医院を開業、現職の歯科医
師のための研修施設も完備し、研修会もたびたび開催しインプラントの世界で
は名が知れているらしい。 私の甥に当たる息子も歯科医師となり多忙を極め
ているとのこと。)

その帰途、豊橋の渡辺弓具を訪れることができたのです。 社長さんと初めて
お会いし、能安先生の弟子であることを伝え『千筋』の矢筒を探している旨を
伝えると、作る職人が亡くなり『千筋』は今では皆無とのこと、長年探し当て
た『千筋』にお目にかかることができませんでした。

意気消沈している私に、社長さんが奥の部屋から古い手紙を沢山持って来られ、
能安先生からのものですと見せて戴きました。 そのことから能安先生が渡邊
社長と懇意にされていて何度も豊橋を訪れていたことを知る事ができました。 

能安先生の思い出話に花が咲き、次のような裏話をお聞きすることもできまし
た。

 「日弓連の名だたる先生方が、能安先生がいらっしゃる時は教えを
  請いたいので、必ず教えて欲しいと言われ、お忍びで社長応接室
  で能安先生からご指導を受けたものですよ。」

昭和40年代前半私の大学時代に、東京都内の弓具店主の何人からか

 「今の都内の範士の先生方も偉そうなことを仰っておられますが、
  能安先生から指導を受けなかった方はほとんどおりませんよ。」

というお話を伺ったことはありましたが、それ以来の衝撃的ななお話でありま
した。

話が横道にそれましたが、社長さん曰く

 「山崎先生は、弓はどなたの作をお使いですか。」

それに対しては、『楠見祖峰』と『肥後三郎』のニベを使っておりますがとお
応えしますと、

 「永野一の『吟翠』を使ってみてはいかがですか。 性能が素晴
  らしく、こちらでは今大人気ですよ。」

使用中の弓ののキロ数を聞かれお答えすると、店から奥の部屋に行かれ、二張
りを持ってこられ、

 「どうぞ肩入れしてみて下さい」

と。 成り、弦通りを確認後、了解を得て弦音の確認、肩入れをさせて戴き一
張りを購入することになったのです。 青森に帰り巻藁、的前と引いてみると
矢勢があり的中も安定、社長さん伺ったことが確かなことであることを確信致
しました。 その後真夏用にと、多少強めの『吟翠』を購入したい旨をお手紙
を差し上げると、三張りが送られてきて、その中からお好きなものをと添え文
が。

昨年加齢から弓力を下げようと、15キロ前後の並寸を永野先生に直接お願いし
た処、先生曰く

 「性能から言っては四宝竹カヤ吟翠がおすすめ品」

とのこと、正法流の弦通りを併せてお願いし製作して戴くことになりました。
三ヶ月程して送られて来た新弓、早速巻き藁で引いてみると、目通りをりを過
ぎた当たりからニベ弓のように柔らかく割り込んでいくことができ、さらに会
に収まってからの伸び合いも柔らかく、これは今まで引いた弓の中で、ナンバー
ワンあるという確信を得ることができました。

能安先生がご存命であれば

 「的中音の後に弦音が聞こえる素晴らしい弓だ」

と絶賛されたに違いありません。 能安門下生の方々にお勧めしたい銘弓で
す。

こうして、能安先生推奨の矢筒『千筋』を求めた弓具店で、銘弓『吟翠』に
出会うことになりました。 これも能安先生のお導きかもしれません。 そ
れ以来『吟翠』のファンとなり、春秋用・真夏用・真冬用と3張りを所有し、
今日に至っています。

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それにしても、能安先生があれだけ推奨して下さった『千筋』、本物を作れ
る名工の出現を待つことと致しましょう。


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36.漆塗弓と塗籠籐 こぼればなし

2015/05/11  カテゴリ:雑記【能安先生との思い出】


能安先生 人間味あふれるエピソード
  ………  曙千段巻き塗弓にまつわる裏話 ………

前回ブログをアップし一段落したところで、ブログ制作協力者の方と塗弓を頂
戴した当時の思い出話をしておりました処、その方が
 「それは面白いですね。 私は弓道素人で能安先生にお会いしたことも
  なく、これまでのブログの内容から、すごい方なんだと想像しており
  ましたが、今のお話を伺っていると、人間味があり親しみを感じます
  ので、是非そのお話をエピソードとして載せたらいかがでしょうか?」
と勧めて下さいました。
作り話ではなく、真実のお話でもありますので、以下の通り当時を振り返って
みることに致しました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
塗弓に名入れをして戴いたことを確認し、その塗弓で一手引き能安先生から射
を見ていただこうと、弽をつけていると

 『引かんでいい。早くしまえ。早く早く。レイが帰って来たら、去年の矢
  のように、君はまたあいつに取られてしまうぞ。』

このように能安先生から急かせられたため、着けていた弽をはずし、戴いたこ
の塗弓を右近に入れ弓巻でしまい込んだのです。 その一部始終をご覧になっ
ていた能安先生と目を合わせると、笑顔で頷きながら満足そうに道場から居間
の方へ去って行かれれました。

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父の遺した「中黒」と、能安先生から頂戴した「曙千段巻き」


実はこの年の前年、道場にお邪魔した際に、帰り際いつものように居間にお礼
のご挨拶に伺うと、テーブルの上に四ツ矢が用意されてありました。

矢羽は「大鳥の中黒」で、虫食い・羽抜け・擦れもなく手入れの行き届いた立
派なものでありました。

箆は「クスんだ黒色でほんの少しグレーが混じったような色合い」に見え、私
が弓を引き始めてから、初めて目にするものであったのです。

その珍しい箆について、能安先生に尋ねると

 「さわし箆というんだが、泥に1年間つけて置き、その後様々な行程を
  経て、このような箆に仕上がるんだ」

とのお話を伺いました。 また新品であると、黒光りをしているとのことでし
たので、かなり年数が経った年代物であるということがわかりました。


学生時代を含めて、吉田教場でこのような矢をお使いの門弟の方は皆無であり
ました。 私が入門する前はおられたのかもしれませんが、私が目にするのは
初めてであり、矢羽の「中黒」とその「箆」は、色合いが合っており、品格が
あり大変高価なものに見えました。

そして次に能安先生から、

 「この四ツ矢を形見分けで、君にやるから青森に持って行き大事に使っ
  てくれ。」

と予期せぬお言葉ありましたので、しばし絶句。

 「本当に私で宜しいんでしょうか。」

 「前々から、君へと考えていたものなので心配せんでいい。」

 「それでは先生、有り難く頂戴いたします。 先生のお気持ちを大切に
  受け止め、大事に使わせていただきます。」

丁度この会話が終わった所に、レイ先生が大学のお仕事から帰って来られまし
た。 どんな会話がなされたのか、レイ先生には察しがつかれご様子のようで、

 「山﨑さん、将来巻藁道場脇の事務所を改築し、資料館を作る予定があ
  るの。 その資料館に、価値ある弓具を陳列したいと考えており、そ
  の四ツ矢のさわし箆も、陳列したいと考えている一つなのよ。」

3人の間に、何か気まずい雰囲気が漂い、

 「そのような計画があるのであれば、とてもこの四ツ矢を戴く訳には参
  りません。 私が使わせて戴くよりも、貴重な資料として、広く皆さ
  んにご覧戴くことが、有益なことであると思いますので、頂戴するこ
  とを辞退させていただきます。」

レイ先生は納得顔で頷いて、ご自分のお部屋に戻っていかれました。

 「どうも女は目先のことに捕われ、この貴重なさわし箆を将来生かす
  ことができるのはだれなのか分かっていない……。 とにかく女は
  欲深くていかんな。」

前回のブログで曙漆塗り弓を能安先生から頂戴したお話した申し上げましたが、
この前年に、上記で申し上げた、「さわし箆」に関わるやり取りがあったので
す。

今にして思えば、このような、やり取りが前年あったため、能安先生にしては、
あの「さわし箆」に変わる物を、方見分けとして私へとお考えになっていたの
かもしれません。

私が、「さわし箆」の件の翌年に吉田教場に伺った目的は、学生時代に能安先
生から頂戴した竹弓「楠見祖峰」が、程よく枯れてきたため、塗り弓にしてよ
い頃合いであると考え、塗師紹介のお願いと、稽古を見て戴こうとに伺っただ
けであったのです。 それが何と図らずも、「曙千段巻」を頂戴することにな
ったのでありました。


その数年後、地方議員をしていた父が、議員研修旅行中の自由行動の時間帯に
「中黒の四ツ矢」を見つけ購入して参りました。 『さわし箆」ではありませ
んでしたが、高価なもので父は箆を磨いては眺めるだけで、決して使おうとは
しませんでした。 

余程気に入っていたのでしょう。 父の亡くなった後も触るのも憚られ、父の
矢箱にそのままにしておりました。 

最近このまま枯らすのも如何かと私の矢尺に合った箆に矧ぎ変え、能安先生か
ら戴いた塗り弓で引いて見ようかと考えるようになりました。 弓の世界に否
応無しに私を引き込んだ父、一人前に育てて戴いた能安先生、二人の恩に報い
る為にも。


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35.漆塗弓と塗籠籐(ぬりごめとう)

2015/01/19  カテゴリ:吉田能安先生から学んだこと


漆塗弓と塗籠籐(ぬりごめとう)
  ………  曙千段巻き( あけぼのせんだんまき)塗弓
         古文の教科書にもよく出てくる「塗籠籐」………

20140924-_02.jpg

上記の写真から、塗り弓の本体と、三カ所に使われている塗籠籐を、お分かり
戴けるかと思います。

大学時代、吉田教場(遊神館弓道場)に稽古に伺うと、能安先生は勿論のこと
高段者の方々は、竹弓の他に塗り弓を所持しておられました。 先生にその名
称を伺うと

 「曙千段巻き塗弓」

と教えて戴きました。 その塗り弓は、曙色(ワインレット風の色合い)のと
ても美しいもので、いつかは自分も欲しいものだと、憧れたものでありました。

塗り弓の種類は、能安先生に倣い、ほとんどの方が

 「曙千段巻き」

であったのです。 曙色は、文字通り朝の暁色で、赤とワインレットを調合し
たような色合いで、味わい深く品格があり誠に美しく、誰もがその曙色に引き
つけられ、魅了されたものです。

大学卒業後、出張で上京した際、能安先生に塗り弓を購入したく、塗り師の紹
介をお願いした処、思いもかけず、

 「いつの日にか、君へと用意したものが、あるんじゃ」

奥のお部屋から、塗り弓を取り出してこられたのです。
何とそれは、あの憧れの

 「曙(色)千段巻き」

であったのです。 早速金粉で、下関板の裏側に「山﨑」と名入れをして戴き、
更に矢摺籐の上部に能安先生から戴いた私の号

 「紫光」

を運筆鮮やかに揮毫して戴いたのです。

矢摺籐をよく見ると、漆が塗ってあることに気づき、そのことを能安先生に尋
ねると

 「塗籠籐と言うんだが、近頃ではこのような塗りができる
  職人がいなくなり残念だね」

というお答えでした。

この塗り弓は、我が家の床の間に飾り、先生の書の掛け軸とともに、我が家の
家宝といたしております。 現在も使用可能であり、矢渡しや礼射時に引いて
おりますが、全く衰えを感じさせない優れものであります。 銘は

 「筑前弘才」

となっており、作者の確かな弓制作の技を伺い知ることがきます。

この戴いた塗り弓を右近に入れ、弓巻きで包んでいる時に

 「塗籠籐は、古文の教科書にもよく出てきますよ」

と、私の耳元でそっと教えて下さった方がおりました。 お礼を申し上げ、帰
郷後、古語辞典や百科事典で「塗籠籐」を調べてみると

 「幹を籐ですきまなく巻き、漆で塗り込めた弓」
 「漆を塗り込めた籐の部分」
 「全てを籐巻きにし、漆で塗り込めた弓のこと」

等と記るされており、大変勉強になった次第です。
ある古語辞典には、「塗籠籐」の解説の後に、例文として

 「大中黒の矢をおひ、塗籠籐の弓 脇にはさみ~」<平家物語>

が、載せてあり、当時戦場に向かう武士の出で立ちが目に浮かぶようでありま
した。

それにしても、当時の職人の知恵工夫には頭がる思いが致します。 雨の中で
の戦さにおいて、戦い道具としての弓は、雨に弱い竹弓よりも、雨をはじく漆
塗り弓の方が、はるかに威力を発揮し、貴重で必要なものであっただろうと想
像できるのです。

能安先生から戴いたこの

  曙千段巻き(あけぼのせんだんまき)塗弓

を、折々には手入れを欠かさず、大事に使いこなし、能安先生の射に少しでも
近づけるよう胆に命じ、日々の稽古に取り組んで参りたいと考えております。


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34.正しい弦通り

2015/01/19  カテゴリ:吉田能安先生から学んだこと


正しい弦通り

  ……… 内竹の中心の延長線上に弦が張られている弓 ………

20140924-_01.jpg

上記写真から、内竹の中心の延長線上に、弦が張られていることが、お分かり
戴けるかと思います。

能安先生からは、

 「新弓を購入する際は、弦の通りは内竹の中心の延長線上に
  弦が張られているものを選ぶべし。」

と教わりました。

弓師によっては、弦が上関板の中心を通り姫反の当たりから自然に、内竹の
右端の延長線上、あるいは内竹の右端から三分の一の延長線上に張られるよう
に作っている者がいるが、それは間違いであると言われておりました。

能安先生がお亡くなりになった後、何年かしてそのことを思い出し、知り合い
の弓師さんにそのことをお話しすると、

 「私も自分の師匠から能安先生の仰るように教わりました。」

 「しかし、流派によっては右端の三分の一の延長線上に弦が
  来るように主張されている所もあり、また、個人的な強い
  拘りから、内竹の右端の延長線上に弦の通りが来るように
  考えている方もおられます。」

 「弓師としては、流派や、個人的な拘りのある方から、その
  ような弓の注文を戴くと、お客様のご要望に応えた弓作り
  をしなくてはなりません。その辺が、もどかしく、辛いと
  ころです。」

というお話を伺ったことがありました。

40年も前の話になりますが、大学卒業後、上京する度ごとに「いい弓を見
つけて来て欲しい。」と、田舎の教え子や弓道仲間から、竹弓の購入の依頼
を受け、都内の各弓具店を回ったものです。 能安先生の弟子であることを
お話をすると、弓具店の店主さんは笑顔に変わり、喜んで奥の部屋から秘蔵
の弓を取り出してきて、店には出しておられない逸品を見せて戴いたもので
した。

現在では、都内の弓具店もほとんど代替わりされ、吉田能安先生と言っても、
お分かりになる方は少ないかと思いますが、能安先生ご健在のころは、各弓
具店とも先生を知らない方はおられませんでした。 ですから、弟子である
ことを申し上げると、大変丁重な応対をして戴いた事を記憶致しております。


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33.南部藩主盃争奪弓道大会

2014/07/30  カテゴリ:雑記【三戸弓道協会主催大会紹介】


南部藩主盃争奪弓道大会

……… 南部藩主第44代南部利英公より

     優勝盃を賜り、今年で61回大会継続中 ………

20140730_01.jpg

    南部藩主盃争奪弓道大会個人優勝三連覇(第59~61回)

昭和26年(私の生まれた年)、4・5月の連休に開催される三戸さくら祭りの
イベントの一つとして、父が中心となり弓道大会が企画されました。 当時、こ
の大会の趣旨に賛同された第44代南部利英公から優勝盃を賜り、大会名も南部
藩主盃争奪弓道大会と決定。 さくら祭りのメイン会場である三戸城山公園に、
仮設の射場を作り、そこで大会が開催されることになりました。

父の話によりますと、野立ての仮設射場であったため、雨天時には中断し射場に
テントを張り再開するという、大変な作業であったそうです。

そんな事情から、昭和33年からは、自宅の脇に作った初代廣楓館弓道場で開催
されることになりました。 その年は私は小学二年生で、南部利英公ご夫妻が、
お付き方々と、大会観戦のため道場にお出でになられました。 母が茶菓子の接
待のため、緊張した様子で審判席と台所を忙しそうに往復していたことが、強く
印象に残っております。

昭和35年自宅裏のサクランボ畑に、父が私費を投じて6人立ちの正式な弓道場
2代目廣楓館を完成させました。 以来父が亡くなった翌々年の平成元年まで、
この道場で大会が継続されたのです。
余談になりますが、昭和36年にはこの廣楓館弓道場で青森県高等学校春季弓道
選手権大会が開催されております。 後にも先にも、個人道場で高校の公式試合
が開かれたのは、我が家の廣楓館弓道場だけであります。

昭和62年12月父が死去。翌63年4月の総会で、私が父の跡を継ぐかたちで、
三戸弓道協会と三戸郡弓道協会の会長に選出され、その任に当たることになった
のです。

平成2年、私から願い出て、南部藩第45代南部利昭公から南部家の家紋を彫り
込んだ高価な優勝盃が寄贈されることになりました。 この南部利昭公こそが、
後に請われてあの有名な靖国神社の宮司になられ、様々な方面で、我が国の為に
ご活躍された方なのです。

更に、南部藩主盃争奪弓道大会の会場も、5人立ち3射場で、3チームが一度に
競技ができる三戸町民体育館特設射場に移されました。 また、これを契機に三
戸弓道協会では、総ヒバ作りの優勝額を用意、初代南部光行公を祀る糠部神社山
﨑俊哉宮司の賛同を戴き、南部盃獲得者がその優勝額に自筆記名、優勝額は社殿
に常時掲額されることに決まり、現在まで継続されております。

この間、三戸町民体育館の天井改修工事の年と、トイレ改修工事の年に日程が重
なり二度中止を余儀なくされ、本来であれば今年で63回目を迎えていたのです
が、そのような事情から61回を数えるに至ったのです。 親子二代にわたり、
多くの皆様方のご協力を賜り、よくぞここまでたどり着くことができたものだと、
感謝感謝の今日此頃であります。

この大会を継続できたことは、能安先生から教わった全てのことが、私の自信に
繋がり、大きな力になったことは確かなことであります。 更に吉田弓道の確立
を目指し、稽古に精進を重ね、大会の継続と自己の競技成績の向上に向けて、頑
張る覚悟であります。

次回は能安先生から教わった正法流の「弦通り」などについて書こうと考えてお
ります。


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32.新刊本「弓道研究」 紹介

2014/03/31  カテゴリ:雑記【能安先生晩年の高弟が綴る】


新刊本「弓道研究」 紹介

……… 正法流精義 正射のための射士論考 ………

吉田レイ先生監修、紫鳳会編集による、「弓道研究」が、2014年2月25日、BAB
ジャパン社から出版されました。

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昨年12月下旬に吉田教場に稽古にお邪魔した際に、紫鳳会副会長土井教士より、
1月末頃に「弓の道 正法流入門」の続編に当たるものが、出版されるということ
を伺っておりましたので、楽しみにしておりました。

3月初旬、土井教士から私の元へ、その新刊本が恵送されて参りました。 有り難
く頂戴し、今日まで最初から最後まで興味深く拝見させて戴きました。

先に出版された「弓の道 正法流入門」が、正法流の基本を学ぶ入門書とすれば、
今回の「弓道研究 正法流精義」は、吉田能安先生の弓道思想、弓道理念を更に深
く理解研究しようとする、上級者編に当たります。

吉田レイ先生監修のもと、 紫鳳会会長寺田先生を始めとして、土井、金子、朝倉、
宮尾の各教士先生共同執筆による大作で、今回は特に「弓の道 正法流入門」と比
べ、写真が多く取り入れられ、読者に取って見取り稽古の格好の資料としての役割
を果たしております。 特筆すべきことは、各先生方がご自身の射を誌上で公開さ
れたことに、正法流に懸ける並々ならぬ決意が感じられ、心から敬意を表するもの
であります。

このように、正法流の教本とも言えるものが、以下の如く4冊揃いました。
 1 「日置流竹林派正法流要諦」( 紫鳳会発行 非売品)
 2 「弓の道 正法流入門」( 紫鳳会編集 BABジャパン出版局)
 3 「正法流 弓道いろは訓 吉田能安先生の教え」(寺田隆尚 文藝書房) 
 4 「弓道研究 正法流精義」( 紫鳳会編集 BABジャパン出版局)

20140331_02.jpg


後は、能安先生の薫陶を受けた門弟同士が、競い合い協力し合い、目に見えた成果
挙げることでありましょう。 

余談ではありますが、能安先生が亡くなられた後、先生の師範代の役目をされた
井戸正美先生が三戸に指導にお出でになり、我が家に二日間お泊まり戴きました。
その夜の夕食時に、お酒を酌み交わしながら伺ったお話です。 

昭和20年代後半、能安先生は弓道理念の違いから、全弓連と袂を分かち、大日本
武徳会の創設に奔走されていたそうであります。 そんな折、能安先生から数ある
弓道大会の中でも、弓道界の最高峰である全日本弓道選手権に出てみないかとう
お話があり、

 「親父(親しい者にはそのように能安先生ことを呼んでおられた)が大変
  苦境に立たされていた時でもあり、能安先生の弓道理念が正しいことを
  証明する絶好の機会と捉え、意を決して出場を決めたのだ」

と伺いました。 その結果

 昭和29年全日本弓道選手権優勝、見事に天皇盃を獲得

能安先生の教えが正しいことをまさしく証明されたのであります。

このことは、本大会の優勝者のみが掲額できる京都三十三間堂奉納優勝額に、
井戸正美先生の名前が記されており、本大会で優勝したことが記録として残さ
れております。 また、能安先生亡き後、正法流を実践できる最高位の方で
あった、井戸正美先生について書かれている書籍が少なく、残念であると感じ
ております。

話を戻しますが、正法流の価値を高めるためにも、我々吉田能安門下生は、こ
の井戸正美先生の偉業を目指す若手を育てる義務と、そのことを成し遂げるた
めに、更なる自己研鑽が必要となって参りました。 私も門下生の一人として、
その責務を果たすべく、更なる努力精進を重ねる覚悟であります。

平成22年私が著した「吉田能安先生追想録」の第8章の冒頭でも申し上げま
したように、繰り返しになりますが、正法流の射義・射法に関しては、今回新
たに発刊された「弓道研究」を加えた上記4冊を参考にされて下さい。
私たち門下生が能安先生に教わったまさしくそのものが書かれております。 

私のこのブログでは、その4冊の内容以外のことで能安先生から教わったこと
や、様々なエピソード等について、思い出す度ごとに書き綴って参りたいと考
えております。 そのことが、吉田能安先生が唱えられた正法流の継承発展に、
少しでもお役に立てるならば幸いであります。


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31.一を聞いて十を知る

2014/03/11  カテゴリ:吉田能安先生から学んだこと


一を聞いて十を知る
……… 師から学んだことを、とことん研究し
      自らが体現できなければ意味がない
    更に、学人が「一を聞いて十を知る」ことができる
      模範となる射を、確立していくことが肝要である ………

吉田教場で一日の稽古を終え、居間におられる先生にご挨拶に伺うと、柏手を打ち
「貞子」と奥様をお呼びになる。 「へい」というお声とともに奥様がお出でになる
と、「山﨑にお茶をだしてやれ」といつもと変わらぬ先生のお言葉とともに、奥様が
お茶と和菓子を出して下さる。 田舎者の私に取っては、

 あたかも時代劇の一コマを演じていいるような錯覚

を覚えたものでした。

それから2時間以上に及ぶ弓道談義がはじまります。 しかも正座をしたまま先生の
お話を伺わなければならないのです。 最初の頃はそれがとても苦痛に感じられまし
たが、吉田教場での弓道稽古の面白みが理解できるようになるにつれて、稽古後の居
間での先生のお話も、苦痛どころか足のしびれも忘れるほど、楽しみに変わってきま
した。 そんなある日のこと、

 「師から学んだことを、とことん研究し、自らが体現できなければ意味がない」

と言われました。 理屈で理解できても、とことん研究し、実際にその技を自分の
ものとし体現できなければならない、ということなのです。 また次のようなこと
も言われました。

 「一を聞いて十を知る」

将来君は親父の跡を継ぎ、近隣の弓人を束ねる役割を担っている。 従ってその弓
人達が「一を聞いて十を知る」が如く、模範となる射を身につけなければならない。
今後、その覚悟を持って稽古に取り組まなければ上達は望めないし、大成はしない
と。

その当時の吉田教場には、レイ先生、井戸先生(昭和29年全日本選手権優勝、天皇
盃獲得)をはじめとする高段者の方々、そして若手には、大宮竹彦、入江正和、佐
藤肇といった錚々たる名射手が揃っておりました。

この方々の射を見取り稽古できたことは、私に取って貴重な財産となりました。 
その見取り稽古から、能安先生から教わったことを研究することができ、更にその
過程に於いて、「一を聞いて十を知る」が如く、新たなことも理解でき、自分の稽
古に生かすことができたのです。

私は2014年、63歳を迎えました。 若手弓人に「一を聞いて十を知る」ことを求
めるならば、それに応えるだけの理論と技を身につけていなければなりません。
能安先生始め、先輩諸兄姉のご恩に報いるためにも、模範となる射を目指し、日々
是精進を続けております。

そして毎朝神仏への拝礼の後、能安先生の遺影に向かい、

 「言行一致、正法流の確立を目指して参りますので、どうかお守り下さいませ」

と、祈りを捧げることから、一日が始まるのです。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
弓道とは関係ありませんが、本日は、 3.11 、あの東日本大震災から、丁度3年が経
過致しました。 この震災によりお亡くなりになった方々のご冥福をお祈り致します
とともに、心から哀悼の意を表するものであります。

また被災された方々、避難を余儀なくされ故郷を離れなければならなくなった方々、
障害を乗り越えられ、一日も早い復興に向けて地域力を生かし、更に頑張っていた
だくことを切に願っております。


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30.法政一高 三戸夏合宿第1号

2014/02/27  カテゴリ:雑記【能安先生推薦による三戸合宿実施学校】


 法政一高 三戸夏合宿第1号 
……… 夏合宿を実施された学校は以下の通り
      法政一高・学芸大付属高・日比谷高・桜美林大 ………  


能安先生が師範をされている法政一高が、昭和37年初めて三戸で夏合宿を実施されま
した。 その当時東京の高校生が、三戸という田舎町で合宿するなどということは、考
えられないことでありました。 生徒さんに喜んで戴こうと、大人の方々が歓迎準備に
奔走されていたことが懐かしく思い出されます。 私は小学6年生でしたが、友達たち
に「東京の高校生が家に合宿に来るんだぞ」と自慢げに話しをした記憶があり、特にこ
の合宿が強く印象に残っております。
下の写真は、合宿最終日に記念にと 廣楓館弓道場を背景に矢道で撮影されたものです。
中列中央に能安先生。 前列中央が部創設者富田主将。 富田さんは、その後成城大学
でも弓道部を創設され、初代主将を務められました。 前列右から二人目が1年生な
がら青森岩手弓道大会で個人優勝された宮崎さん。

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法政一高夏合宿 三戸高弓道部員と共に (於 廣楓館弓道場  時:昭和37年)


私たち家族全員も記念に、この集合写真に入れさせて戴きました。 その後の学校さん
もそれぞれ記念に集合写真を撮影されたのでありますが、私共家族全員が映っている写
真はこの写真だけであります。

中列右端から私(小6、現在63歳)、妹(現在54歳)、母(現在87歳)、能安
先生の左隣が父(平25、27回忌法要を済ませる)、後列左端が姉(中3、現在
66歳)の5人家族でした。

この文を綴りながら、 法政一高の皆さんに関わる以下の記憶が蘇って参りました。
 1 三戸城山公園の散策と三戸城の見学。
 2 田舎の盆踊り大会見学と特別参加。
 3 三戸高弓道部員との合同十和田湖バス旅行。
 4 毎日、母が大きな鍋で茹でたトウモロコシの味、如何でしたでしょうか。
 5 南部せんべい・巴旦杏など豊富な果物・トマトの差し入れ。
 6 廣楓館主催、青森岩手弓道大会(毎年8月第一日曜開催、青森県南・岩手県北
   の高校生出場)への参加。法政一高宮崎正昭さんが、1年生で個人優勝。
 7 三戸での合宿を終えると、青森ねぶたを見学のため、青森市に移動………。

この合宿に参加された法政一高の皆さんは、現在では67歳から69歳になられてお
ることと存じます。 私も今後機会を捉えては、吉田教場に稽古に伺いたいものだと
考えております。 いつの日にか皆さんに再会できることを楽しみに致しております。


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29.離れの「握り込み」(補足)

2014/02/18  カテゴリ:吉田能安先生から学んだこと


離れの「握り込み」(補足)
……… ピストルの引き金を引くが如く
          人差し指を握り込む ………

私は、このブログ12番で、離れは「弓手の手の裏を握り込む」ことから生じる(弓
手の握り込みが、離れを誘発する)と、能安先生から学んだことを記しました。
このことについて、以下のように補足致します。

その後、ある方から離れは

 「 ピストルの引き金を引くが如く、人差し指を握り込む」

と能安先生から教わったというお話を戴きました。

その通り間違いありません。 私も先生が上級者の指導をなさっている時に、全く同
じことを伺ったことがあります。

能安先生は、同じことを教えるに当たっても、その方の射法や、技量に応じて色々と
分かり易い例を示され、指導されたものです。ですから、兄弟弟子たちと意見交換を
しても同じことについて、「僕はこのように教わった。」「私はこのよう教わった」
と、それぞれ違います。 しかし先生の言わんとすることは結局は同じなのです。

私が12番目のブログで述べたことが基本で、そのことがマスターできた上級者の方に、 

 「 離れは、ピストルの引き金を引くが如く、 人差し指を握り込む」          

と指導されたのだと思います。 ですからその方はかなりの技量の持ち主であること
は間違いありません。

料理に例えるならば、

 「もう少し塩味が効いていればパーフェクトだ。」

その人差し指の指導は、この塩味に当たるのです。 ピストルの引き金を引くが如く
人差し指を握り込めば、今以上の鋭い離れ・矢飛びが生まれると、能安先生は更に
高みを目指した指導をされたかったのだと思います。

基本が大事であることは言うまでもありません。 握り込む基本ができていない初心
者にそのことを話しても理解できず、 人差し指を握り込むことだけに集中し、小指が
おろそかになり、小指を飛ばす程度のものになってしまうかもしれません。


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28.能安先生とレイ先生を偲ぶ写真集

2014/02/07  カテゴリ:雑記【能安先生養女・吉田レイ先生の逝去を悼む】


能安先生とレイ先生を偲ぶ写真集
……… 主に三戸での夏合宿を中心に
       昭和37年から昭和40年代前半にかけて …………

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珍しい能安先生とレイ先生のツーショット(於:三戸高理科室 時:昭和39年頃)

この写真は、能安先生が師範をレイ先生が顧問を務める学芸大付属高校高校弓道部
が、三戸に夏合宿に来られ、三戸高校弓道部との交換会をした時に、撮影されたも
のです。 お二人の珍しいツーショット、能安先生の蝶ネクタイ姿も、滅多にお目
にかかれるものではありません。

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  学芸大付属高校夏合宿 (於:廣楓館弓道場垜前   時:昭和41年)

この写真は、学芸大付属高校が三戸で二度目の合宿をされた時に 廣楓館弓道場垜前で
撮影された集合写真から、両先生が分かるようにその部分を抜粋したものです。

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三戸高校弓道部員を指導される能安先生 (於:廣楓館  時:昭和41年)

学芸大付属高校弓道部員が一日の稽古終了後、三戸高校弓道部員を指導する能安先
生です。レイ先生は生徒を引率し宿舎にお帰りのため、この写真には写っておりま
せん。

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三戸高校弓道部員を指導される能安先生 (於:廣楓館  時:昭和41年)

夕方、三戸高校に割り当てられた限られ時間に、能安先生の指導に真剣に耳を傾ける
三戸高校弓道部員達。 一番前で引かれている方は、現役学生が宿舎に帰ったあと、
個人稽古に励む 学芸大付属高校弓道部OB。

以上の写真は父のアルバムから、見つけたものです。 ずいぶん昔のことですので、
父から聞かされていたことの記憶を辿りながら綴づらせてい戴きました。


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27.吉田レイ先生の告別式に参列して

2014/02/01  カテゴリ:雑記【能安先生養女・吉田レイ先生の逝去を悼む】


吉田レイ先生の告別式に参列して
………能安先生のお側にお仕えし、能安先生の難解な解説を
     そっと優しく噛み砕いて教えて下さったレイ先生に感謝………

吉田能安先生の養女吉田レイ先生が1月21日、御年95歳にてご逝去されました。
12月医師からは年内は持たないのではないかと聞かされておりましたので、ここまで
持ったことは、その強い精神力に驚かされます。 枕元で「レイ先生!息合い!息合い!」
という兄弟弟子の励ましに、何度も息を吹き返し、最後は目を開いて小さなお声で「あ
りがとう」と言われ息を引き取られたとのこと。 紫鳳会金子副会長によりますと、立
ち会われた医師・看護士も「こんな立派な臨終の場は初めてだ」と感嘆しておられたこ
とを聞かされ、涙いたしました。

 1月26日、午前10時30分より、光明院(杉並区上荻)において告別式、火葬、
精進落とし、弓道吉田教場へのお帰りと、葬儀委員長、紫鳳会会長、寺田隆尚先生の
差配により、幹事の方々の一糸乱れぬ連携のもと、葬儀が滞りなく終了いたしました。

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         レイ先生 告別式式場

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         昭和52年妙高での夏合宿の一コマ
 巻藁前で引かれるレイ先生と学生達の大後で引く27歳青年監督の私


精進落としでは、能安先生、レイ先生の思い出話で盛り上がっては、あちらこちら
でお嗚咽の涙、涙。それでも名残惜しく、場所を変え第二道場で再度懇親会(紫鳳会
では二次会場を第二道場と呼ぶ)が開かれ、弓道談義が夜遅くまで続けられました。

紫鳳会幹部の方々の参加は勿論のこと、戦後の日本大学弓道部初代主将鈴木先生、駒
沢大学弓道部監督古屋先生、成城大学弓道部OB、桜美林大学弓道部初代主将の私を含
め、能安先生・レイ先生の関わった四大学が揃い、貴重な意見交換の場となり、多く
のことを学ぶことができ、大いに勉強させて戴きました。

 私とレイ先生の思い出は尽きることはありません。田舎から上京し吉田教場でのス
マートな立ち居振る舞いができず困惑している私に対して、また能安先生の難解な解
説を理解できずにいる私に対して、そっと優しく噛み砕いて教えて下さったレイ先生、
父と同年代でありましたので、母のような存在でありました。

 大学卒業後は、能安先生・レイ先生と私の三人で、青森県内各地を小旅行させて戴
きました。 今でこそ世界遺産に登録され有名になりましたが、当時はそれほど知ら
れていなかった、青森・秋田県境にまたがる白神山地の麓にある、十二湖の青池を訪
れたことが一番の思い出となっております。このことは項目を変え「十二湖の思い出」
として、再度お話させて戴くことにいたします。

 吉田教場同期生の、山田恵一幹事のお話によりますと、21日から26日にかけて、
延べ600名の方がお別れに参いられたとのこと、レイ先生の人徳が偲ばれます。先
生どうか安らかにご永眠下さい。心から哀悼の意を表するものであります。


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26.仮公開ながら反響に驚いております

2014/01/19  カテゴリ:雑記

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当初のブログ公開予定日より、だいぶ遅れたにもかかわらず、沢山の方々からの
反響に驚いております。 本当に有り難うございました。

ブログの更新は不定期ですが、まだまた書き連ねたい事がありますので、最後ま
でおつきあいいただけたらと願っております。

改めて、ブログを読んで戴いた全ての皆様方に、心から感謝を申しあげます。

それでは次の更新まで、少しばかり気長におまち頂けましたら幸いに存じます。


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25.ブログ公開に当たり

2014/01/07  カテゴリ:雑記


2014 年お正月に、書き貯めていた吉田能安門下生山崎誠のブログを公開致します。

知人教え子には、2013.11.1に開始、その後12.1に開始を変更と伝えていたため、
年賀状で、多くの方から催促され恐縮致し致しております。まだまだ未完成ですが、
敢えて公開することに致しました。

非公開中に、ご指摘ご協力を頂いた方々に、心から感謝と御礼を申しあげます。


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24.正法流の物見の仕方

2013/12/27  カテゴリ:雑記【私の父・故山崎廣から学んだこと】


正法流の物見の取り方について
 ……「打ちお起し」から「大三」への移動と同時に「物見」を取るのは何故か……

 私は小学生の頃から、正法流の物見の取り方をしておりました。父が吉田先生の弟子で、
父からそのように教わったため、何の抵抗もなく、そのように引いていたのです。
高校時代、他の弓道会の方々と違う物見の取り方なので、父に尋ねたところ、以下のよう
な答えが返ってきました。その後大学で、吉田先生から弓道全般を教わりましたが、父か
ら教わってあったため、物見について吉田先生にあえて伺うことはしませんでした。

<故山崎廣の見解>
 父曰く、「弓構えで物見を取っていると、大三に至った時に、的から目線を弓手の肘に
戻さなければならない。視線を戻すと、折角大きく取れた大三が、知らず知らずのうちに
縮み、小さくなる恐れがある。

 その点正法流では、打ち起こしから同時に大三に移動し、目線を戻すことなく、ボーリ
ングのスパットに当たる、弓手の肘を見ることができる。そして肘を伝って目線を移動し
簡単に矢摺籐をしっかりと見ることができるのだ。」と。


 このブログを開始し、吉田先生から教わったことや思い出を書くにあたり、父の見解は、
本当に吉田先生から教わったことなのか、父の独自の見解なのか、確認しようと、先日吉
田教場に伺う機会がありましたので、現紫鳳会副会長土井春夫教士に尋ねてみました。

 土井教士曰く、

 「吉田先生は、同時・同形・同働(どうじ・どうけい・どうばたらき)と言われて、打
  ち起こしから大三へ移る際に、同時に物見を取ると指導されました。 同門の山崎さ
  んの父上のお話を、吉田先生から伺ったことはありませんでした。 しかし、合理的
  な分かり易い説明であることは、確かなことですね。」

という答えでした。

 現在の紫鳳会の方々は、父の言ったことを、吉田先生からは伺ったことがないとのこと。
私には、何度も伺う機会がありながら、その機会を逸したことは残念でなりません。


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23.弓巻きのしまい方

2013/12/15  カテゴリ:吉田能安先生から学んだこと


弓巻きのしまい方
   ……… 表が日に焼けて色あせないための方法 ………

ある時、矢筒をとり、弓巻を解き、首に巻き、弓に弦を張る。首から外した弓巻を、グル
グルと巻いていると、それをご覧になっておられた吉田先生から、弓巻きの表が日に焼け
て色あせないために、以下の写真のように巻き込むのだということを。

また、このようにしておくと、弓に巻き付ける時も、脚絆(きゃはん)を巻いていくよう
にスムーズに、弓に巻けるのだと、お手本を見せていただきました。その時から今日まで、
そのようにしております。

以下の画像を順番にご覧ください。

20131214_01.jpg

      ↓

20131215_02.jpg

      ↓

20131215_03.jpg

      ↓

20131215_04.jpg

      ↓

20131215_05.jpg

      ↓

20131215_06.jpg

      完成


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22.肘を回すとは

2013/12/14  カテゴリ:吉田能安先生から学んだこと


「肘を回す」とは
   …… 矢通りに引いた肘が、両肩根を迎え割り込ぬことにより ……

 吉田先生は、稽古指導中によく「肘を回せ」と言われたものでした。

 「矢通りに 無限に伸ばせ 引き取り線」
               <弓道いろは訓より>

と言われております。

縦線を伸ばし、引き取り線は矢通りに、無限に伸ばす過程において、勝手の肘を上か
ら下に畳み込み(肘の角度を詰める)、両肩の詰め合いを大事に割り込んでいけば、
両肘は意識的に回そうとしなくても、自然に無意識の内に、肘が回ることになる。
次の画像を参考にして下さい。

20131213_01_.jpg

AからBへ移動。①から②の線は、勝手の肘を上から下に畳み込み(肘の角度を詰
める)、肩に背負い込む。③の矢印は、 両肩の詰め合いを大事に割り込む。そうす
ることにより、両肘は意識的に回そうとしなくても、 自然に無意識の内に、肘が回
ることになる。


※ 2014/02/18 掲載文と画像が合っていなかったため、画像を差し替えました。


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21.簡易な弓の強さのはかり方

2013/12/13  カテゴリ:吉田能安先生から学んだこと


簡易な弓の強さの測り方
  ……… 無断で他人の弓に肩入れをしてはならない ………

 吉田先生から、 無断で他人の弓に肩入れをしてはならない。肩入れした時に、竹弓に割
れが入ったら、その方に弁償しなくてはならない。どうしてもという時は、持ち主から許
可を得なければならないし、引き過ぎないように細心の注意を払わなければならない。

 弓の強さがどのくらいなのか知りたい場合も、相手の許可を得て、以下の写真のような
要領で、親指で弦を押すことによって、強さのを推測できるようにならなければならない
と、教わりました。

 「これは18キロぐらいですか」
 「ええ、18キロです。」

親指一つで弦を押しただけで弦の強さを指摘できるぐらいにならなければない。相手から
も「この方は、弓をかなり知っておられる」と丁重なもてなしを受けることになるだろう
と。

20131215_01.jpg

親指で弦を押して強さを推測


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20.右耳に目があるように

2013/12/12  カテゴリ:吉田能安先生から学んだこと


「右の耳に目がある」思え
   ……… 「顔向けの甘い」(充分でないもの)者に対して ………

 先生は、「顔向けの甘い」(充分でないもの)者に対して、顔を螺旋状の階段を上るよ
うに回しながら上に伸ばし、右の耳に目がり、その目で的を見るような、充分顔向けの利
いた「物見」を取らなければならないと、指導されました。


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19.神前礼拝から学んだこと

2013/12/11  カテゴリ:吉田能安先生から学んだこと


神前礼拝から学んだこと 
  ……… 「打ち起こし」「射法八節」の間合い ………

 吉田教場(遊神館弓道場)に入る際は、次のパターンでご挨拶を行います。
  道場内に軽く一礼し、神前に進み

     「 一 揖(いちゆう)・二礼・二拍手・一礼・ 一 揖」

  と通常の儀式の則り、神前礼拝を行う。次に道場内におられる方々にご挨拶をする。
  その後吉田先生がおられる居間に伺いご挨拶を済ませ、稽古を始める。
  稽古を終え帰る際も、上記の手順で道場を辞去することになります。

(1)「一 揖(いちゆう)・二礼」の後、両腕を神棚に向かって「捧げ奉る」ように、
   下筋を使い伸ばし、手を合わせる。
   この「捧げ奉る」下筋の伸びは、「打ち起こし」と同じであると、先生は指導さ
   れました。

(2)柏手を打つ場合は、先ず手を合わせ指先を揃える。次に右手を左手の中節(第二関
   節)まで引き、柏手を打つ。次に右手のつま先を擦らして左手のつま先に揃え、再
   度そのつま先を左手の中節まで引き下げ、2度目の柏手を打つ。
   上記のことをすることにより、柏手と柏手の間に、程よい間が生まれる。「パン
   パン」ではなく「パン〜パン」と。

   このことから、吉田先生は、射法八節でも、射技から射技へ移る合間に、「程よい
   間」(見せ場)がなければならない。短すぎても、長過ぎても(間延び)よろしく
   ないと、力説されました。


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18.どこでもできる「離れ」の稽古方法

2013/12/10  カテゴリ:吉田能安先生から学んだこと


どこでもできる「離れ」と、両「手の裏」の稽古方法
 ………… 弓もいらない、 弽(ゆがけ) もいらない、簡易な稽古方法 ……… 

 以下の写真の順番通り、挑戦してみて下さい。

勝手の手の裏の親指と、弦の役割をする弓手の人差し指が、均等な引っ張り合いをする。
そこで鋭く、弓手の手の裏を「握り込む」と同時に、勝手の捻りをとり、親指を跳ね上
げる。

 まさしく、弓も・ 弽(ゆがけ) もいらず、どこでもできる「離れ」と、両「手の裏」
の簡易な稽古方法です。

 但し、吉田先生から、電車の中で、この稽古をしている最中、お隣のご婦人の額を誤っ
て打つという失態を、伺ったことがあります。皆さんも回りに十分配慮し、この稽古をな
さってみて下さい。

20131210_01.jpg

     (1)

20131210_02.jpg

     (2)

20131210_03.jpg

     (3)

20131210_04.jpg

     (4)


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17.垜鏡

2013/12/09  カテゴリ:吉田能安先生から学んだこと


「垜 鏡」 造語の名手・吉田先生が考えられたもの
  ……… 記録表(成績表)の表表紙に、好んで使われました ………

 1970年、同好会扱いとして「桜美林大学愛弓会」が発足。翌年1971年、体育会(0ACU)
監査委員会に活動が認められ、体育会総会で部昇格が承認され、晴れて桜美林大学体育会弓
道部となり、今日に至っています。

 部昇格の1971年に、大学の屋上に弓道場が完成。吉田先生を祭主に、井戸先生始め高弟
の方々による、古式による道場開きの儀式が執り行われました。

 道場が完成し、活動の場所が大学構内に移ったことを契機に、記録表(成績表)を新調、
黒表紙を吉田教場に持参し、揮毫を依頼しました。

 依頼申し上げた「記録表」とお書きになるものと、黒表紙を注視していると、なんと
「垜鏡」と書かれたのです。先生が「分かるか」と私に問いかけられました。少しの沈黙
の後、「ああ、分かりました」と返答。先生は私が理解できたことをお分かりになられて
のでしょう。それ以上のことはお話になりませんでした。

 垜の的中・失中の結果を、鏡で写し取る、ということなのでしょう。なんと味わいのあ
る造語で、改めて先生の造詣の深さに感動したものです。

 卒業後、高校教員となり、赴任先の弓道部の記録表には、先生の書体をまねて、黒表紙
に金粉で「垜鏡」と書いたものです。


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16.てこの原理の応用

2013/12/06  カテゴリ:吉田能安先生から学んだこと


引き取りで、てこの原理を応用せよ
  ……… 勝手(妻手・馬手)の肩根を巻き込み、てこの支点を作る ………

 「執弓」の姿勢のところでも述べましたが、勝手の肩根を弓手の肩根よりも少し強めに巻
き込みます。そのことは、強く巻き込んだ勝手の肩根を、「引き取り」で、てこの原理を応
用し、支点にするためです。

 「大三」で、弽(ゆがけ)の弦が掛かっている弦道を「作用点」、勝手の巻き込んだ肩を
「支点」、勝手の肘を「力点」と考えます。

 上記の例で言えば、「作用点」に掛かる弦の強さは、「支点」( 勝手の肩根は弓手の肩根
より強く巻き込むため、少し高めになる)を作ることにより、勝手の肘(「力点」)で引く
際に、実際の強さよりも軽くなり、強弓も楽に引くことができるのです。

 このことが理解できれば、正法流では勝手の肩根が少し高めに見えることが、なるほどと
お分かり戴けるかと思います。


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15.左右両側に的がある

2013/11/30  カテゴリ:吉田能安先生から学んだこと


射位を中心に、左右両側28メートル先に、的があると思え
  …… その左右の的の中心に向かって、左右の親指を無限に伸ばす ……

 前にも、吉田先生が、横に最大限伸びれる位置は、「肩の延長線上」であるとお話された
ことを述べました。
 そのことと関連することになりますが、先生は的紙に中ってこの弓ではなく、的紙を無限
に貫くような弓を目指さなければならないと。
 そのための要素の一つとして、射位を中心に、左右両側28メートル先に、的があると考
え、その左右の的の中心に向かって、左右の親指を無限に伸ばすしていくことを挙げられ
ました。それがまた大文字の雄大な残心(身)に繋がることは、明らかなことです。


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14.横線は縦線から張れる

2013/11/29  カテゴリ:吉田能安先生から学んだこと


縦線を最大限伸ばすことにより、横線を最大限張ることができる
 …… 横線は縦の伸びから張れるもの <弓道いろは訓より> ……

 前回、肩の延長線上が横に最大限伸びれるところである、ことを紹介しました。今回は、
横線を伸ばすために大切なことは、何であるかというお話をします。

 吉田先生は、以下の写真のように3つの形を示され、縦線の伸びの重要性を、説かれま
した。中指から中指までの長さを比べると、縦線を最大限伸ばしたところが、横線を最大
限張ることができることがお分かり戴けると思います。

20131129_01-2.jpg

 縦線が膝が曲がった状態

20131129_02-2.jpg

   縦線が中腰の状態

20131129_03.jpg

  縦線が伸びていいる形


協力者:紫鳳会副会長 土井春夫 教士
撮影者:筆者 武徳会 山崎 誠 教士

※2013/12/24に吉田道場に訪問することが出来
土井氏の協力により以前の画像と差し替えを致しました


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13.横線は肩の延長線上が最大

2013/11/28  カテゴリ:吉田能安先生から学んだこと


横に最大限伸びれる位置は「肩の延長線上」である
 …… 従って「前離れ」「後ろへ振り込んだ離れ」は緩んだことになる ……

 吉田先生から、人間が横に最大限伸びれる位置は「肩の延長線上」であると、教わりま
した。従った以下の真上から撮影した、3つの写真を比較してみて下さい。両手の中指か
ら中指までの長さが、一番長いものはどの写真かお分かりでしょう。
 「肩の延長線上」が、「前離れ」や「後ろへ振り込んだ離れ」より長いことが、一目瞭
然お分かり戴けると思います。

20131128_01.jpg

 最大限伸びれる肩の延長線上

20131128_02.jpg

    前離れの形

20131128_03.jpg

  後ろへ振り込んだ形

協力者:紫鳳会副会長 土井春夫 教士
撮影者:筆者 武徳会 山崎 誠 教士

※2013/12/24に吉田道場に訪問することが出来
土井氏の協力により以前の画像と差し替えを致しました


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12.離れは「弓手の手の裏を〜」

2013/11/27  カテゴリ:吉田能安先生から学んだこと


離れは「弓手の手の裏を握り込む」ことから生じる
  ……… 弓手の握り込みが、離れを誘発する ………

(1)このことを理解する上で次の三点を押さえておく必要があります。
  ①手の裏を強く握り込むことによって、親指と残りの四指は逆方向に伸びる。
  ②四指の握り込みが、角見を利かして弓の右角を押す親指の伸びる力を強める。
  ③この親指の伸びが、飽和状態の会を爆発させ、離れ・弓返りを誘発する。

(2)吉田先生は、このことを次のように分かり易く、例えられました。
  飽和状態の風船(会) → 針を刺す(握り込んだ親指の伸び)→
    → 爆発(離れ・弓返り)

(3)弓手の手の裏を握り込むための注意点
  ①「会」で握り込んでいれば、「離れ」で握り込む余地はない。
   この手の裏は、緩めて持ち替えて、弓返りさせる程度のもの。
  ②手の裏に握り込める余裕(空間)を作らなければならない。
  ③「握卵(あくらん)の手の裏」を作る。生卵を入れても割れない手のl裏。
  ④そのためには、手の裏の骨が、絶えず外側に張るような働きをさせておく。

 15年ほど前に、私より年配のある教士(故人)の方から、「吉田先生はとにかく離れは
握り込むものだと、言われるものだから実践すると、離した後はベタ押しのような握りにな
るんだよ。」と話かけられたことがあります。年長者にお答えすることが憚られ、吉田先生
の意図することを、お伝えできなかったことが残念でした。

 下の画像をご覧ください。中央の手の裏は、画像①の手の形なるように、絶えず外側に
張る働きをするようにしておく。さらに親指の基節と他の四指の基節をつぶそうとする力
をかけても、外側に張り、つぶれないように働かせておく。画像①の手のような働きがあ
ればこそ画像③の手の裏のように、強く鋭く握り込むことができます。

20131127_02.jpg

      画像①

20131127_01-2.jpg

   画像②

20131127_03.jpg

      画像③



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11.豆粒一つの弾力体

2013/11/26  カテゴリ:吉田能安先生から学んだこと


弓手は「豆粒一つの余裕を持った弾力体」 
  ……… 相撲の「突っ張り」を例に出されて ………

 相撲好きの先生は、よく相撲にまつわるお話をされました。もし、肘が伸びきった状態で
突っ張りをするならば、その威力は半減し、相手を突っ張りだすだけの充分な力を発揮する
ことはできない。
 突っ張りの相撲巧者は、肘に少し余裕を持たせるだけで威力が倍増し、突っ張りだけで相
手を負かすことができると話されました。

 このことから、弓道における弓手も、同じように肘に余裕を持たせることにより、鋭い押
し開きができると解説されたものです。従って、先生はよく、弓手は「豆粒一つの余裕を持
った弾力体」にせよと、指導されました。


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10.「弓構え」における「本弭」の位置

2013/11/20  カテゴリ:吉田能安先生から学んだこと


弓構えに於ける本弭の位置について 
  ……… 「膝頭の内側のくぼみ」である ………

本弭(もとはず)が安定して収まる位置は、「膝頭の内側のくぼみ」である。そのくぼ
みに、 本弭を入れ、くぼみを少し突くようにすれば安定すると、先生から教わりました。

膝頭の上と解説されている参考書がほとんどですが、一度試されてみてはいかがでしょ
うか。


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09.「執弓」の姿勢の大切さ

2013/11/19  カテゴリ:吉田能安先生から学んだこと


「執弓」の姿勢の大切さ    
  ……… 「執弓」の姿勢は、射法八節の基本である ………

 射は、「執弓」で始まり「執弓」で終わる。故に射法八節は、「執弓」の姿勢の「八変
化」であると教わりました。更に次の二つの点を強調されました。

 (1)右肩を左肩より、やや強めに巻き込む。
   ①弓は矢より重いため、自然に支えようとして左肩が上がる傾向にある。そのこと
    を防ぐためである。
   ②引き取りで、右肩を迎えやすくするためである。(何故右肩を迎えるのかは、
    「てこの原理の応用」の項目で再度述べさせて戴きます。) 

 (2)弓手・勝手両方の、手の裏第二関節(中節)で、腹の脇の腰骨の部分を、軽く押
    しつけるようにする。
   ①そうすることにより、両方の手の裏は身体から離そうとしても、しっかり固定さ
    れ離れない。(以下の写真を参照)
   ②両方の手の裏が腰骨に固定されているため、両肘を肩の延長線上に、充分張るこ
    とができ、「執弓」の姿勢が雄大な構えに見える。

 学生・一般の弓人の中に、上記のような理論が分からず、両手が腰骨から離れ、「いか
り肩」のような「執弓」の姿勢をしておられる方が多く見られ残念なことであります。先
生のよく言われる「おおかたは弓技(かたち)をまねて射を知らず」 <弓道いろは訓より>
の忠告に謙虚に耳を傾け、「何故そのようにするのか」と追求し、「射義」(射の意義)
が理解できれば、稽古に対する取り組みも深まってくるものと思われます。

20131119_01.jpg

○手首を腰から離そうとされた時に、すぐ離れる悪い例

20131119_02-2.jpg

○手首を腰からはなそうとしても、第二関節で腰骨を突いているため簡単には離れない良い例



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08.相撲の「発気用意」の出典について

2013/11/18  カテゴリ:吉田能安先生から学んだこと


相撲の「発気用意」の出典につて  
 …… 日本人武芸家が「武芸の教え」として漢文で著したのでは ? ……

 私は「吉田能安先生先生追想録」の中で、「発気用意」の語源について、先生から次のよ
うに教わりました、と記しました。

  不発気 不生力  「気を 発せざれば 力 生ぜず」
  不用意 不成技  「意を 用いざれば 技 成らず」
    (詳細は、「吉田能安先生追想録」を参照して下さい。)

 その出典を、先生から伺っておりませんでしたので、大学教授をしている私の弓道の教え
子(東京大卒、ケンブリッジ大・シカゴ大留学、経済学博士)に依頼し、その出典を調べて
もらいました。同僚の中国語教授や、中国人教授に調べてもらったところ、「中国古典には
無し」とのこと。
 彼曰く、おそらく日本人武芸家が「武芸の教え」を漢文で著したのではないかと、推測さ
れます。古本屋で見つかるもしれませんので、分かり次第お知らせします、という返信。
楽しみに待つことと致します。


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07.指の関節名について

2013/11/17  カテゴリ:吉田能安先生から学んだこと


指の関節名について   
  ……… 人間の身体は心臓が中心であり、そこを起点と考える ………

 人間の身体は心臓が中心で、そこが始まりである。そこから端に向かって、1・2・3~
と数えるのだと、先生から教わりました。従って指の根元から次のようになります。

  基節(第一関節・一節)
  中節(第二関節・二節)
  末節(第三関節・三節)

 ただし、この表現は、昔から武芸家の間で、慣例的に使われてきたものではないかと私は
推測しております。
 知り合いの、整形外科の先生に伺ったところ、医学ではそのような呼び方をしないという
ことでありました。
 古来より、弓道(武芸全般)界で使われている表現でありますので、専門的な医学用語に
拘ることなく、先人の分かりやすい知恵・工夫を大切に受け継いでいきたいものです。

 「人間の身体は心臓が中心で、そこから端に向かって1・2・3~と数えていく」

私には、とても説得力があり、合理的な考え方であるような気が致します。


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06.骨法

2013/11/16  カテゴリ:吉田能安先生から学んだこと


骨法(骨の理に適った使い方)  
  ……… 相撲の「かいな(腕)を返し上手を切る」を例に出されて ………

 骨法(骨の理に適った使い方)を理解すれば、弓を力任せの腕力で引く必要が無いことが
分かります。

 初心者はそのことが分からず、「うでじから(腕力)がなければ弓を引くことができない
と誤解しているものです。冒頭に述べた、相撲の「かいな(腕)を返し上手を切る」技は、
腕力で上手を切ったものではありません。かいなを返すという「骨法」を使ったため、簡単
にまわしから上手を切ることができたのす。このことを教えてあげると、骨法は腕力に勝る
技であることが理解できます。 

 先生は男子学生を指名し、ご自分と組み合った状態から、かいなを返し、その学生の上手
を切り、「どうだ、分かっただろう」と言われたものです。

 体配・射法における正しい骨の使い方(骨法)、手の裏を作る際にも、正しい指の骨の使
い方(骨法)がとても大切で重要なことです。

 上級者も、「折々は弱弓で正せ骨法を」 <弓道いろは訓より>と先生が述べられておるよ
うに、時には自己の骨法を再チェックし、射法研鑽を積み重ねていきたいものです。


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05.iPad は範士八段以上の指導者

2013/11/12  カテゴリ:山崎誠の私見


iPad は、範士八段以上の指導者   
      ……… 射法八節のチェックに最適 ……… 

 我々親子は(山崎誠・能成)は、巻藁・的前稽古で射義・射法の修正に、iPadを用いる
ようになりました。プロゴルファーの多くの方々がフォームのチェックに、iPadを使用し
ていることを耳にしたからです。動画を見て修正箇所を把握し、次の射に活かす。この繰
り返しが射義射法の向上に繋がり、その結果的中も上向いて参りました。

 「このiPadの動画が目に入らぬか」

と突きつけられると、iPadは範士八段以上の立派な指導者です。


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04.割り込む

2013/11/11  カテゴリ:吉田能安先生から学んだこと


「割り込む」ことについて    
  ……… レースの花瓶敷きに、籐の切れ端を用いて教えて戴いたこと ………

 今から約42年前にある日、私が先生の自宅にある遊神館弓道場で、稽古をしていると、
居間の縁側で稽古をご覧になったおられた先生が、大声で私を居間に呼び寄せられました。
 すると座卓のレース編みの花瓶敷きに、籐の切れ端を、以下の写真のようにセットされ、
中央を人差し指で静かに押してゆくように言われました。

20131111_01.jpg

籐の両端が左右に伸び、レースが伸びて行く様子が分かりますでしょうか。このことか
ら、大三から体重移動しながら、縦線を伸ばし、弓の中に「割り込む」ことにより、両肘
は勝手に左右に動き、楽に弓を引けることを、教わったのです。

 直ぐに射場に戻り一手を引くと束中(吉田道場は一手稽古が基本)。縁側で

 『それでいいんだ』

と言う先生の笑顔が昨日のことのように思い出されます。

 直ぐに一手を引こうと準備すると、「もう引かんでいい。こちらへ」と手招き。そして
時には正座をして、2時間以上に及ぶ弓道談義を承り学習。当時は何射も引きたく、何故
引かせてくれないのだろうかと、疑問に思ったものでしたが、今となってはその意味が分
かり、更に弓道談義のお話も大変参考になり、感謝致しております。

 いい射が出ると、それ以上引かせなかった訳は、

 「乱射して知らず邪法におちいるな」
             <弓道いろは訓より>

ということを、先生は教えたかったのかもしれません。


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03.足踏みの角度

2013/11/10  カテゴリ:吉田能安先生から学んだこと


「足踏み」の角度について    
  ……… 槍を突く時の「両足の角度」を例に出されて ………

 足踏みの角度について、「60度に踏み開いた直後に、右足踵を外側に開く」と教わ
りました。
 先生は、弓を槍に例えて持ち、左足を的に真直ぐ向け、右足はその左足とTの字の形
になるようにして、槍を突く仕草をされました。(以下の写真を参照)

20131110_01.jpg

この槍のTの字の足の構えにより、槍を鋭く突くことができます。

 弓道の足踏みも「 右足踵を外側に開く」ようにすれば、この槍のTの字の足の構えの
意図するものが取り入れられことになり、弓手の押し開きを強く鋭く行うことができる
のだと。

【正法流要諦】(非売品)には、以下のように記載されてあります。
 ○的からの一直線上(的の中心線)に両親指をのせるのが基本だが、右親指は爪の分
  だけ内側にしめることにより、一直線上より、親指爪分だけ出る。
 ○強い弓を引く時には、左足を60度より広い角度で踏む方がよい。


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02.追想録執筆の経緯

2013/11/09  カテゴリ:はじめに


吉田能安先生追想録を執筆した経緯について
  …… 桜美林大学弓道部創部40周年記念誌が
       諸般の事情により刊行を見送られたための副産物として ……

 平成22年10月に、私山崎は吉田能安先生追想録を著しました。その年は我が母校
桜美林大学弓道部創部40周年当たり、周年事業として記念誌が恒例により刊行される
ものと思っておりました。当然原稿依頼があるもと、8月下旬に関係者に問い合わせた
ところ、諸般の事情により制作されないことを知らされました。そろそろ原稿に取りか
かろうかと思っておりましたので、安心すると同時に、残念で少々複雑な思いもありま
した。

それに代わる何かいい方策がないものかと考えていたところ、OB会のHPに40周年を
記念して、「吉田先生の思い出」を2~3ページ載せることを思いつき提案したところ、
それはいいアイディアだと了承され、9月初めに執筆に取り掛かりました。

 ところがいざ書き始めると、思い出や教わった事が次々と泉の如く湧き出し、2~3
ページどころか、予想の何倍ものページにも及んだ次第であります。更に、父の実家を
継ぐべく引っ越しした際、しまい忘れたアルバム、吉田先生からのお手紙や色紙、書も
見つかり、思わぬ副産物も手に入れることができました。

 特に、大学弓道場に掲額されている「至中和」の出典も見つかり、吉田先生がお引き
になった写真とともに、半切大に拡大し、40周年記念として桜美林大学弓道部に寄贈
させて戴きました。

 もし、20周年・30周年の時と同じように、記念誌が刊行されておれば、このよう
にネットに載せる事を思いつかなかったでありましょう。そのことにより、私の不得手
なコンピューターの分野に挑戦する事になり、62歳のマック習得の手習いは、得るもの
も大きく、ご協力戴いた全ての皆様方に、感謝と御礼を申し上げます。


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01.ブログ開始にあたって

2013/11/08  カテゴリ:はじめに


ブログを始める経緯について

   …… 「吉田能安先生追想録」に加筆ひたいことを綴る …… 

 平成22年10月に、私山崎は「吉田能安先生追想録」を執筆し、桜美林大学弓道部
OB会HPに寄稿致しました。その後読み返してみると、年月は定かではありませんが、
こういうことも教わった、ああいうこともあったと、書き足りなかったことが思い出さ
れます。 それらの事を、記憶の薄れぬうちに、書き留めておかなければならないと考
えておりました。

 もともとネット上に載せたことが始まりですので、私自身のHPを立ち上げ、その中に
「吉田能安先生追想録」とブログを設け、加筆したい事を紹介する方法が一番だろうと
いう結論に達しました。ところが私は、HP・ブログを作る能力も技術も持ち合わせて
おりません。 英語教師として職業柄、英文タイプを使用しブラインドタッチができ、
ワープロぐらいならできる程度のものなのです。

 従って、そのような技術に精通しておられる方々のお手を煩わすことになりました。
南部工業高校時代の若手同僚と、50年来の弓友のご子息様のお二人であります。
 元同僚からは、「吉田能安先生追想録」PDF版を元に、HTML版を作って戴きまし
た。 また、弓友のご子息様には、HPの構成に対するご助言、ドメインやURL等の取得
やマックを使用してのブログの作り方を教わり、何とか自分でアップロードすることが
できるようになり、本日を迎える事ができました。 お二人ともお仕事に就かれ、お忙
しい中ご協力を賜り恐縮致しております。この場をお借りして感謝と御礼を申し上げる
次第であります。

 先ずは所期の目的を達成するための手段を会得し一安心であります。とは申しまして
も、画像の加工などまだまだ教わる事が多く、ブログ初心者ですので、当分の間はお見
苦しいものになろうかと存じます。 皆様にはそのことをお含み戴き、ご笑覧賜ります
よう宜しくお願い申し上げます。

 それでは次回から、吉田先生から教わった事、思い出、弓道に関する私見等を綴って
参る事と致します。


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