兜射貫き・弓道「正法流」開祖 吉田能安 門下生・山崎誠のHP

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1 目標に向かって無心に取り組み~(昭和53年)
  (昭和53年八一高生徒会誌に寄稿)

        目標に向かって無心に取り組み
         その道のエキスパートに

                              八戸市立第一高等学校
                              教諭 山 崎   誠

 一つの物事に精魂を傾けることは、案外長生きの秘訣であると同時に、人間の心の成長
に繋がるのかもれない。言われてみれば古今東西、一芸に秀でた人は、凡そ長寿の部類
に属し、人間的にみても人格者多いのである。
 物事に真剣に打ち込んでいる姿を連想してみるがいい。勉強・スポーツ・仕事・芸術・
その他何でも良い。そんな時、他人に声をかけられても気づかずにおることがあるものだ。
要するに集中しているが為に、頭脳がそのもに向かってフル回転し、雑音の入り込む余地
がないのである。推測するに、頭脳がフル回転するということは、人間の体の一つ一つを
形作っているそれぞれの細胞が、絶えず活発に働くことであり、当然のことながら細胞の
中の新陳代謝が著しく促進されのである。つまり細胞によって形作られているそれぞれの
臓器が、正常に機能し得るし、いつも瑞々しく艶やかなのである。このことはとりもなお
さず、健康体を意味するのではなかろうか。
 人は、それぞれの分野でプロと言われるまでの領域に達すると、自然・風格というもの
が備わってくるものである。これはどうも自信というものがそうさせるものらしい。苦労
に苦労を重ね、試行錯誤の中から、物事をやり遂げた時の、あの爽快さを思い出してみる
がいい。自信というものは心に余裕を持たせてくれる。ということは正常な思考がが出来
冷静にそして客観的に自己を、見つめ得ることを意味するのである。つまり自然、自己を
厳しく律して行くことが可能なことは言うに及ばない。
 勉強もせず、スポーツもせず、趣味もなく、言いたい放題、何もやらぬ男。ただ着飾る
のみで、資生堂・ポーラ・シャンソン・メナード等々、あらゆるものを、其処彼処に塗り
たくって、澄ましている女。このような類の人種は、賢明なのか否かは明瞭なことである。

 魂を打ち込めるだけのものを早く見つけ出すが良い。それに向かったら邁進するのみだ。
ただひたすらに打ち込めばいいのだ。それは心と体の健康に繋がる道なのではなかろうか。
但し、計算づく、いわゆる雑念を入れてはいけない。これには一考を要する。
 昔、あるキコリが森の中でいつものように伐採に追われていると、そこに奇妙な獣が登
場。その獣は無類の皮肉屋で、人をからかうことが好きで、おまけに人の心を見透かすこ
とができるというから質が悪い。からかわれたキコリは次第にムカムカしてくる。「ほら
ほろ、怒っているぞ。」(憎いやつだ。)「憎い奴だと思っているのでろう。」(殺して
しまえ。)「殺したいんだろう」このように次々と心を見透かされてしまうのだ。堪り兼
ねたキコリは斧を振り上げ一撃を浴びせようとするのだが、もうそこにはいない。「ざま
あ、みろ。俺はここだよ。」何と木の上に跳び移っているではないか。またしてもこの獣
は悪口雑言を並べ立て、その都度キコリも応戦するのだが、もうそこにはいない。殺して
しまいたいのだが、心を見透かされるのではどう仕様もない。とうとうキコリは諦め、相
手にせず伐採に精を出す。ただひたすら無心にである。しかし、この獣のいたずらは依然
として続く。そのうち、斧の頭が緩んでいたのか、振り上げたとたん弾みで柄から脱け、
キラリと空を飛んで、この奇妙な獣の頭の上にグサリ。斧は無心である。無心にかかって
は、さすが人の心を読めるこの獣も、それを避けることができなかったのである。
 人生、努力と精進を積むことにより、思わぬ助け舟が出ることもあれば、また自己を認
めてくれる人もあるに違いない。策してはいけない。そこには無用の混乱と誤解を招くだ
けである。自ら計らわず、素直な心で一つのものに魂を打ち込み、その道のエキスパート
を目指したもらいたい。その事により健康体を得られるばかりか、更には高邁な人格を身
につけることが可能になると確信するものである。


【参考文献】
 「北斗の人」司馬遼太郎 作


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2 壮年祭(厄払い)実行委員長挨拶(平成3年)

        三戸町壮年祭実行委員長挨拶

                           実行委員長 山 崎   誠

本日ここに、第16回三戸町壮年祭を開催するにあたり、実行員会を代表致しまして一言
ご挨拶を申し上げます。
 数え年42歳、33歳の大厄を迎えました私どもは、只今厄払いの儀式を厳粛に執り行
い、めでたく身も心も浄められ、将来への新たな勇気と活力をお授け戴きました。
 これも偏に、祭主をお務め戴いた山崎俊哉先生、三戸大神宮宮司山崎茂穂様、藤原工様
のご厚情の賜と、心から御礼を申し上げます。
 更には、町長さん始め、県議会議員の澤田先生、その他ご来賓各位には、まげてご臨席
を賜り、私共一同望外の喜びと、これまた感謝と御礼を申し上げる次第でございます。
 さて古来より、我が国の精神文化に数多くの影響を与えて参りました「論語」の一節に
「吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、
六十にして耳し順う、七十にして心の欲する所に従えども矩を超えず」という有名な孔子
の言葉がございますが、この言葉に従うならば、私共はまさしく不惑の年を迎えたわけで
あります。
 しかし乍ら、私共凡人にとりましては、孔子の言われる「四十にして事にあたって惑わ
ず」の域には、いまだ到達せず「不惑どころか迷いの連続そのものである」と申し上げた
方が、私共の偽らざる心境でございます。
 しかし考えてみますと、「迷いの連続」ということは、それだけ社会や家庭に於いて期
待されており、重要な立場に置かれておるということであります。このことは、天が私共
をそれだけお認めくださっておるという、誠に有り難いことであると解釈したいものであ
ります。
 顧みますと、今からちょうど二十年前、成人として大人の仲間入りをさせて戴きました。
爾来先輩諸兄姉の暖かいご指導を戴きながら、私共は今日それぞれの立場に立って、自己
の城を築くことができました。
 家庭においては、結婚、出産、育児と一家を構え、時には子供に教わり、時には親の恩
を感じつつ、貴重な体験をさせて戴きました。またある者は心身の不調に心を痛め、また
ある者は親を失い、時として悲しみの淵に立たされたこともございました。このような数
多くの経験を通じ、家庭の温かさ、家族の絆の大切さを身を以て感じた次第であります。
 一方社会的には、それぞれの職場に於いて、試行錯誤の繰り返しの中から、仕事にもよ
うよう目処が立ち、世に言う「同情されて半人前、憎まれて一人前、尊敬せられて二人前」
の言を引用させて戴くならば、多少なりとも「憎まれて一人前」の域に近づけたのではな
いかと自負致しております。
 人生を八十年とするならば、私共はその折り返し地点にようようたどり着き、今まさし
く壮年の域に第一歩を踏み出そうと致しております。これからの道のりは、家庭に於いて、
子供を成人させるべく親としての義務、職場に於いては後進の指導育成、更には地域社会
に対する貢献と、まさしく信頼されるべき中堅として、これまでとは違った応分の責任を
果たして行かねばなりません。
 そのためにも、本日ご臨席を賜りましたご来賓の皆様方にはもちろんのこと、関係各方
面の方々に、これまで以上のご指導とご鞭撻を賜りたく、改めてお願い申し上げる次第で
ございます。
 結びにあたり、本日のこの壮年祭を契機にこうした私共の立場を十分認識し、孔子の言
われる「五十の知命、六十の耳順、七十の不矩」を目指しつつ、更には我が愛する郷土三
戸町の発展に、それぞれの立場でご協力申し上げることをお誓いし、実行委員長のご挨拶
と致します。

                       平成3年2月24日
                        第16回三戸町壮年祭実行委員会
                         委員長 山  崎     誠


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3 韓国修学旅行視察報告(平成6年)
  (青森県教育委員会報告文書)
           青 森 県 教 育 委 員 会 主 催

         韓 国 修 学 旅 行 視 察 報 告

                         報告者 青森県立田子高等学校
                             教諭 山 崎   誠

bs001.jpg1 随想 「韓国修学旅行視察に参加して」
 県教委の海外修学旅行解禁の通達を受け、
本校では国際教養コースを設置した経緯もあ
り、また海外修学旅行を実施すべしとの地域
の要望に応え、平成7年度に韓国修学旅行を
実施することが決定された。実際その担当者
に指名され、五里霧中であった私にとって、
今回の韓国修学旅行視察団に加えて戴いたこ
とは、その不安を取り除く絶好の機会となっ
た。特に、海外旅行が初めての私にとって、
パスポートの申請・空港での出入国手続き等、全てが未知の世界への挑戦であった。また
生まれて初めて「外国人」という立場になり、外国から日本や日本人というものを見つめ
直す機会に恵まれたことは、自己研修にもなり大きな収穫であった。事前調査を兼ね、資
料収集等得るものが多く、改めて関係各位に感謝を申し上げたい。以下韓国視察3泊4日
間を通じ、印象に残っていることを簡単に述べてみたい。
 今回の主な視察地は、釜山市・慶州市・ソウル市の三市であった。これら三市を訪れて
まず感じることは、韓国は想像以上に経済が発達し、日本と比べてほとんど差異がないこ
とである。さらには、道行く人々の顔かたち・服装・建物・車・街並等、日本との類似性
から、海外旅行というよりむしろ国内旅行をしているような錯覚に陥ることである。釜山
は長崎に、慶州は奈良に、そしてソウルは東京に旅をしているような感覚なのである。事
実「ハイ、キムチ」と、カメラのシャッターを切る、ガイドの金京玉さんの声に、私は初
めて異国の地、韓国におることを実感した程であった。
 釜山は東に貿易港、西に漁港を持ち活気に満ち溢れていた。また坂道と教会の多い美し
い街で、近郊には名刹や温泉、海水浴場と観光資源も豊富で、韓国南部の拠点と言えると
ころであった。慶州は、新羅が高麗に滅ぼされるまでの約1000年間、都として栄えた
所である。その名残はいまだに市内のあちこちに見られ、昔の栄華を偲ばせてくれる。日
本の奈良とは姉妹都市であり、韓国の人々ばかりではなく、我々日本人にとっても慶州は、
まさしく「心のふるさと」であった。ソウルは李王朝の都となって、今年でちょうど60
0年を迎えるという。これに因んで、韓国政府は「韓国訪問の年」と銘打って、外国人観
光客の獲得と、自国の宣伝に力をいれているところであった。またソウルは高層ビルが林
立し、東京となんら変わらぬ超一流の国際都市である。ビル街から一歩入れば、往時の栄
華をしのばせる壮麗な王宮や庭園があちこちに残っており、現代と古代が見事に調和を保っ
ていた。
「百聞は一見にしかず」とは至言である。今回の視察旅行により、儒教、仏教など大陸文
化の中継地であった韓国と、日本文化が密接な係わりのあることを、まさしくこの目で理
解することができた。韓国は青森空港からソウルの金浦空港まで、わずか2時間で行ける
距離にある。国際理解教育が叫ばれる今日、国際化時代の必修科目として、「韓国修学旅
行」が意義あることは確かなことである。願わくば、両国文化の比較のためにも、将来中
高連携のもとに、中学の「京都・奈良修学旅行」が実現されるならば、高校での「韓国修
学旅行」は確実に定着するもと思われる。


2 視察地の概要
 私には、以下の視察地の概要が割り当てられ、内容をまとめて県教委に報告致しました。
ここでは、その報告が更に長文となりますので、省略させていただきます。

 (1)竜頭山公園(釜山市)    (2)国連軍墓地(釜山市)
 (3)古墳公園・天馬塚(慶州市) (4)慶州国立博物館(慶州市)
 (5)民族陶芸村(慶州市)    (6)吐含山仏国寺(慶州市) 


【追記】
 今考えてみますと、上記の如く、視察報告の大部分を私が書くことになり、大変苦労
 した思い出が残っております。貧乏くじを引かされる星の元に生まれたのでしょうか。


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4 ギルロイ研修引率団長挨拶 ( 平成7年7月21日~8月2日
  (ギルロイ研修記念誌「てさぐりの旅」に寄稿)


     初めてのアメリカ体験記(カリフォルニア州ギルロイ市)

                      青森県立田子高等学校 国際教養コース
                       夏期海外研修派遣団 団長 山崎 誠

 今年で二年目を迎えた、ギルロイでの本校海外研修も、参加した18名の生徒諸君の真
摯で積極的な取り組みにより、予想以上の大きな成果を挙げ、成功のうちに無事終了する
事ができた。これも偏に、この企画をバックアップして戴いた、全ての皆様方のご支援ご
協力の賜と、心から御礼を申し上げたい。特には、生徒の参加に格別のご理解を戴いた保
護者各位に、そして更には、この度も物心両面から多大なご援助を戴いた、財団法人田子
町にんにく国際交流協会の皆様方に、改めて感謝と敬意を表する次第である。以下にこの
海外研修13日間を通じ、印象に残っている事を、思いつくままに綴ってみたい。

 私の部屋の本棚の片隅に、河出書房刊「世界の旅、アメリカ(1)」「その(2)」の
二冊が、今でも大事に保管されている。それは確か、私が小学4年生の頃、お土産など滅
多に持ち帰ってことのなかった父親が、青森市で開かれた弓道大会の折に、買ってきてく
れたものであった。初めて父からもらったお土産でもあり、私は嬉しくてその「世界の旅」
を何度も繰り返し読んだものであった。そこに見るアメリカは、当時の貧しい日本と比べ、
数段も進んで国であり、その新鮮で眩しい魅力に、私は強く心を打たれて事を、今でも鮮
やかに記憶している。それ以来、アメリカという国への憧れから、いつかは訪れてみたと
いう気持ちが芽生え、その願いの実現のために英語教師になったのであるが、諸般の事情
により44歳の今日まで、残念乍らその夢を叶える事ができなかった。

 今回の研修で、私が生まれて初めて見たアメリカは、まさしくその「世界の旅」のカラー
ページそのものであった。密集過密状態の日本の都市と比べて、何かゆとりさえ感じられ
る、巨大都市ロサンゼルス。子供の頃、白黒テレビで見た、ウォルト・ディズニーが紹介
する、御伽の国のディズニーランド。見渡す限り、牛・牛そして牛、その数の多さに圧倒
された広大な牧場ハリスランチ。活気に満ち溢れた、フィッシャーマンズワーフから眺め
た、サンフランシスコ湾に広がる無数の町並み。ホストファミリーが案内してくれた、モ
ントレーの美しい海岸線と、そこに広がる魅惑的で真っ白な砂浜、拡張高いブティック街
や、高級住宅街。ギルロイガーリックフェスティバルの規模の大きさ。そして何よりも、
大自然の見事な美しさに感動させられたのは、研修の合間に訪れた、アメリカ三大国立公
園の一つであるヨセミテであった。そこで目にした樹齢3000年を超えると言われるセ
コイア(アメリカ杉)の大木。パイナップルの大きさ程もある松ぼっくり。2700メー
トルのハーフドームの絶壁を利用したロッククライミング。300メートルの高さから物
凄い勢いで落下する無数の滝。奥入瀬をはるかに凌ぐ見事な渓流。グレーシャーポイント
から眺めた、シエラネバタ山脈と豪快な渓谷、これら全てが想像を絶するものであった。
現地の人の話によると、ヨセミテ公園を全て見学しようとするならば、最低でも1週間は
必要だと言う。なるほどその通りであろう。いつか再び訪米の機会があるならば、是非ま
た訪ねてみたい所の一つである。

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           ホームスティー先 ロッソさんご家族

私がお世話になったホームスティー先は、ギルロイでの家具のデパート「ロッソ・ファー
ニチャー」経営するハイメイ・ロッソさんであった。ハイメイさんのご自宅は、ギルロイ
を一望できる小高い丘の上にあり、朝にハチ鳥が花を求めて庭先に舞い降り、夜にはギル
ロイのすばらしい夜景が眺められるという、とても環境に恵まれた所であった。広い敷地
には十数等の羊が飼われており、朝のその鳴き声は、心地よい目覚まし時計の役割を果た
してくれた。住居は大きく、与えられたゲストルームは快適で、そしてなによりもその部
屋数の多さに驚かされた。家族は、小学校の教師である奥さんのイベイラさん、油絵を得
意とする高2の長女サラさん、地元サッカーチームのエースストライカーを務める、中3
のミート君、水上スキーとバイオリンに夢中な次女ソフィアさん、の五人家族であった。
何よりも嬉しかったことは、この家族全員が、私を家族一員として、それぞれごく自然に
心から歓迎し暖かくもてなしてくれたことである。特にご主人のハイメイさんは、パソコ
ンがプロの腕前で、インターネットを利用し、ヨセミテのホテル予約、ギルロイからサン
フランシスコまでの列車の時刻調べ、観光地の見所等々、多くの貴重な情報を我々派遣団
に提供してくれた。ホームスティーも終わりに近づいたある日の家族団らんの一時、ソ
ファーに腰掛ける私に、息子と同じ年である長男ミート君が、甘えるような仕草で、私の
肩越しから、ゲストルームを「マコトの部屋」と名付けてくれると言った時には、思わず
感激で目頭が熱くなるのを感じたものであった。ハイメイさんご夫妻は、奇しくも私と同
年齢。見送りの朝、再会と末永い友情を誓い合ったのである。
 このように、初めて訪れたアメリカは、全てが私にとって驚きの連続であった。国の大
きさ、大都市や自然景観の巨大さ、住む家の広さ、どれをとってみても、日本と比べスケー
ルが違うことに、ただただ圧倒されてしまった。かつてこの国のこの巨大なエネルギーを、
もっと多くの日本人が認識していたならば、第二次世界大戦は、おそらく回避されていた
ことであろう。真実をしらないということは、誠に恐ろしいことであるということを、実
感したアメリカ体験であった。



【追記】
  翌平成8年も、ギルロイ市に夏期研修派遣団長として赴き、ロッソさん宅にホームス  
 ティー。語学研修とフィールドワークを通じ、さらに有意義な経験を積む事ができた。
 平成11年、次女のソフィアさんが、岐阜県瑞浪市に留学滞在した際に、我が家に招 
 待、そのことをご両親に電話でお話し申し上げたら、ご自分たちもマコトの所へ行き、 
 娘に会いたいと急遽来日、我が家に4連泊し、家族同士旧交を温めた次第である。


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5 媒酌人挨拶文 (平成8年)
  (弓道部の教え子より依頼され、これまで8組の仲人をさせて戴きました)

      媒酌人挨拶 (新郎:木村君、新婦:磯島さん)

                         青森県立田子高等学校
                         生徒指導部長 山 崎   誠

 只今、司会の方からご紹介を戴きました媒酌人の山崎でございます。本日は、木村、磯
島ご両家の結婚披露宴に、多くの皆様方のご臨席を賜り誠に有り難う御座います。両家並
びに新郎新婦になり代わりまして厚く御礼申し上げます。
 桃の節句ひな祭りの今日の良き日、新郎木村文武君、磯島智恵子さんは、当ホテルの神
前結婚式場におきまして、目出たく挙式の儀を執り行い、夫婦の契りを結ばれました。先
ず持ってこのことを、今席にご臨席の皆様方にご報告申し上げ、合わせて新郎新婦並びに
ご両家の皆様方に心からお祝いを申し上げる次第でございます。
 早速でございますが、恒例によりまして、お二人の経歴をご紹介させて戴きます。
新郎文武君は、木村義雄、ユリ様ご夫妻の長男として、昭和38年、八戸市根城にお生ま
れになりました。今年32才であります。県立南郷高等学校から八戸工業大学機械科に進
まれ、昭和61年3月同校を優秀な成績で卒業されました。卒業後は、東芝サウンドシス
テムズ株式会社に就職、横浜営業所に配属となり、7年間オーディオ機器の設計を学ばれ
ました。その後平成4年三沢市にある本社に戻られ、現在は良き先輩の皆様方のご指導を
戴きながら、各種機器、設備設計の仕事に精励されております。
 新婦智恵子さんは、磯島勝蔵、節様ご夫妻の長女として、昭和41年八戸市白銀にお生
まれになりました。県立八戸西高等学校に進まれ、昭和59年3月同校を優秀な成績で卒
業され、同時に八戸信用金庫にご採用になられ、7年間お勤めになりました。お母様の看
病の為、止む無く一時退職されたのでありますが、その後帝国データバンクに再就職され、
また昨年9月ご縁があり株式会社青森銀行にご採用となられ、現在は同行八戸支店の預金
科担当としてお仕事にご活躍されております。
 新郎文武君と私の出会いは、昭和54年、彼が南郷高校に入学され、私の受け持つクラ
スと私が指導する弓道部に籍を置かれたことに始まります。以来3年間、私と彼は学業に
於いてはクラス担任、放課後の部活動に於いては監督と、文字通り勉学にスポーツに、師
弟の関係となり、本日この媒酌人の大役をお引き受けした次第でございます。
 新郎の文武君の高校生活はまさに称賛されるべき模範的なものでありました。成績は常
に優秀を極めクラスの仲間からは、絶大なる信頼を集めリーダーの役目を見事に果たして
くれました。また、部活動に於きましても、2年次には青森岩手弓道大会に於いて見事個
人優勝、更には団体準優勝の原動力となりました。3年次には弓道部の主将となり春季青
森県高等学校弓道選手権大会に於いて、チームを団体3位に導く等、今日の南郷高校弓道
部の基礎を作り上げた立役者でもあります。
 このことは、周囲の皆様方の暖かいご指導とご支援の賜でありますが、何と申しまして
も、本人の努力と精進から生まれた栄光であると、改めて敬意を表する次第であります。
 弓道部の主将として人の上に立たれた、この尊い経験と弓道部での輝かしい戦績は、今
後の彼の人生に於いて必ずやプラスとして生かされることでありましょう。弓道の他にも
根城中時代にはバレーボール部のエースアタッカーとして、県大会上位入賞に貢献するな
ど、スポーツ万能であり、性格も温厚篤実と将来を嘱望される誠に好青年であります。
 一方新婦智恵子さんは、ご覧の通りもの静かで優しさの中にも、芯の強さを兼ね備えた
魅力溢れる女性であります。ご趣味は名所旧跡巡りと古き良きものを理解しお認めになる
柔軟で幅広いお心をお持ちでございます。このことから、新婦は武道を修業されtた新郎
文武君の良き理解者になられることは、誰もがお認めになることでありましょう。
 現在は結婚に備え、お料理を学ばれ、かなりの腕前と伺っております。更には、純日本
的な茶道も学ばれ、性格冷静にして沈着、ご両親様のご指導よろしきを得て、誠にしっか
りされた近代的な女性でございます。
 お二人の馴れ初めは、新郎の中学時代の後輩で本日ご出席されております、若本様のお
祖母様のご紹介がきっかけと伺いました。その後、お二人は何度かお会いするうちに、お
互いの人生観に、すっかり意気投合されいつしか将来を誓い合う仲と相成り、本日の目出
たい運びとなった次第でございます。
 新郎文武君は、智恵子さんという良き伴侶に恵まれスポーツを通して育まれた高潔で明
朗な性格、更にはフェアープレーの精神を発揮されながら、お二人仲良く豊かで明るい家
庭を築くものと確信致しております。
 とは申しましても、ご覧の通りお二人はまだ若く、人生経験も浅く未熟でございます。
今後ともお二人のために、皆様方のご指導とご鞭撻を賜りたく、ご両人になり代わりまし
て、改めてお願い申し上げる次第でございます。
 どうかお二人は、本日ご臨席の皆様方のお力添えを戴きながら、本日のこの喜びと感激
を忘れることなく、常に新鮮な夫婦として、生涯を添い遂げられることを願っております。

 結びにあたり、ご両家ご両人共々、今後益々ご繁栄の道へ進まれますようご祈念申し上
げ媒酌人のご挨拶とさせて戴きます。

        平成8年3月3日
         三戸郡弓道協会会長
         青森県立田子高等学校生徒指導部長
             山 崎   誠


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6 桜美林弓道部創部25周年に思う(平成7年)
  (創部25周年記念誌に寄稿)

    桜美林大学弓道部創部25周年に思う

                     初代主将 山 崎   誠

我が母校、桜美林大学体育会弓道部は、本年創部25周年を迎えることが出
来た。「光陰矢の如し」、まさしく月日の経つのは早いものである。部創設か
ら25年の歳月の経過を思う時、当時が昨日の如く懐かしく思い出され、誠に
無量である。
 思えば昭和45年、当時大学二年であった私が中心となり、同学年の中文の
井深勝之、英文の浅井恵子、高橋妙子、杉村泰代の四氏の良き理解者の協力を
得て、桜美林大学愛弓会が創設されたのであった。
 爾来、吉田能安先生始め、多くの皆様方のご指導のもと、後輩諸君の努力に
より、揺るぎない今日を築くことができた。
 改めて、これまで支えて下さった皆様方に感謝と御礼を、そして伝統を脈々
引き継いでくれた後輩諸君に、心から敬意を表したい。幸いこの記念すべき年
に、後輩諸君は全日本学生弓道選手権に於いて、女子団体優勝という輝かしい
成果を挙げてくれた。誠に喜ばしい限りである。選手諸君の健闘はもちろんの
ことであるが、石山佳彦現監督の指導と努力を、OB諸氏と共に讃えたい。
 孔子曰く、「吾十余にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。
云々」とある。さすれば、二十五とはまだまだ未熟な域なのであるという、謙
虚な認識のもとに、続く30周年、更には40周年を、心して目指して行かな
ければなるまい。
 そのためにも現役諸君には、「自彊不息」(みずからつとめて止まぬ。修業
鍛錬をおこたらぬ。)の精神のもと、更なる努力精進を期待したい。またOB
諸氏には、私自身を含め、先輩の責務として、桜美林大学体育会弓道部を、各
方面よりしっかり支えて頂くことを、切にお願いする次第である。


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7 桜美林創部40周年祝賀会参加予定(平成22年)
  (桜美林大学弓道部OB会掲示板投稿文書:平成22年11月)

OB各位
                     初代主将 山 崎   誠

紅葉に季節となりましたが、その後OB各位には益々ご健勝のことと存じます。
当地青森では11月の気候を通り越し、一気に12月並みに気温に震え上がり
冬支度に追われる毎日であります。

過日この掲示板にて、創部40周年記念祝賀会の日程を知る事が出来ました。
その後、電話にて同期の前OB会長井深氏、更には現OB会長磯氏よりも丁重な
ご案内を戴き誠に嬉しく存じております。祝賀会企画運営担当実行委員の方々
のこれまでのご努力に対しても、心から敬意を表するものであります。

私も、現役を含む後輩諸君から鋭気を戴き、明日への活力にしようと喜んで出
席させて戴きます。同年代の方々にも長らく失礼を致しておりました。是非と
もこれを機会に祝賀会に集い旧交を温め、更には弓道部発展のためお互いに知
恵を絞り、あれだけの成果を上げている現役諸君のためにも、頼れる確かな力
になろうではありませんか。

先ずは私が率先垂範戦陣を切り、現役諸君の弓道即実生活に、何かのお役に立
てればと、約20ページ程の「初代師範吉田能安先生追想録」をOB会ホームペ
ージに寄稿致しました。只今担当の吉仲紀子OGがその原稿をホームページ用に
編集しておる最中であります。11月中には完成とのこと、拙文ではありますが
ご笑覧戴ければ幸いに存じます。

より多くのOBと再会し、青春時代にタイムスリップできることを楽しみに致し
ておりますので、OB諸君が万難を排し参加されることを期待しております。


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8 桜美林女子 王座優勝(平成22年)
  (OB会掲示板投稿文書:平成22年11月)

只今この掲示板にて王座優勝を知りました。全日、リーグ、王座の三冠達成、この
快挙に心から祝意を送ります。創部40周年の記念すべき年に、誠にめでたい限り
であります。

この偉業を成し遂げた選手諸君、お見事!の一語につきます。そして全国に、「桜
美林大学ここにあり」と、その名を高め、また一つ大きな伝統を積み重ねてくれた
事に対し、改めて敬意を表する次第であります。今後とも桜美林大学に誇りを持ち
母校の伝統と名誉にかけ、更に一層の努力精進をされることを期待しております。

今一度選手諸君へ、桜美林大学弓道部に関わる全ての方々に、感動と喜びを与えて
くれたことに対し、心から「有り難う」そして「おめでとう」の言葉を贈るもので
あります。


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9 桜美林男子都学連Ⅰ部優勝(平成25年)
  (桜美林大学弓道部OB会掲示板投稿文書:平成25年11月)

「桜美林大学弓道部、男子都学連Ⅰ部リーグ初制覇を祝す 
………  優勝おめでとう! そして感動を有り難う。 ………

諸君は弓道部の歴史に燦然と輝く大金字塔を打ち立ててくれました。 弓を始
めてからここに至までには、多くの方々のサポートがあったに違いありません。
しかし、いざ的へ向かえば己一人だけの戦い。 従ってこの偉業を成し遂げた
勝者は、まさしく君たち自身であることは確かな事であり、自身を持って王座
戦に望んで下さい。

主将の長澤君、ご苦労ですが今一度部員を束ね、率先垂範頑張って下さい。そ
のことにより、後輩諸君が将来、着実に成果を挙げ続けてくれる事でありまし
ょう。期待しております。


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